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正直、聞き飽きた、、とまでは、

「いつまで生きてなくちゃいかんのだ」
「はよ向こう行きたいわ」

介護施設で働いていると、1日に何度も耳にする言葉。

正直、聞き飽きた、、とまではいかないが、耳にしすぎて受け流してしまうこともある。

真正面から受け止めたとして、ぼくに解決できることではないし。真摯に話を聞いても、辛気臭くなってしまうだけだから。決して本人の憂いを、軽んじているわけではない。

生きていても、生きる目的を見失っていたら、生きている心地なんてしないのだろうと思う。死んでいるのと同義なのかもしれない。

しかし、生かされている。生きなくちゃいけない。
脈は打ちよせ呼吸はどめどなく、腹は減るしションベンもクソも出る。

「生きてもねーのに、死んでたまるか!」

怒鳴り声で始まる唄に、昔、ぼくはハマっていた。

野狐禅というバンドの「鈍色の青春」という唄。竹原ピストルで有名になった歌い手だが、有名になる前から、ぼくは好きでライブを見にいっていた。

その頃から「生きる」と「暮らす」の違いを考え始め、思考はメメント・モリに支配され始めた。

どう生きたいかより、どう死にたいか。

宮崎駿じゃないけれど「ぼくはどう生きるか」。ごめんなさい、ジブリ作品を見ていない人間なので、テキトーだけど。
そういえば、かまいたちのネタでもジブリ作品を見ていないネタあったな。

さておき、

「じゃあ、どういうふうに死にたいんですか?」

そう、問いかけてみることも、ひとつなのかと思う。

何を成し遂げて死にたいか。何をやり残さずに死にたいか。死ぬまでにこれだけはしておきたい。これをしなければ死んでも死に切れない。これをしたら死んでもいい。

いろんな角度から自分の「死」について問いかけてみる。

痛い思いをして死にたくない。死ぬ時はこうして欲しい。こんな死に方は嫌だ。死んでからもこうしてほしい。死に際にこれをして欲しい。

「死ぬまでに海外のドコドコ行きたい。いや、高級フレンチ食べたい。ということはなんなん?それしたら死んでもいいっちゅー話なん。それ虚しいな。物や一瞬のことだけのために生きていくのって虚しいわ。だったら、死んでも成し遂げられそうにない終わらないことを探してみようか。」とかなんとか。

エンディングノートは、死に方書いておこ手帳。
デス・コンサルティング。コー死ング。

滑稽なほど、少し笑えるように、朗々と。死から逃れるのではなく、死に立ち向かっていくように。

年齢を重ねると、考え方は変わっていくのかもしれないけれど。往生際よく走り切りたいものだなと。思う。

じいちゃん、ばあちゃん達よ。教えてくれてありがとう。
長生きしてくれ。楽しく長生きできるように、精一杯頑張るから。
いなくなったら、ぼくは寂しいのだよ。じいちゃん、ばあちゃん達よ。

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