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「私たちとあなたは違う」が作る壁ー元不登校ー

先日まで、「ブラッシュアップライフ」というドラマを観ていた。

亡くなってしまった主人公が、来世も人間になるために、赤ちゃんから自分の人生をやり直して徳を積んでいく話だ。
(後々もっと盛り上がりを見せていく!)

つまりは、「見た目は子ども。頭脳は大人。」状態で子ども時代を繰り返すということ。
私が昔からよく妄想する設定だなあと思いながら観ていた。
コナン大好き人間なことも関係しているかもしれない。笑

しかも主人公の幼稚園時代の子役ちゃんが、あまりにも私の幼少期にそっくりすぎて、より前のめりになって毎週観ていた。



このドラマの中で特に自分の子ども時代を思い出させたのは、

子ども時代を繰り返す中で、徳を積むためもあって一周目よりもすごく勉強ができるようになった主人公が、周りの子どもたちから

「〇〇ちゃんって本当頭いいよね〜」
「うちらとは違うよね」
「頭いいから、うちらみたいなのと話してもつまんないんじゃない?」
「庶民の遊びなんてしないと思ってた〜」

などと言われてどうにも距離を詰めることができない、という場面。



めっちゃ言われてたあああ、、、、!!

主人公が言われるたびに、私の胸にグサグサ突き刺さってきた。


学校に来てないくせに、たまに出てきてテスト受けたりすると良い点数をとって、
我ながらいかにも「勉強しそう」な風貌(メガネにロングヘアひとつ結び)をしていたことも相まってか、きっと存分な嫌味も含めて、たくさん言われた。(ドラマの子たちは悪気ないけど)


小学校高学年の時、一度「〇〇ちゃんのイメージを書こう!」という、
クラス全員からの自分に対するイメージを書いてもらうという時間があったのだけれど、

私のものに書かれていたのは、「真面目そう」「頭良さそう」「勉強できそう」ばかり。

純粋に褒めてくれている子もいただろうけど、
どこか「近寄りがたい」「自分たちとは違う」
というニュアンスがあって、とても寂しかった。



ほんの数人だけ、「家庭科で料理がうまかった」とか「あのとき優しかった」とか、
エピソードを交えて書かれているものがあって、
ものすごく嬉しかったのを覚えている。


そういえば高校1年生のとき、
プールの授業がすごく苦手(というかトラウマ)だったので見学していたら、
「〇〇さんは私たちが入るような水に、一緒に入りたくないんだよ」
と言われて、すごく落ち込んだことがあった。



共通して言えるのは、
「私たちとあなたは違う」
と言われたことで、大きな壁を作られた気持ちになったということだ。

正直私は、「みんなと同じがいい」と強く思っていたわけではなかった。
違うところもあっていいじゃん。面白いじゃん。
そう思っているのは、子どもの頃も今もあまり変わらないと思う。


でもやはり、「学校にちゃんと行けない」ということを、圧倒的にみんなより劣っていて悪いことであると考えていた私にとっては、
どのような特徴によるものであれ、

「あなたは私たちとは違うよ」

と思い知らされる言葉に、とても敏感に傷ついていたように思う。



「みんな違ってみんないい」

幼稚園や小学校の頃から、綺麗事のように大人たちに唱えられるだけのこの言葉を、

私は本当の意味で子どもたちに伝えていけるようになりたい、と思う。

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