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若者クリエーティブ会社の社長に勧められた記事7本をざっくり紹介

時代による変化を、簡単なビフォーアフターでまとめた記事。

たとえば購買活動は、「消費→応援・投票」に。コロナでレストランなどを事前にお金を払うことで応援するというのが当たり前になった。そもそも好きなアイドルに課金、バンドのグッズを買う、漫画村問題など、正規で買うことで好きな人にお金を入れるというのは、コロナ以前からも広まっていたと思う。

好きな人の応援はもちろん、道徳的に正しい、搾取などが行われずに作られたものを買うエシカル消費などもある。値段や流行など数字に囚われない、価値観や好き嫌いをベースにした自分らしい買い物が浸透してきたようだ。

タイトルがそのまま記事の主張。小手先で流行っているからとSDGs施策をするのではなく、会社のアイデンティティとしてコアな部分から変える。SDGs、つまり持続的な社会づくりをしていく時代が始まっている。

男女平等や自然保護をうたうソーシャルグッド系広告も、やはり評価される(すべき)ものは、その一つの広告や活動の裏に、その企業の長年大切にしてきた価値観や行動の積み重なりがあるように思う。

OMOはOnline Merges with Offline、CXはCustomer Experience:顧客体験。この記事は主にCX、商品を買うまでの顧客の体験の大切さについて述べている。家具を売るのに、店内の世界観を作り、店員がディズニーのキャストのようにもてなすなど、CXを商品そのものとして考えるのが大切だが、日本ではまだあまりとのこと。

私は蔦屋書店が好きで、居場所として堪能した後にふと見つけた本を買ったりする。本屋自体も、キンドルのランキングに比べて、素敵そうな本に偶然出会う確率は高い。博報堂ケトルの嶋さんは、本屋は5分で世界旅行ができる場所と言っていた。本屋さんは日本CXの先駆けなのかも。

ビジネスをサポートする新しい事業の紹介がメインだけれど、その裏付けとしてNEWPEACEが運営していた多くのオフラインコミュニティがどのようにコミュニティとしてのアイデンティティオフラインならではの価値をそのままにオンライン移行したかがまとめられている。

「コミュニティという体験価値は、リアルに人が集って交流することで生み出されていた部分も多く、それが社会的に「三密」や「不要不急」と否定されてしまうと、アイデンティティロスになりがちです。...経済合理性の外側にある“遊び”こそ、感情を育み、文化の種になる。」

この部分にはすごく共感した。個人的に、ついなんとなく乗ってしまう誘いや、得意じゃない人との集まりがなくなり、精神的にオフラインが楽だという感覚があった。しかしそれと同時に、雑談から生まれるアイデアのロスや、どこかに所属しているという安心感も無くなった。自分はまだ21歳でインターネットネイティブとはいえ、オンラインでのコミュニティづくりと聞くと、本当に新しい世界だなと思う。

TheUPDATE「オンライン教育は日本を救うのか」からの引用も含め、いろんな視点から新しい教育についてまとめてあった。主に、日本はテクノロジー化においても、AI技術が進化する中での教育のアップデートにおいても遅れている。日本は従来、画一的、みんなが同じことをし、いろんなことを満遍なくできることが求める教育をしてきた。しかし、好き嫌いに合わせて成長する、タイトルにもあるUber Eats的教育が、これからは求められると。

感想としては、小さいうちにとりあえず満遍なく学ぶことで、何かを選ぶことができると思いつつ。今の日本の教育制度はそれを選んでいるというより、新しい制度やシステムがたくさんできたのに変われていないという印象ではあるので、選択肢を増やす柔軟さは必要だよなと思った。

情報量たくさんで流れがあったので全部読んでほしいけれど(他の記事もそう笑)、まとめると「効果のあるPRの形が、ネット上で話題になるから本質的な行動を企業がとるに変わっているという話。

広告なども、単なる啓蒙ではもう世界では評価されず、細分化されたネットではなく現実で、それはつまり短期的ではなく長期的に計画された社会課題の解決があって評価されるようになってきたと。

コンサル会社が広告会社を吸収する流れがあるというのを聞いたことがあるが、それは「経営面での方針を、適切に消費者まで伝える力(広告ブティックの強み)」をコンサルが欲しているのだろう。同じように、広告屋が「消費者の心を動かすために、企業としての行動までサポートする」コンサル力を求められる時代も近いのかも。

シェアリングエコノミーがこれからの時代くるよという記事。他にも特定の家に住まずシェアハウスを転々とするアドレスホッパーなど、ライフスタイルすら含めたシェアリングサービスが広がっている。シェアハウスでの人間関係は社会的ヒエラルキーが薄く、個人が網目のように繋がる感覚なのだそう。

シェアリングが広まる中で、ウィルスが移るから人とものを共有できないという謎の世界に迷い込んでしまった私たちではあるが、会社や学校、家族など繋がりが強いコミュニティにはないゆるやかな繋がりへの需要が、家を共有するほどではなくとも高まっているように感じる。

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