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アナタの肩を外したい【ショートショート】

夢を見ていた。
何せ悪魔が目の前に現れたのだ。
黒い翼も尻尾も持ち合わせてはいない相手だったが、
人間とは思えないような下種な顔つきだったので、

「あ、こいつ悪魔だ」

と思った次第である。

その悪魔がこう言うのだ。
エクセルでAltキーを押しながらI、P、Fの順にキーを押すと、
画像が一瞬で引き出せる。

それを聞いた私は悪魔に言い放った。
そのくらい知ってる、馬鹿にするな。
これでも社会人三年目だぞ、と。
すると悪魔は、あら、そうごめんね?と言っておどけた。

でも、じゃあこんなのは知ってるか?と言うので何だ、と聞くと、
人間にもショートカットというか裏コマンドが設定されている。
と、こんな事を言い始める。
私はそんな馬鹿なと思ったが口には出さなかった。
私が黙っているのを良い事に悪魔が話を継いだ。

「人間の男の体はな、
 右の肩の関節を外されて三秒間以内、
 耳元で好きだと言われると、
 その相手の事を好きになってしまうんだぜ」

目が覚めたとき、
私の体は一つぽつんとベッドの上に転がっていた。
無論ベッドの上は愚か、部屋の中にも私一人だ。
私の部屋の、私のベッドの上。
いつも通りの出勤前の朝だった。

私は週二回のペースで総合格闘技のジムに通っている。
従妹から誘われて入ったジムだ。
ジムの会員は全員女性。
しかし私を勧誘した肝心の従妹は会社の転勤でいなくなってしまった。
元来私は運動が得手ではなかったが、
実のところ体を動かすのは嫌いではないらしい。
トレーニングを重ねて少しずつ動くようになった身体も後押しし、
私はそのジムに通い続けている。

「肩の関節を外す?」
「そうなんですよ」

私はジムの先輩、
みゆきさんに夢の事を乾燥気味に話した。
正直夢の内容には私自身、呆れ以外の感情の持ち合わせは無い。
しかし馬鹿な話ほど誰かに話したい時がある。

「そいつ悪魔だったんですけど、
 そんな事言ったんですよ。本当変な夢見たな、私」
「で、左の肩の関節を外して何秒以内って?」
「右です、右の肩です。
 右の肩の関節外して三秒以内に好きだって言うんです。」
「あはは、なにそれ馬鹿みたーい!」
「ほんとですよ、私なんて夢見てるんだろ、アハハ」

みゆきさんの笑い顔を見て私は改めて、
自分は何て夢を見たんだろうかと自責した。
しかし自責なんて背負っていても気が滅入るだけである事は分かっている。
その日は思いっきりジムで汗を流して何も考えないようにした。

ジムに通っているのは火曜日と金曜日である。
みゆきさんに夢の話をしたのは火曜日で、
金曜日にまたジムで会うと笑いながら、

「アキちゃん、誰かの関節外した?」

と聞かれたので、

「もうーやりませんよそんな事ー」

と笑って返した。

その次の週の火曜日、
みゆきさんにまた会うと開口一番こう言われた。

「すごい」
「え?」
「あれすごいよ」
「はい?え? 
 あ、この前言ってたタルトの店ですか?行ったんですか?」
「ちがう、肩の関節外したの」
「       は?」
「この前の土曜日、彼から別れようって言われたの。
 もうずっと考えてたんだ、でも言い出せなかったって。
 で、私、ずっと彼がそんな事思ってたなんて…普通判らないよね?」
「え、ええ?はい……はい」
「でもアツシが本当にね、あ、ごめん、彼の名前ね。
 アツシが本当に別れたいんだ、って言って、
 なんでそんな事いきなり言うの、
 私は彼女なのに、なんで言わないの、そういう違和感とか、
 まず私に言いなさいよって」
「はい、はい」
「でもアツシ、本当に別れそうな目をしてたから、
 そこでなんでかね、あの、アキちゃんの話、思い出して」
「…外したんですか?肩の関節外したんですか?」
「外した」
「え?それで…?」
「ごめん、俺が間違ってたって…今の言葉は忘れてくれ、
 もう一度お前と愛し合いたいって」
「…嘘ですよね?」

