見出し画像

生きる意味についての考察。正解はないけれども辿り着いた自分なりの答え(境地)

うつ病闘病中で、約15年の間半引きこもり状態となっている友人がいます。

彼女とは20年以上のお付き合いなのですが、久しぶりの再会の際二人共うつ病を患っていることを知り、なかなか珍しい状況で旧交を温めることとなりました。

私は幸運にも数年で回復し何とか仕事復帰にも漕ぎつけましたが、彼女の場合は家庭環境などの要因もあり、その後糖尿病に加え突発性難聴も発症し、気の遠くなるほど長く辛い日々を今も送っています。

自他の領域は守りつつ少しでも力になりたいと伴走を続けていますが、彼女が幼少期から溜め込んだ悲しみや苦しみは複雑に絡み合い、底なしの不安は何層にも重なって、その問題の根深さには驚かされるばかりです。

精神力の枯渇が激しく、その日一日を生きることで精一杯な彼女が、躊躇いながらも今現在の最大の課題を打ち明けてくれました。それは、“何のために生きるのか”という疑問でした。

この疑問の答えが見つからず、この解答なしには何もかも無駄に思え、この答え探しに飲み込まれてしまうことで先に進めず何もしないまま日々が過ぎていってしまう、という状態のようでした。

精神科の医師にも、この問いは一旦置いておきましょうと言われるものの、それができず頭から離れないとのこと。

闘病の日々を送る中唯一頼りにしていた祖母も亡くなり、祖母とのコミュニケーションの愉しみや、面倒を看ることで得られる達成感、役に立てる喜びもなくなってしまった。

家以外での人間関係の必要性も感じているものの、人と関わることによって生まれる軋轢や批判などで傷つくことに恐怖を覚え一歩も動き出せないと、八方塞がりの心境を吐露。

長い間苦しんできた彼女のこれまでの人生の背景を思い、言葉に詰まりました。

この問いは計り知れないほど深いですし、以前自殺未遂も経験している彼女の状況を見て精神科の医師がそう助言するのは全く頷けるなと思いました。

私も希死念慮に憑りつかれた経験があったので、思い出しながら話を聞いていました。

私は小さい頃から空気を読み過ぎて過敏だったこともあり、常に酷く不安で人付き合いの悩みを抱えていましたが、思春期になってからは輪をかけてコンプレックスに悩まされるようになりました。

学生生活は、容姿の美醜や運動の得手不得手で、その楽しさの割合がかなり決まると言っても過言ではない気がします。

……私にとってはひがみ根性を育ててしまった時期なので、こう思うのかもしれませんが苦笑。

高校生になり、相変わらず常に人と比べ自己卑下の毎日の中、ある時ふと「生きていく意味って…?」と自分に問うてしまいました。

その後半年から1年近くその問いに憑りつかれ苦しんだため、まさにパンドラの箱を開けてしまったようでした。

最初は「毎日同じことの繰り返しなだけ。こんなふうに生きていて一体どうなるのか?」の問いであったのが、最終的に「生きていたらいけないんじゃないか」まで発展してしまい、夜中に突然両親の元に行き、殺して欲しいと頼んだことを覚えています。

いろいろ考え過ぎるのが良くない、とにかく何かを無心でやりなさいと諭され。迫ってくるその問いを振り払うかのように、ウォークマン(昭和~)を耳に、必死で歌を歌いながら窓拭きをしてみたり、脳内で囁きが聞こえるのを、無理やり無視して授業を受けたりしていました。

この問いは常に頭の中に居座って、しつこく戻ってきては私を苦しめました。非常に厄介な同居人で、当時の私にとっては、それはそれは深刻な問題でした。

結局、その問いをいなしたりなだめたりしているうちに、仲の良いクラスメイトができて学校が楽しくなってきたこともあり、まぁいいか、その意味を見つけるために生きるのかなぁ、なんて漠然とした答えに辿り着きました。その後その苦しみはいつの間にか去っていきました。

三十年近く経って、最近ある方にこの話をした時、その人は小学生で同じ問いにぶつかり悩んだと話をしてくれました。

私よりもずっと早い段階で同じ悩みと向き合ったんだと驚いて、思わず前のめりでどんな答えに辿り着いたか聞きました。

すると「単純なんだけどね。野球の試合を考えてみたら同じだなと思ったんだよね。試合が終わることは最初から分かってるけど、一生懸命プレーするもんね。それと同じかな、一生懸命やって終わるだけかなと思ったんだよね」と言われました。

