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人を頼ることが苦手。その課題と改善方法を探る(2)危機は自分の物差しで測る。

うつ病で約2年闘病生活を経験したのですが、幸運なケースだった私でさえも、当時は生き地獄としか表現できないほど辛い毎日でした。

以降、再発だけは避けるべく試行錯誤を繰り返してきました。

病は、自分の生き方を変えるようにという体からのメッセージだという考え方に最初に出会った時、微かな不快感を覚えたのですが、自分自身についてより良く知るうちに、納得しかないなと思うようになりました。

人を頼ることが苦手(1)の記事で、人に助けを求められない理由の一つとして、

①辛い状況を我慢し、限界ギリギリまで頑張った挙句、突然はちきれてうつ状態に陥ってしまう。

を挙げたのですが、以前の職場での衝撃的な経験を通して、限界ギリギリまで頑張ってしまう理由の一つが分かりました。

それは、“辛さや苦しさまでも人の基準と比較してしまうこと”です。

その衝撃的な経験とは、所謂モンスターカスタマー対応でした。当時私はマンションコンシェルジュとして働いていたのですが、社内の同僚が働く別の物件で、そのモンスターカスタマーの入居依頼、騒動が数年続き、コンシェルジュが一度に全員辞めるという事態になりました。

新しいコンシェルジュが採用され慣れるまで、業務を回せる誰かが対応せざるを得ないと踏み、志願して異動したのですが、約一カ月のヘルプ期間で極限まで追い込まれガリガリに痩せてしまった私は、知り合いの業者さんから挨拶をスルーされてしまったほどでした。

コンシェルジュに対してだけでなく、出入りの業者さんや他の居住者様達ともトラブルを起こされる方でしたが、上層部のコネ入居で、本社はことなかれ主義。

前線の人員は捨て駒で、いざとなった時にも本社側が風見鶏対応をすることが目に見えていたため、私達は毎日毎日無理難題に応えなければならない状況でした。

新しくコンシェルジュを採用しても次々人が辞めていくという状態で、皆神経をすり減らし、常にピリピリしていました。お互い精神的に余裕がないため行き違いも多く、現場の状況が上の人間にきちんと伝わらず閉口しました。

日々のクレームは収まるどころか頻度も規模も悪化し、本社側にも対応部署が設置されたものの、常駐しておらず現場も見たことのない彼らは当事者意識が乏しく、真剣に話を聞こうという姿勢がありませんでした。

また彼らにも、社内でのポジションなどの厄介なプライド問題、単純な好き嫌いによる偏った評価などがあり、それらが複雑に絡まりあって、にっちもさっちもいかないという状況でした。

この状況は、企業だけに限らずどんな組織でもありそうだな、と嵐が去った今は冷静に思いますが、当時その渦の真っ只中にいた時は、それはもう気が狂いそうでした。

最終的には、上層部が事の深刻さに重い腰を上げ、裁判沙汰一歩手前で何とか一件落着となったんですが。

最終局面はなかなかハードで、面と向かってすごい形相で「地獄に落としてやる」と凄まれました。向けられたその憎悪からは“どういう犠牲を払ってでもこの借りは返す”という強い意志が感じられ、生まれて始めて身の危険を感じました。

心身共に疲れ果てており、カウンセラーの先生を頼っていたんですが、そこで言われた一言で、自分の思考の癖に気付き、行動を起こすことができました。

それは、その激しい恫喝について報告していた時でした。詳しく説明したあと、

「でも、この不安は行き過ぎかもしれません。私は小心者なので、他の人が同じ体験をしても、私のように恐怖を覚え身の危険を感じることはないのかもしれません」と伝えたところ。

「危険の度合いを、他人の物差しで測ったらダメよ。あなたが危険だと感じたなら危険なの。その物差しをもって、対策を練らないと」と言われ、ハッとしました。

確かに……。自分は危ないと思っても、皆が渡ってるからと一緒に赤信号を渡っていたらダメだ。私は、自分の身の安全についてまで、人を基準に判断している……と衝撃を受けました。

私はカウンセラーの先生に、自分の不安を払拭するために気持ちを吐露したものの、それ以上自分の直感を信じて進むと、何か行動を起こさざるを得ないことが脳内でチラついて、それを防ぐために敢えて否定していた面があったことに気付きました。