と尋ねた瞬間、みゆきさんの目の下が少し腫れている事に気が付いた。

「…え?マジっすか?」
「私舞い上がっちゃって、twitterに呟いたら」
「え?え?彼氏の肩の関節外して好きって言ったらヨリが戻ったって?」
「そうそう、そしたらリツイート二万超えて」
「は?二万?」

悪魔の法はヒトの下法。
針先で皮膚の一部をひっかき、そこから火炎が燃え上がるが如く、
私が夢で悪魔に教えられた恋愛の裏コマンドは瞬く間に世間に広がった。

「おい、お前知ってるか?なんでも最近の女、ヤバいらしいぞ」
「ああ、知ってる。肩の関節外されるんだろ?」
「しかも何故か外された男は訴えもしないで、
 それを目撃した周囲の人間だけが心配そうにしてるとかって」
「ああ、どうかしてるよな」

満員電車の東京メトロ丸の内線で、
そんな事を話している男性の声を耳にした。
私は内心そんな馬鹿な、と思っていた。
私は関係ない、私は関係ない。
きっとみんな嘘を吐くのが大好きなんだ、そうやって退屈を凌いでるんだ。
こっちはそんな暇は最近ないのに。
なんか新しく始まったプロジェクトが結構納期ないらしく、
ジムに行くことも少なくなってしまった。会社を出る時間も相当遅い。

ある日私が、
「はぁ、今日もこんな時間か」
と首を下に折りながらエレベーターを待っていると、
開いたドアの中には既に先客が入っていた。
一人の女性社員と男性社員だった。
時刻は夜の十時過ぎ。
十時過ぎのエレベーターの中で、
一人の男が女性に肩の関節を外されていた。

「あ」
「……」

苦悶の表情を浮かべる男性(名前知らない、別部署の人)の上で、
不味いものを見られた、と言った表情の女性と目が合った。

「…それ肩の関節外して三秒以内に好きって言わないと効果無いですよ」
「えっ?えっ、うそ」
「いや、本当です。あっ多分もう」
「えっ、えっ、待って待って!あの私!倉田君の事!前から、ずっ」

スーッとエレベータのドアが閉まり、
中から声はうんともすんとも私の鼓膜を揺らさない。
最近のエレベーターはまぁ頑丈というか、密に出来てるものだ。

しかしエライ事になったと内心私は冷や汗をかいていた。
目の当たりにすると凄い絵面だった。
まさか、こんな事が今世の中に広まっているというの、本当に?
私は死刑台に上がるような心地で家へと向かい、
恐る恐るgoogle先生に尋ねてみた。

[ 肩の関節を外す 男性 告白 ]

「ヒィッ!」

すると出るわ沸くわ、検索ヒット数の酷い事よ。
地獄の窯から顔を覗かせる餓鬼達にも負けず劣らずの数が現れた。
私は一瞬戦慄したが、一分ほど固まっていると、こんな事を思い始めた。

そっか、みんな、好きな人いるんだ。
晩婚化だのなんだの言われている昨今、
「こちとら恋愛なんてろくにしてないわよ、
 だって仕事が忙しいんだもん、出会いが無いんだもん。
 結婚の心配をするくらいなら会社よ、給料じゃなくて婿よこせ!」
そんな事を常に口にしているような女性も最近は少なくない。

けれど、皆、ちゃんと肩の関節を外したい人いるんだな。
私は少し変な感覚かも知れないが、安堵の気持ちを覚えた。

では、私は?

