おにぎりと色気。

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#祈るおむすびバトン
というものが回ってきたときの文章です。

ダンス劇作家 熊谷拓明さんから回ってきました。

気に入ったのがかけたのでこちらにも。 
 


にぎって結んで繋いでいくっていいですね。
 
 
皆のおにぎりをみるのも楽しい。 
 

 
長い前置きを。
 

個人的な意見ですが、美味しい食べ物には色気があります。
 
 

 
美味しい食べ物はすべからく色っぽいんです。
 
 

いい感じで寝かせてならしたマグロの艶のある赤身や
 

キスなどの白身魚を昆布締めしたときの朦朧としたぼやけ方と幽玄な味の奥行き、
 
 
中まで火が通りきってない海老の天ぷらの白の儚い淡さ、
 

春の鯛の桜色、
 

旬のトマトのふくいくたる香りも色気、
 

冬のふてぶてしささえ感じるぶりぶりの白菜とその甘さ、
 
 
ぬきたての土化粧のお大根を豚肉と煮込んでトロツヤの角煮。
 
 

 

そして、炊き立ての米なんかが一粒一粒輝いてるのを観た日にゃ、
 
 
食い気も欲望も一緒くたに湧いてくる
 
 
そんな男です。
 

 
 
料理をする時、どこで手を止めるのが正解なのかとよく考えます。
 
 

例えば杓子定規にレシピどおり2時間煮込んで終わりじゃ味気ないなと思うこともあるんです。
 

 
それに、レシピは設計図ではなくシナリオです。
(土井善晴さんがよく言ってる)
 

 
読み手や演者によって理解度とその後の表現も違ってくるし、それでいい。
 
また土井さんは、おいしいは結果である。
別にまずいのも結果やからそれでいいと、言ってました。
 

わかる。季節や旬と直接戯れて、
 
今こんな時期かーというのを丁寧に感じたらおいしいまずいは結果でしかないのかもしれません。

 
別にどっちでもいいこと。

 
 

それに鍋も違えばそれぞれ火力も微妙に違うので
どこで料理を終わるのかってそれぞれの判断が重要だなーと思います。
 

文章でも絵でもどこで筆を置くのか、
 
迷いますがそれに近いところもある。

 
もう少し手をかけたい、いや、これはこのままがいいんだ。
 
 
 
悩みは尽きずそれが楽し。

 
 
僕は、料理に色気が出たらそこで完成にしています。
 
 
素材の問題もあるし、毎回色気でるまで手をかけるのも難しいですが、心持ちとしてはそう。
 
 
単純な野菜炒めでもうまくいってれば
 

野菜もクタとならず、油でコーティングされててツヤツヤで、それがまた色っぽいんですよ。
 

 
 

毎日をご機嫌に過ごす秘訣は一喜一憂することです。
 
 
ワーワーいうとります。
 

 
おにぎりに戻して、

僕は梅おにぎりが好きです。
 

海苔も真っ黒でちょい厚くて時間経ったらしっとりとしてくるやつがいい。
 

 
そして、手で直接握ったおにぎりが好きです。
 
 
手作りのおにぎりに抵抗ある人結構いると聞いてちょっと驚きです。
 
 
僕は家族じゃなくても気のおけない知人のおにぎりは率先していただきたい。
 
 
手で握ったおにぎりを食べられる関係というのは、渡す、受け入れるというコミュニケーションや信頼のあらわれでもある気がします。
 

  
 
京都に昔からある、ますたにってラーメン屋やったかな?
 
 
はっきりとは覚えてないけど、小さい頃からお父さんがよくそこの話しをしてくれて、
 
 
あそこはラーメン出してくるとき、親父が指をいっつも丼の中に入れて出してくる。
 
 
だからうまいんや。隠し味や。最後の味付けやなってその話になるたびに言ってました。
 
 
だからかわかりませんが、
 

まだ小さい頃、お母さんがそれまで手で握ってたおにぎりを、ラップをかまして握り始めたんです。
 

それを見て僕が「なんで手で握ってくれへんねん。隠し味がー...」って言って頭おかしいくらい泣いてました。

 
その頃の僕にとって隠し味って言葉が世界の何よりも尊い宝物のように感じてたんですね。
 

 
 
今でもそういうとこありますけどね。
 

 
ラップのおにぎりはラップのおにぎりでちょっとラップの味してなんかあれはあれでキューンと切なくなって好きですけど。

 
(ああ。ラップのおにぎりや。きゅっきゅってすると毎回心で思う)
 
 

 
ところで、おにぎり、おむすびって、米やし、古事記に出てくる最初の三柱の「たかみむすびのかみ」もどっかで言葉遊び的に絡んでくるのか?とか思ったり。

 
古来、むすびは「産巣日(むすび)」って書きまして、
 

生命の誕生と太陽って意味と

結ばれる→まぐわい

 
の意味もあって、
 
 
いろいろ考えて食べると、
 
 
おにぎりも言葉を食べてるみたいでおもしろい。
意味を食べてるみたいで面白い。
 
 
言葉の食卓って本があります。
武田百合子さんの本。
 

無茶苦茶おもしろい。ふと思い出しました。よければ召し上がってください。
 

このバトンに参加してる時点で言葉というか思いを繋いでそれをいただいてるわけですよね。
 
  
いただきます。

 

 おいしい。
 
 

私はおにぎりをにぎって焼きました。
 
 

大根が元気に葉付きで売ってたから。
 
 

昨日は大好きな菜飯にして食べて。
 
 

今日は中にふき味噌を入れたり、
山椒の葉をまぶしたりして、焼きました。 
 
 
おこげが表面についてきて、いいお顔になってね。
 
 
そんで醤油塗るといい匂いがして、 
 
家の中にいるのに屋台の匂いしてきて。
 
 
 たまりませんな。
 

おこもり中のいいアロマ、焼けた醤油の匂い。
お出かけ気分、お祭り気分。
 

またいい色と艶が出てきて、音も見た目も色っぽくなってきちゃったからそろそろ手をかけるのも終わりかな。
 

 
 

握るっていいですわ。
普段箸で食べる米を握るとちょっと特別な気持ちになります。
 
 

食べ物を直接手でギュッと握っただけなのに、
なぜにこんなにうまいのでしょうか。
 

興奮と神聖と背徳がちょっと入り混じって、それを日常で割ったような、なんてことないささいな特別。

 
食べれる状態のものをにぎったりむすんだりって、お米以外思い浮かばない。
 
 

 
 
ツラの皮は厚いのに、手の皮は薄くいまだにアツアツを握れませんが握ると楽しいです。
 

 
天岩戸のおこもり状態。
 
 
外でウズメが楽しそうでも今回ばかりは出ちゃいけないよ、ってな時期ですが、これも世の常。
 
 

流れのままに、息をして、力を抜いて、収まるところで握られてみる。
 
  

ごちそうさまでした。

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