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オッカムの剃刀

僕が今からあなたにある賭けを持ちかける。
財布の中から硬貨を一枚取り出して、
20回連続で表が出たら、僕に一万円。
一回でも裏が出たらあなたに一万円。

あなたは咄嗟に
0.000095…パーセントの確率でしか
それは起こらないと考え、
硬貨も確かめた上で
その賭けに乗った。

ところが
1回目 表
2回目 表
……19回目も表。
ラスト20回目も表が出た。

イカサマだ!とあなたは
叫びながら知的好奇心に負けて、
渋々一万円札を取り出すと、
僕はそれと引き換えにニンマリしながら
硬貨を渡した。

あなたはマジマジと硬貨を確かめたが
何の仕掛けもなかった。

さぁ、僕はどのように
これをやってのけたのだろうか?

相当の練習をした!
その可能性はあるが…出来るだろうか?
そうだ、裏に重りがついている?
何度見ても普通の硬貨だ。
トイレを毎日磨くといいことが引き起こるという教えを守ってきたとか?
感謝の祈りを毎朝毎晩していたから…
いやいや実は念力を持っていた!
うん、この可能性は否定できない。

実はですね、
最近、あるカルト教団の教祖から
不思議なチカラを授かりましてね。。。

さぁ、何でだと思う?

ここで役立つかもしれない観点が
「オッカムの剃刀」だ。

「オッカムの剃刀」は、
14世紀イングランドの神学者ウィリアム・オブ・オッカム(William of Ockham)によって提唱された、科学理論を構築する際の基本指針。
科学理論を構築する際って点は忘れないで。
で、
「剃刀」は、
不要なものを削ぎ落とすことを喩えたもの。

ある事象を説明するのにaとbという二つの事柄で足りるのに、さらにcという事柄を導入した説明をするのは無駄であるとするってことね。

例えば、あなたが存在するのは
パパとママがいたから。
ではなく、
パパとママと、そして、神様の慈悲があったから、とか。

このように説明に最低限必要なものに
余計な存在が加わっている。
そうしたものは不必要なものなのだから
切り落とすべきであるという考え方だ。

実際には以下の様な話が伝わっている。
わかりやすく言うと、
中世のその当時は太陽、月、星などは地球を中心として廻る(天動説)とされていた。そしてそれらの星々の中でも惑星などは
天使たちによって動かされている、と考えられていた。

しかし、ウィリアムは、物体は最初に与えられた勢いで動き続けることが可能だと考えた。
で、惑星などの天体は神が最初に与えたもうた勢いで運動をし続けていて、天使たちが都度、惑星を動かしているという部分を削ぎ落としたんだ。
惑星は動いている
だけで充分だと主張したんだとさ。

でも、
説明に不要な要素として「神」や「天使たち」が切り落とされているだけで、「神や天使たちが存在しない」ということを意味するんじゃなから、
\_(・ω・`)ある意味ココ重要!!

あくまで神の存在、不在は
別の議題となる立場だから。

そして、
ここまでならあなたも
なるほど、そりゃそうだとなるだろう。

ところが厄介なのは
次のような時だ。

引き寄せの法則とかの本を
何冊か読み、それに真面目に取り組んで
(引き寄せの法則でなくても、毎日マラソンの途中神社に行って雨の日も激しく暑い日も、欠かさずに、お参りしている!とかでも通じる話なのだけれど)

それを続けて間も無くすると、
かねてからの念願であった恋人ができて、
おまけに、なんとなく買った
宝くじが当たった!とするよね。

このとき
オッカムの剃刀の如く
恋人ができた。
しかも
宝くじにも当たった。

不断の日々の尊い行いとを
一旦切り離して思考できるか?だ。

どうだろうか??

ちなみに
冒頭の賭けの答えは、
オッカムの剃刀を使うと
見えてくる。

2面とも表だけの硬貨をもう一枚
持っていた。

それが答えだ。

がっかりするくらいシンプルだ。

このことから、
様々な感情を切り離して
物事を時には低次に見てみるのも
悪くはなかろう。

※この場合の低次とは、表だけのコインを使っているという仮説。
高次とは、何か特別な能力を持っているという仮説。


Byオレの殴り書き

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