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小説を翻訳するのは好きだけどしんどい

以前のnoteに、ライティングの仕事は翻訳よりも楽しいと書きました。
私は20年以上フランス語翻訳にたずさわっています。にもかかわらず、「小説翻訳」は向いていないのかもしれないと感じるようになりました。
大学でフランス文学を専攻してからフランス語を30年勉強してきた意地やプライドがあるので、正直認めたくはないです。でも、向いていないものは向いていない。ライターとして仕事をしてみて、よけいにそう感じています。

そこで、自分の思考整理のために、どうして私が小説翻訳をしんどいと感じるようになってしまったのかをまとめてみました。あくまでも小説翻訳の話で、出版翻訳全体の話ではありません。

(以前書いたnoteはこちらです)


そもそも小説翻訳は自分の言葉で書けない

翻訳家はどこまでいっても翻訳家。著者ではありません。著者の意図を汲み取り、キャラクターを動かす。自分の色をつけることは許されません。

かといって、あまりに無色透明すぎる翻訳はキレイすぎて作家の良さが出せないんですよね。
良さを引き出せなかったら翻訳本として失格。ここが難しいと感じています。

読解力が足りない

フランス語の小説を読んでいると、何通りもの解釈ができてしまい、どれが著者の言いたいことなのか迷うときがあります。ただの読者ならば自分なりの捉え方をすれば問題ないでしょう。けれども、翻訳によって解釈を決めつけてしまうのはダメだと私は思っています。

著者本人に直接質問できる状況ならばいいですが、もう亡くなっていて聞けない場合もあります。その場合は、自分で意図を見抜かなければなりません。
私に不足しているのは、解釈に迷った部分を前後の文脈からどういうことなのかを導き出す能力。これだけ長くフランス語を勉強していても、自分の読解力はまだまだ足りないと感じています。

小説の世界に引きずり込まれてメンタルが落ちてしまう

翻訳の仕事の中には、リーディングと呼ばれるものがあります。
これは、原書のあらすじやキャラクターの特徴、感想、著者の経歴などをまとめて出版社に提出する作業です。出版社はその原稿をもとに、日本で出版するかどうかを決めます。だからリーディングはとても重要な仕事です。

私は数年前、とあるサスペンスのリーディングの仕事をしたことがあります。ところが、その内容があまりに過激かつセンセーショナルすぎて、精神的にきつくなってしまいました。1カ月以上は引きずられていたと思います。

そう、リーディングの仕事は自分で原書を選べません。どんな内容だろうと、1冊読み込んでまとめなければならないのです。仕事とはいえ、小説にメンタルを削られるのはきつい・・・
まぁ結局ボツになったので、全訳することはなくなりましたが・・・どんなにメンタルを削られても、最後まで読まなければならないしんどさを思い知った経験でした。

表現力がとぼしくて小説の面白さが引き出せない

あるミステリー小説を読み、「これは絶対に面白い!」と確信し、実際に自分で翻訳したことがあります。

ところが、翻訳したものを読んでみると、ちっとも面白くない。
原書を読んだときのワクワク感がまったくなくなっていたのです。

このとき「私が訳したら、この小説の良さを殺してしまう」と直感したのを今でも覚えています。この小説はとても読みやすく、解釈に迷うところもなかったので、面白味を消してしまったのはひとえに自分の表現力のなさ。

読んだときと同じテンションで訳すことの難しさを感じました。
(翻訳しただけで出版はされていません)

読んで楽しいと感じた本を翻訳したい

フランス小説の原書を読むのはすごく楽しいです。でも楽しいのは、面白そうだなと思って自分で選んだ本だから。

日本語の本だって、ちょっと冒頭だけ読んでみたり、書評を参考にしたりしてから購入しますよね?それと同じです。

ここまでグダグダと自分のダメっぷりを書きましたが、「じゃあ翻訳はやめる?」と聞かれたら「やめない」と答えます。ライティングと同じで、「このジャンルなら訳せる!」と感じているものがあるからです。出版本は小説だけではないですから…

今回、こうやって自分の考えをまとめたおかげで、翻訳において自分の努力すべき点と進むべき道が見えてきた気がします。
思考整理って大事ですね。

*後日談
その後、楽しいと思える翻訳の仕事に出会えました。

とてもいい本で、読んだ方からも好評です。ぜひ読んでみてください。

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