勿論、いるよ。
私だって肩の関節を外したいお相手がいる。
同じ部署で同じチームの先輩なんですけど。

私が入社した時に教育してくれた先輩で、
この先輩が本当に人に物を教えるのが上手なんです。
褒め方もなんかこう、
大げさにとにかく褒めればいいんだろ、みたいな感じじゃなくて、
とても穏やかな口調で、

「おっ、よく頑張ったね」

とか、

「この前のデータ感心したよ、上手になったね」

とか、
ええ、私も判ってはいるんですよ、
後輩を育てるための褒め言葉だって言うのは。

でもそんなの、
ろくに男に褒められた事も無い女が何か月も何年も言われてよ?
先輩として慕うだけの心に拍車がかかっても仕方ないよ。
Bボタンキャンセルなんて出来ない。
あ、何か違う?ごめんポ〇モンは実際やったことないの。ごめん。

ひとまず私の事は横に置いておいて、
新宿、渋谷、池袋に上野などの人口密集地帯では、
男性の悲鳴がよくあがるようになった。

男性は本当に気の毒な生き物だ。
なんだかんだ、まだ社会で重要な役職などについてるのは、男性が多い。
別にそれにとやかく言うつもりは私自身にはない。
しかし、重要なポストについているが故に、夜は帰りが遅くなる。
賢明な皆様方におかれては私が解説する必要もないと思いますが、
まあ、仕事に疲れた男性が、
女性によって遅い帰りの夜道に襲われる運びになるわけで御座います。
仕事を夜遅くまで片付け、疲れて家に帰る際に肩の関節を外された。
そんな話も随分と増えたのだが、だからといって早く帰る訳にもいかない。
会社には仕事がたんまりある。それを処理しなければいけない。
仕事を誠実にこなして帰り道に関節を外される男性が私は本当に不憫に思えた。

そしてまた金曜日がやってきた。
ジムには今日も行けない。
しかし明日は土曜日。
今日さえ乗り切れば、明日はなんとか休める。
そんな気概でデスクに向かっていると、もう時計は夜の十時を回っていた。

「まだ頑張るの?」
「えっ」

声をかけてくれたのは先輩だった。
私が肩を外したくてたまらない先輩だ。

「もうみんな帰ったよ」
「えっそうなんですか?」
「ヤローどもは最近物騒だからって早々に帰ったし、
 女の子達も彼氏と飲みに行ったのかな」
「あー」
「片岡さん、まだ頑張るの?」

なんだ、みんな帰ったのか。
じゃあもう私も帰っちゃうかな。来週でもまだ間に合う内容だし。

「そっか、帰るんだったら、一緒にご飯食べる?
 最近頑張らせちゃってるからね、おごるよ?」
「えっ。あっ、もう帰ります、ご飯行きますっ」

そうして会社帰りに先輩と二人きりでご飯を食べていると、
友達から聞いた話を思い出す。
どいつもこいつも皆どんどん男の肩を外して幸せになっていった。
とある出席した結婚式では、

「二人の出会いは道端で肩の関節を外された事から始まりました」

なんていうウエルカムムービーが流れた事もあった。

皆はずるかった。
次々と好きな男の関節外しちゃって。
そりゃあ私だって総合格闘技やってるよ。
でもね、私、体格がめちゃ小さいの。
男性の体に組み付こうとなると、かなりハンデがある。

先輩だって、決して小柄な方じゃない。
175cm以上ある長身に、がっしりとした胸板。
私、どちらかというと先輩に私の肩の関節を外してほしい。
優しくゆっくり、痛くないように外してほしい。

でも、あの夢に出てきた悪魔、
女性の場合に関しては何も言わなかった。
ただ外されるだけで終わるかもしれないけど、
でも先輩、私の関節でよければ外してくれませんか。
私、もうずっと先輩の事が。

そんな事を思いつつ先輩と一緒にご飯を食べ終わり、
お店を出て寒い風に当たると、ふと我に返った。
何を考えてるんだ、馬鹿か。
男が女の肩の関節外してどうすんの。逆じゃなきゃ意味がない。
私は先輩と二人並んで駅までの道をトボトボ歩いた。

橋だ。
橋があった。
駅までの道すがら、
まばらに刺さった電灯のおかげで、変に薄暗い橋がある。
その橋に先輩と二人、足を踏み入れた時、
私に悪い考えが浮かんでしまった。

「  あ」
「ん?どうしたの片岡さん?」
「こ、コンタクト…落としちゃったかも…」

嘘だ。
真っ赤な嘘だ、血で塗りたくったような汚い嘘だ。
だって私、コンタクトしてないもの、裸眼で視力2.0だもの。

「お、動くな動くな、ちょっと待ってろ…」

と立ち止まっている私の目の前に先輩が屈みこむ。
今しかないと思った。

「すいませんっ!」
「わっ!」

私はドン、と先輩を突き飛ばした。

突き飛ばして先輩が地面に転がった隙に、
右の肩の関節を外すしかない、これしかない!
体格が小さい私が先輩の肩を外すには!