はぁー、なるほど。シンプルで素晴らしい例えだな、この答えを当時聞きたかったと強く思いました。確かに、終わりが分かっていても試合を始めて、一生懸命プレーしますもんね。

今考えると当時の私は、目的がなく生きることと退屈が恐かったんだと思います。

生きる目的があるようでないのはどこかで分かっているけれども、本気で道の途中を楽しめないのは嫌だな、そしてまさに退屈している(当時の自分の)今を、肯定できなかったんだろうなと思います。

目的なく生きることに対する恐怖の理由を考えてみると、“何も成し遂げずに逝くこと”の恐さではないか。

それは、限られた時間の中自分という存在にしっかり向き合って、ベストを尽くして生き、最後までやり切ってゴールテープを切りたい、という一途で真剣な気持ちの裏返しなのではないか。

世の中、この問いに悩み続ける人の方が寧ろ少ないんじゃないだろうか。また、例えば非常に重い障害児を持った母親が、一生をその子供に捧げるといった場合などを除いて、明確に答えを持っている人の方が少ないんじゃないか、とも思います。

実際私は今でも、その答えについては漠然とさせたままで生きています。ただ、なぜ生きるかと改めて今自分に問うた時、心の水面が波立つことなく穏やかなことを考えると、漠然としてはいるけれども、強い方針を持つには至れたのかなと。

それは、どんな形でも良いので、自分の強みを生かして人や社会のためになることをしたい、という単純なものです。

核となる心の姿勢は、“人生の中で経験するあらゆる喜びを味わいながら生きる”で、その生き方を貫いて寿命を全うしたいという自分の人生観が、ある程度固まったんだなと感じています。

具体的にやりたいことは、まぁそれなりにあるけれども、それは例えるなら障害物競争で設置する障害物とでもいえるような、苦労も含めて道々乗り越えて楽しむためのもの、というような感覚で。

もしゴールが競技途中で突然現れたとしたら、ああ、目の前のこの障害物が最後か、とそこで割り切って走り終えるんだろうなと思っています。

もし不死だと仮定したら、いつまでも障害物競走を続けることになる。そうなると全力疾走できなくなる。老いは恐いですが、ベストを尽くすことができない方が、もっと恐いと思いませんか。

ここまで考えたうえで、私が思う妥当な対応策としては、“その問いと共存する”というものです。

鬱陶しいその存在を否定せず、そこに居させる。折に触れチラと横目で見ながら生きるというか。

この問いに触れて恐怖を感じたら、私のように“生きる目的を見つけるために生きるのかな”のような暫定的な答えで一先ず手を打ってもいいですし、前述の私の友人のように野球や何かその他のもので例えられるものを探してみてもいい。

話題になった森山直太朗さんの“生きてることが辛いなら”のように、一先ず生きると決めてみる。それは動かさないで、泣く日があっても辛くても、嫌になるまでとにかくなりふり構わず生きてみる。それも一案かと思います。

とにかく思うのは、心の奥では目的を持って行きたいと強く願っている人が、この疑問にひたすら囚われ、結果的に無為に過ごし激しく後悔しながら人生を終えるのでは、本末転倒であまりにもったいないということで。

答えが出ない問いを問い続けることが本当の知性とも言われますが、偏った視点から考えを練り過ぎてしまうと実りが少ないのではと感じます。お菓子の生地も、練り過ぎると変質してしまう、なんてことがありますもんね。

ある程度考えてみて、どうしても答えが出ないものは、考えるのを一旦止めてみる。時間を置いて、また別の視点から考えてみる。

最初は訓練が必要だなと思います。学生時代の私が、脳内の囁きを無理やり無視して目の前のことに取り組んだように。

希死念慮の他に、病気や経済苦による将来への不安、他人へのしつこい嫉妬心、湧き上がってくる憎悪、大切な人を失った喪失感など、共存に困難を極める感情や疑問はたくさんあります。

技術の発達で情報が溢れ、人とのコミュニケーションもますます複雑になりました。スピードと効率が過剰に重視されるようにもなり、物事の本質が見失われがちだと感じています。

こういう時代にあっては尚更、性急に答えを求めないという姿勢、違和感や不快感を飼い慣らす力が大切なのではと思っています。

以下、ご紹介です。

これが話題の、ネガティブ・ケイパビリティという概念なのでしょうか。

https://www.vogue.co.jp/beauty/article/free-from-anxious-onayami

この本には、いろいろヒントが書かれていそうなので、こちらも読んでみようと思っています。

ネガティブ・ケイパビリティ 答えの出ない事態に耐える力

当ブログは「にほんブログ村」のランキングに参加中です。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?