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食べる働きって大切!青森のばあちゃんの思い出

2022.11.30 音声配信より

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こんにちは!以前、私のおじいちゃんの思い出話をさせていただきましたが、そうすると、おばあちゃんの思い出も話したくなってきました。

不思議と、私のおばあちゃんも晩年は私の専門領域である「話す・食べる・飲み込む」といった部分に悩みを抱えたという背景がございます。私の父方のおばあちゃんはもちろん青森出身です。

お話好きで明るいおばあちゃんは、和裁を得意としていました。その手先の器用さが、私には全然受け継がれておりません。お喋りなところだけが、受け継がれてしまいました。おばあちゃんが私と妹の七五三の着物を手作りで縫って、送ってくれたのもいい思い出です。

おばあちゃんの病状


当時おじいちゃんと2人で青森に住んでいましたが、おじいちゃんの認知症がだんだん進んでいた時期に、食べ物を駄目にすることが出てきていました。傷んだ食べ物が冷蔵庫に入ってたりして、それを気づいた親類が処分するという状況でした。

「だんだん鼻が詰まるようになってきた」って、おじいちゃんのお葬式のときに言っていたようなんです。亡くなる約1年前のことでした。

その後、病院で診てもらったら「副鼻腔がん」というのが分かったんです。副鼻腔っていうのは、頬骨の辺りにある空洞です。頭蓋骨の中の空間で鼻の奥にがんができた、という状況だったんです。それを聞いて、すごく珍しい病気だなって思いました。大きい病院でMRIだかCTだか画像を撮ってきたのを見たら、結構な大きさのがんでした。
鼻の奥だし、もっと奥に行くと脳みそがあるんですよね。だから、頬骨を割って取り出すっていうのもなかなか難しい話で、手術は難しい場所だったようです。抗がん剤をやったようなんですけど、口内炎が出来てきつかったようでした。

「もう抗がん剤の治療はもういいです。」と、その後の余生を過ごしますっていうことに決めたんですね。その後一人暮らしをしている青森のおばあちゃんの家に、関東圏にいる息子たちが代わりばんこに様子を見に行っていました。

ある時、長男(おじさん)がおばあちゃんに電話をしたら、全然口が回らない状況だったようです。声は出すんだけど発音が全然できない状態だったらしくて、それでうちのおじさんがおばあちゃんを迎えに行って、関東に連れてきました。もう、一人暮らしをさせていられないっていうことで。

舌と「食べること」の関係


簡単に言えば「舌が動かない」という状況でした。病院で診てもらったら、脳を大きくなった腫瘍が圧迫していたのです。鼻の奥から腫瘍が始まり「脳幹」という首の後ろ、襟足の辺りの、舌を動かす神経核がある部分まで、がんが進行していたようです。
その結果、舌の運動麻痺が出て話せないし、食べることも難しくなっていきました。舌が動いて食べ物を喉に送り込むのですが、ゼリーとか流動食しか口にできないっていう状態になっていきます。そうすると栄養が摂れなくなり衰弱していきます。

そうして、その後は看取りの段階に入っていきました。おじさんの家に引き取られていたので詳しくはわからないですが、身体の痛みが出て眠れないなどの症状も出ていたので往診をお願いして在宅で緩和ケアをしながら、ホスピスを申し込んで待機していました。結局はホスピスに入ることなく、おじの家で看取りました。

看取りケアでリハビリテーション職種ができること


亡くなる1ヶ月ぐらい前に、おばあちゃんが引き取られていたおじさんの家に行きました。私の妹もリハビリの専門職なので体の痛みがないか確認したりストレッチや無理ない範囲で身体を動かしたりしてくれました。口の中はだいぶカサカサに乾いて、だいぶ辛そうだったので保湿して痰を取ったり、ゼリーを食べさせてあげました。少しでも苦痛を和らげて、快く過ごせるようにと。
舌が全く動かず、話すことは難しかったですが身体はよく動いて、わりとシャキシャキ歩ける感じだったので、本当に最後の最後まで自分でトイレに行っていましたね。

会った時には、ずいぶん痩せちゃっていましたね。食べられなくなっていたから。でも抗がん剤をしないことも、延命治療についても本人が決めたことなので。その気持ちを尊重しながら在宅看取りになったという感じです。

医療職の私からみても、なかなかに珍しい病気だったと思います。
「食べたり・飲んだり・喋ったり」っていうことは
私達にとってはとても身近で当たり前のことなんですけど
今回のように、食べることや話すことに困りごとを抱えたり、それが元で命を落としたりする方も、たくさん世の中にはいらっしゃいます。

おばあちゃんにあの時「お口の中綺麗にしよう」とか「ちょっとゼリー飲もうね」と対応したときの穏やかな顔が印象的です。喜んでもらえて、とても嬉しかった。
親戚からすると「これはなかなか我々ではできないことだし、やっぱり専門職ってすごいね」と、褒められたのを覚えています。

自分が専門職としてできることを、おばあちゃんにもできたっていうことは
「この仕事をもうちょっと続けてみなさいよ、頑張ってみなさいよ」っていう
おばあちゃんからの励ましにも何か聞こえたかなって思います。

では、今日はここまでにいたします。
お読みいただきましてありがとうございました。

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