他の人ならどうする?でなく、自分で行動を決めなければならないと思いました。

反撃のために武器を携帯することは過剰防衛になるが、自衛のための道具は是非持つべきと言われ、唐辛子スプレーを買いました。本当にいざという時のためで、主には心理的な支えとしてですが。

この行動に出た時、人がどう思うかなんて気にしていられない、と心が決まりました。

次の日、対策部署の人に電話をし、防犯カメラと防犯ブザーの増設を依頼しました。

かなりコストがかかる話なので、金銭面の根回しや準備が面倒なこともあったのでしょう。最初は、話半分にしか聞いてもらえず、危機感ゼロでした。

唐辛子スプレーの話をした時も「え?もしかして、それお客さんにかけるつもり?」と鼻で笑われる始末。

今までの自分なら「大袈裟ですかね……、すみません」と引き下がったかもしれませんが、腹を括っていた私は躊躇いませんでした。

「じゃあお聞きしますけど、今防犯カメラがどこに何台設置されていて、どの場所をどれ位の鮮明さで映しているかご存じですか?私達の勤務場所は、豆粒くらいの大きさにしか映っていませんし、音も入りません」

「有事の際、地下にある防災センターの方が、たまたまその映像を見ていてくれたとして、気付いてここまで助けに来て間に合うと思いますか?」

「夕方以降、ここの人通りがどれくらいあるかご存じですか?どの位の頻度で警備巡回があるか知っていますか?」

「もし私が殴られたり刺されたりして、ここで倒れていても、数時間気づかれないって普通にあり得るんですが、そうなったらどう責任を取ってもらえるんですか?」

と畳みかけました。

今考えても、自分のあの時の強さにはビックリです。怒らせると恐いタイプ笑。

普段とのギャップと、私の落ち着いたドスの利いた声に、その担当者は「え……、えっ……」と言葉に詰まり、恐れをなして、次の日に防犯専門業者さんを連れて来てくれました。

二度と経験したくはないですが笑、この事件では、直観力や冷静な状況判断力を磨くことの大切さと、いざという時は躊躇わず予防措置を要求する意思の強さの必要性を学びました。

さらに、身を守る術についてより広い視点で考えられるようになったことは、大きな副産物でした。

今回のように危害を加えられる心配以外にも、無理な仕事量、理不尽な要求、周りからの圧力など、限界を感じる危機がこれまでいろいろあったものの、どの段階で誰にどんなふうに相談したかと考えてみると。

SOSは殆ど出さず、出来の悪い自分が全て悪い、と半ばうつ状態になってその場所を逃げるように去ってきたことが多いことに気づきました。

自分の人となりや、仕事ぶりについての周りからの反応や評価を考えると、出来の悪い自分が全て悪いという結論は、極端に偏っていることにも気づきました。

私は我慢が足らないから……、自分は弱いんだ……、あの人なら乗り切るのかもしれない、などと思って相談を躊躇いがちな人、いませんか?

私のこの事件は、揉めに揉めた挙句のかなり特殊なケースなので、訴えても助けてもらえにくい状況でしたが、一般的には、口に出してみると意外と助けてもらえることが多いものです。

最近は、悩みごとが重くなり始めた段階で、相手を選んで様子を見ながら人に話すようにしています。

職場の問題で、迷惑になるのではと心配していたものの、それは自分の仕事だからとあっさり受け入れてもらえて、えっ、そんなことしてもらっていいの!?と思ったこともあります。

自分にとっては苦になることも、ある人にとっては苦にならない、ということはたくさんあって、驚くほど柔軟な提案をしていただけて、逆に自分が相手の苦をカバーしてWinWinてことになったこともあります。

また、自分が求めている解決策も、完全な解決だけでなく、現状維持・様子見なども含んだグレーなものであることにも気づかされました。

共存に困難を極める問題を飼い慣らすという点で、先日の記事(ネガティブケイパビリティ)にも通じるところがあるな、と発見の日々です。一人で必死に解決しようとしないで、人にも頼って、辛抱する時間もかけてみる。

大き過ぎて絶対に動かせないと思い込んでいた岩が、周りの人が少しずつ削って小さくしてくれることで動かせるようになることも、たくさんあるんです。

人をきちんと頼ることも、自分の精神・身体の健康には、欠かせないことなんですよね。

人に頼るのが苦手かも、と思う方は、危機感以外にも、自分の辛さや苦しさまで他人の基準と比較して行動を決めていないか?と自問してみるのもいいかもしれません。

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