がんばって休む。アクティブレスティングという考え方。
人間関係でも仕事でも、ストレスを抱えた状態で毎日を送る。
中学受験を決めた小学四年生のある日から、そんな毎日が当たり前になった。
当たり前になりすぎて、自分がどれくらいストレスを抱えているのか、限界にどのくらい近いのか、わからなくなってくる。
特にわたしは、自覚はないけれどストレス耐性が高い。他の人に比べると、大抵の作業は「はぁ、やるか」で片付けることができるし、諦めも悪い。
諦めも悪いし、感度も悪い。周りのご自愛が上手な友達を見ていると、ストレス耐性が高いというより、ストレスに鈍いだけだと思うようになった。
きちんと「めんどくさい」や「大変そう」を察知して、事前に避ける友達。一方で、わたしはやり始めるまで、なんなら耐えきれなかった分のストレスが体に不調として現れるまで、ストレスや辛いという気持ちを自覚できない。
というわけで、今病院のベットでこれを書いている。
体に症状が出るまでストレスに気づけないどころか、体のサインが出てもなお「めんどくさい。どうせ治る。病院に行っても変わらない。」と日替わりの言い訳を用意して病院を拒否し、さすがに生活できないというレベルまで悪化して観念した。
どうして心の痛み、さらに体の痛みまで我慢し続けてしまうのか。どうしてもう少し「ご自愛」というものができないのか。
体に不調が出てから、いわゆるご自愛的な行動はしていた。たくさん寝るとか、温かいお茶を飲むとか、好きな読書の時間を取るとか。
でも、そうじゃないだろう。それは日常の話であって、体に不調があるのなら病院に行く以上のご自愛はない。どうしてそれができないのか。
自問自答タイムだから自分で答えたいところだけど、全くの謎である。
自分を痛めつけることで感じる喜びもないし、そんな痛みに値する人間だと自分を下げてみているわけでもない。どうしても、自分よりも、目の前の締め切りが迫った作業の方が重要に思えてしまうし、そのために自分の治癒力を過信してしまうのだ。
とはいえ、これはあんまり珍しいことではないと思っている。
海外大学生コミュニティでも、広告業界でも、なんなら日本社会全体で、同じような状態にある人は多い気がするのだ。だからこそ「かぜの時はお家で休もう」なんて広告があるし、その広告について「共感の嵐」だなんてネット記事が生まれるんじゃないだろうか。
そんな、ご自愛という言葉が広まった今でもとことん、自分を大事にすることが苦手な私たちのために、「アクティブ・レスティング(能動的休憩)」というコンセプトを考えてみた。それを紹介したいがためにこの記事を書いている(前置きが長い)。
アクティブリスニング、アクティブラーニングあたりの言葉なら、聞いたことあるかもしれない。
どちらも聞くや学ぶという行為を、より能動的にするために開発された勉強法だ。
同じように、当たり前にできるとされている「休む」という行為を、もっと能動的にしたら。わたしみたいなぶっ倒れるまで働く人種でも、ご自愛できる。そう思ったのだ。
そもそも休むとは、空白にちかい概念だと思う。休むすなわち、働かない、外に出ない、起き上がらない。何かをしないという状況を描くから。だからこそ、温かい飲み物を飲む、マッサージに行くなど、具体的な行動を定義する「ご自愛」という言葉が画期的でもあった。この言葉のおかげで私たちは、何かをしないだけではなく、何かをするという休み方を選べるようになったのだ。
それでも、わたしとしてはご自愛という言葉だと、少し足りない。ご自愛という言葉から連想するのは「日々のメンテナンス」レベルの、小さなご褒美的行動だからだ。
わたしは、部屋の片付けも、洗い物も、まとめてからするタイプ。使ったときに綺麗にすれば、大掃除なんていらないというタイプの人間ではないのだから、毎日きちんと休んでこまめに自分を愛するなんてできるはずないのだ。
わたしがご自愛をするためには、もっと能動的で、パワフルな意識が必要。だから、アクティブレスティング。
イメージとしては、ご自愛のない状態が、風邪でも働くこと。ご自愛は、風邪を引かないように日頃から健康を意識して過ごして、風邪をひいたときにはきちんと休んであたたかくすること。アクティブレスティングは、風邪をひかないように栄養ドリンクとサプリを取りまくること。風邪をひいたら、直すためにできることを全てやり尽くすこと。
例えばわたしは、ストレスで胃も心もやられたとき、「生き延びることと、一日一ページだけ卒論を書くこと」を決まりにした。逆に言えば、どれだけその日調子が良くても、一ページ以上書くことは許さなかった。
土曜日の夜、友達とご飯を作って食べることも決まりにした。一人でこもりたい気分だったとしても、友達と話す時間だけがくれる癒しの方が大きいだと思ったから。
友達は、今学期オールBを目標にしている。いつもCを取るからではなく、いつもAをとるために頑張りすぎてしまうから、自分を制限してBに成績を落とすという目標。なんだそれって思う人も多いだろうけど、これがアクティブレスティング。能動的に、一生懸命、休む。
私たちは、働くこと、がんばること、走り続けることがよしとされる社会に住んでいる。どんなに抗おうとしても、その価値観は私たちの中に刷り込まれている。
だけど、それによる弊害がたくさん出てきているのも事実。社会的に若者の鬱が増えているとか、ストレスがかかった状態では生産性が落ちるとか、そんな話もあるけれど。それよりも、あなたが元気でいられないということ。それだけで本来おかしな話で、それはとても重要な問題だ。
私たちの呼吸レベルにまで落とし込まれた、「がんばらなければいけない」という価値観に抗うために、私たちはがんばって休むべきだ。
疲れたから休むんじゃない。疲れる前に休む。疲れないために休む。
それにだって努力が必要で、工夫が必要で、褒められるべきことだとわたしは思う。「休む」ことの難しさを、知っているから。
というわけであなたも。今日から一緒に、アクティブ・レスティング、はじめてみませんか?
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?