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「デザイナーの仕事場」

デザインを仕事にしているのでたぶん世間から色々な「かっこよさ」を求められていると思っています。いやそう「感じる」仕事です。

整理の行き届いた広々としたオフィスで、大きなデスクに座りしばし瞑想にふけっている。確かにそれは良いですね。(ちなみにタイトルの写真はわたしの事務所とは関係がありませんがいいですね)

今から三十年程前、まさにイメージにぴったりの事務所を借りて仕事をしていました。
コンクリート作りで壁は真っ白。部屋の高さが三メートル近くあり、天井冷房床暖房。
長方形の部屋の西向きの一面が天井まで全部窓になっていて、ブラインドを下ろしていないとまぶしくて部屋の中にいてもしっかり日焼けをしてしまう。そんな健康的(?)な事務所でした。

わたしはこの贅沢でシンプルな白い部屋の事を「動かないベンツ」と呼んでいました。家賃が高くて高級感が感じられました。

無理をして動かないベンツを借りた事には背景があります。
その前には、駅から続く小さな商店街の通りの中程を入った細い道の突き当たりにあった、新築には近いけれどあまり日当たりも良くないうなぎの寝床のような細長い部屋で仕事をしておりました。

ある時会社員時代の知り合いから、有名な海外のメーカーのエンジニアが日本向け製品のデザインを担当する人を探しているということで、その事務所に数人で訪問してきたのです。
いつものように談笑しながらも、そこで会っている事に恐縮していたのを覚えています。

結局、そのメーカーと仕事するには至りませんでした。その駄目だった理由を、わたしは自分の能力不足ではなくて「事務所の規模」や「事務所の体裁」にあったと勝手に解釈しました。そしてかなり無理をして、ミバエの良い事務所として選んだのが「動かないベンツ」でした。

スタッフもいて、いっぱしのデザイン事務所をつくった気持でおりました。ところがその素敵な場所の力でクライアントや仕事が増えることはありませんでした。

わたしは器を用意すれば、中身がその器は自然と埋まるもの。そういう思いがあったのですが、世の中はそのような法則では動いていないようです。逆に世間の人からは、目立った製品もデザインしていないわたしが、不相応にカッコいい事務所にいる事に反発すら覚えていたのかもしれません。反省ですね。

結局、「動かないベンツ」には、わずか一年半ほどしかいませんでした。スタッフも雇い続けることもできませんでした。わたしは事務所をたたんで、自宅で仕事をするようになりました。

しかし、自宅に戻っても独立した当時とは、家族の状況が変わっていました。子どもが増え、長男も成長してその上道具も増えていて、どうにも仕事がやり難いし、家族にも不便をかけてしまう。これではいけないということで、日頃使わない道具や本を置かせてもらう名目で、倉庫代わりの部屋を探しました。

その倉庫代わりに借りたつもりだった6帖と3帖台所の部屋が、すっかり気に入ってしまって仕事場として使うことになり、結果的に25年間もお借りする事になりました。もっとも気軽に選んだ部屋が、もっとも長くいる事になるとは思ってもみませんでした。

駅から近くて、静かで、日当たりも良く、格安で、階下に住む大家さんも親切で、なんだか事務所というより「下宿」という佇まいのこの部屋は、居心地がいいのです。そして今世の中に出ているわたしの製品のほとんどは、この仕事場から生み出されたものです。

この話は「広くないから良いものができる」という結論で結ぶつもりはありません。いい環境であっても、そうでない環境にあっても、生み出されるデザインの質には直接関係がないということです。

この仕事場で仕事をするようになってからは、つとめて新しくできた商業ビルや美術館に出かけたりもしました。仕事場はあくまでも外で感じたことをまとめる場所なのです。アイデアが生み出される瞬間は、外を歩いている時だったり、カフェでぼーっとしている時だったりするものです。

仕事関係の人や友人が、ふらっと訪れてきて、「やあ 別の仕事で近くを通りかかったからちょっと挨拶に来ました」と言いながら、実はわざわざ出かけて来てくれるような事務所。

「器を用意する」ということはつまり、そういう「いろいろな人やモノを受け入れる余裕のある場所」を用意するという意味なのでしょうね。それは、外観が綺麗だとか広いとかというだけではない、生活者のゆとりがそこはかとなく醸し出された環境をさすのでしょう。

秋田道夫

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