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小雨の中、おばあちゃん

今日は小雨が降っていた。

出かけた先の帰り道、家までの距離は数十メートル。歩いて30秒あれば「ただいま」と言える。

腰が「く」いや「つ」の字に曲がったおばあちゃんを見かけた。
シルバーカーを突き出し、地面と睨めっこしながら途中、水泳の息継ぎのように前方を確認する。

近所では名物おばあちゃんだと思う。だと思う、というのは誰も喋りかけているところを見たことがないから。

実をいうと、名物である所以は「つ」の字の腰だからではない。歩くスピードにある。牛歩どころではなく、アリの全力疾走と同じくらいの速さ?遅さなのだ。

ぼくが30秒かけて歩く帰り道を、そのおばあちゃんは15分かけて歩く。

ぼくがどうして、そのおばちゃんに詳しいのかといえば、以前勤めていたデイサービスで職員と利用者さんといった関係性だったからだ。

外は小雨が降っていた。

もう、ご近所さんという関係性。声をかける必要はあるのかないのか。
まぁそんなことはどうでもいい。15分雨に濡れたままでいいわけがない。

生きるために、自力で近くのコンビニまで行かなくてはいけない。要介護2の一人暮らしだから。声をかけるのは今日が初めてではない。

「〇〇さん、パンのお兄さん。覚えてる?」

「ああ!パンのお兄さん。最近見ないね、やめたの?」

デイサービスの帰り道で、パンの買い食いをしているところを見られてから「パンのお兄さん」とイジられるようになっていた。そのデイサービスを辞めたとはいっていない。

「最近、お休みもらっていてね。なかなか会えんね」

前の職場の何を気にしているのか、辞めたとは言えなかった。

「〇〇さん、傘持ってる?」

シルバーカーのカゴを開け、合羽を見せた。

「雨降ってきたから、合羽、着ようか」

合羽をとりだし、袖から通してフードを被せる。おばあちゃんは息継ぎがてらぼくの顔を見上げる。

「やさしいねぇ。」

「いつもやってあげられんから、ごめんな。」

コピーロボットがあれば毎回付き添ってあげたいところだが、手を貸すことが日常になってしまうと、本人が余計に苦しむのかなとか。

ぼくは雨に濡れながら、15分一緒に歩いた。

〇〇さんは、基本的に人の世話になりたくない人だ。面倒見られるのがいやなわけでなく、相手の負担になりたくないとう優しさから、自分のことは自分でするようになった。

「娘と喧嘩してね、娘に頼れなくなったのよ」

それから本心をひた隠しにし、人の世話になるのが下手くそになった。

世話は求めないかもしれない。でも人の優しさを受け取ることは拒否しないだろう。だからぼくは声をかけて、雨の中、傍で一緒に歩いた。

途中、何人か近所の人とすれ違った。おばあちゃんに声をかけるのは、ぼくぐらいしかいない。

「つ」の字の異様な佇まいと止まって見える歩き方が、結果的に見て見ぬふりになっているだけだ。

でも、このおばあちゃんとぼくの光景を見て、
今度は別の人が声をかけて欲しい。

「こんにちは。いい天気ですね。」

たった、それだけでいい。
それだけで優しさは伝わるから。

介護は大変。介護職はキツイ。そんなネガティブなイメージを覆したいと思っています。介護職は人間的成長ができるクリエイティブで素晴らしい仕事です。家族介護者の方も支援していけるように、この活動を応援してください!よろしくお願いいたします。