だって、皆ずるいよ、
こんなに小さい私が男の人の肩を外すなんて無理だもん。
せめて、私にあと身長が5cmあったら良いのに、
もっと図太い心があれば良いのに!
私だって、好きな人の肩の関節、外したいんだよ!
夢を見たのは私なんだよ!
なのに他の皆の方がどんどん好きな男の肩を外しちゃって、
ずるい、ずるいよ、

こんなに小柄な私が先輩の肩を外すには、
こうするしかないじゃない!

意を決して行った所業だったが、
その後の展開は予想とは違った。
「おっとと」とよろめいた先輩だったが、
余程バランス感覚に優れているのか、
上体を上げて崩れずに立ち上がってしまった。

「あ……」
「な、なにすんの片岡さん?」

もう、ダメだ。
先輩を突き飛ばしたなんて。
来週からどんな顔で会社に行ったら良いんだ。

もう、会社にいられないんじゃないの、私。
実家のりんご園にでも戻るしかないんじゃないの。
でもそしたらもう先輩には。
これまでどれだけ私に良くしてくれたと。
どれだけ辛抱強く色々教えてくれたと。
皆ずるい、私だって、

だって、私が夢を見たのに。

「先輩…」
「お、おう、どうした。」
「先輩の肩の関節、外させてください…!」

どこか遠くで、誰かのうめき声が聞こえた。男の声だった。
きっと、女に肩の関節を外されたのだろう。
先輩はきょとんとした顔をしていた。
そこで私は初めて、ああ、本当にもうだめだ、
自分はやっちゃいけない事をしたんだ、と悟った。

「片岡。」
「   はい。」
「そうじゃないよ。俺の目、ちゃんと見て。」

先輩に褒められる事はあるが、叱られることもちゃんとあった。

その際に先輩は言った、
怒られる時でも、相手の目をちゃんと見た方が良い、と。
私はもう泣きそうになりながら先輩の目を見た。

「片岡。」
「はい」

もうどんな事を言われても仕方がなかった。

「俺の肩なんて外さなくても、もっとちゃんとした方法があるよ。」
「  なんですか」
「ちゃんと、好きですって、言ってごらん。」
「   え?」
「ちゃんと、好きですって、言ってごらん。
 俺、しっかりと聞くから。」

その時、ようやく私は理解したのでした。
恋愛とはその実、二人で行うものでしたね。
独りよがりの寂しい行為では、ないのでしたね。

私、先輩の肩の関節を外して好きになってもらおうとばかり考えて、
自分の欲の事しか考えていませんでした。
最早それは恋だの愛だの、
そう呼べる代物かどうかも疑わしかったのです。

しかし先輩が、ようやく教えてくれたのでした。
恥ずかしながらこの世に生を受け二十余年、
私はようやく、気が付いたのでした。

「あの、先輩、わたし」
「うん、大丈夫、言ってごらん」
「わたし、あの、せんぱ すいませ あの」

嬉し涙だか、悲し涙だか。
次々と胸の内から躍り出る感情達の処理に追われ、
私はすっかり言葉を喋れなくなってしまった。
しかし先輩は一歩私に近づいて、

「ゆっくりでいいよ、大丈夫」

と言ってくれた。

しばらく私は日本語を喋る事が出来なかった。
ただ、泣きじゃくる事しか。
しかしちゃんと言わないと、
折角先輩が真剣に聞いてくれるんだから。
そう決心もしていたが、なかなか心は落ち着いてくれなかった。

先輩の前で泣きながら、
遠くで男性がうめく声が、また一つ聞こえた。

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