完璧主義エピソード HSP
HSPの特徴としてあげられることの多い「完璧主義」。
私は特に幼い頃、十分に自覚できるほどの完璧主義で、勝手に高いハードルを自分に課して苦しんでいた。
25歳になった今、昔よりは少しマシになったかな?おおらかになったかな?と思っていたのだけれど、やっぱりふとした時に顔を覗かせる完璧主義。
今回は私が自分の、「完璧主義だなあ〜」と感じてきたエピソードについて、ご紹介しようと思います!
考えていけばいくらでも出てきそうですが、ぱっと思いつくものをとりあえず!
朝の準備
小学生の頃。ほとんど不登校ではあったわけだけれど、学校に行けていた期間。
朝は家を出る2時間前に起きていないといけなかった。
何にそんなに時間が必要だったのかというと、長い髪を1本に結ぶためだった。
もちろん、学校に行くという、自分にとっては勇気のあることをするための、心の準備をする時間でもあったのだけれど、行動としてはもっぱら髪をくくることに時間を使っていた。
少しでも乱れがあったらダメ。やり直し。手でまとめているときは納得したのに、ゴムを通してみたらなんかずれた気がする。やり直し。その繰り返し。
いつまで経っても用意の進まないこと進まないこと。
納得のいく状態に持っていけなかったら学校にも行けなくなる、という日もあった。
ひらがな練習
小学1年生の頃、ひらがな練習のプリントを宿題に出された。
見本のひらがなを真似て、下のマス目の中に5回ずつ書く。
1番上はうっすらと見本のひらがなが書いてあるのをなぞって、2つ目は途中までしか書いていなくて、あとは真っ白なマス。
みたいなものだったと思う。確か。
書いてみては、
あれ?見本と違う。やり直し。ちょっと線の角度が違う!やり直し!カーブが綺麗じゃない!!やり直し!!なんかわかんないけど同じに書けない!!!
やり直し!!!!!
書いて消しゴムで消してはまた書いて。
紙が破れるまで書き直し続けても結局納得のいく字が書けなくて、「同じに書けないよお」って号泣していた。
「見本を真似して書きましょうね」を「見本と全く同じに書きましょうね」と捉えていたのだと思う。
でもそのおかげか、今自分の描くひらがなはわりかし綺麗で、
あの苦しみは全くの無駄ではなかったのかなあ、と思ったりもするけれど、
今思い返すと、度が過ぎていたことはわかる。
現在、ブログ投稿
今になっても「完璧主義だなあ」と思うことは結構あって、まさにこのブログ投稿がそれを感じる機会だったりする。
いや、正確には、人に言われて初めて気付くのだけれど。
誤字脱字なんて絶対あってはいけないし、文章の辻褄は完璧に合っていて、読みやすく改行も揃っていなくちゃいけないし、不適切な表現は一切あってはならない。と思っている。
え、だってみんな完璧に書いてるくない?きっと!
人に見せる文章に、ミスはあるべきじゃないでしょ?
という考え自体が完璧主義なんだよと言われて、「そうなのか、、?」となっている感じなのだけれど。
でもこの完璧主義に従っていては、きっといつまで経っても投稿が進まないので、不安な部分にグッと目をつぶって投稿してみている。
完璧じゃなくても、発信し続けることに意味があることはわかっているから。
だけどやっぱり不安で、投稿してからも見返して、「あ!ここなんか変!」を見つけては、永遠に修正を加えていたりする。
「3割の完成度でいいから、とりあえず投稿する」が大事だと友達に言われて、3割、、3割、、と念じながらやっているんだけれど、
いや、3割って酷い文章になるってきっと!!
とやっぱり思ってしまう今日この頃。
完璧主義というのは、真面目で、本気だからこその性質だと思う。
だから、完璧主義な自分のことを悪いとも嫌いだとも思わないし、
物事を適当にしないという精神は、大切なものだとも思っている。
でもやっぱり、ちょっぴり生きづらいし、
完璧よりも重視するべきことがある場面では、マイナスに働いてしまうこともある。
良くも悪くも転ぶこの性質と、うまく付き合っていけたらなあと思います!
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