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認知症に対して麻雀ができることは限定的(という妄想の話)

リアル麻雀気味のちょっと真面目そうなお話です。

とあることで、「麻雀が認知症の予防効果がある」ということを聞いて、少し違和感を持ちましたので、そのあたりについて、つらつらと記載してみたいと思います。いつかは記事にしようと思っていたことではあります。

麻雀が認知症の予防になるとか、そういう話をする場合は、基本的に医学的な観点から証拠(エビデンス)が求められるものではありますが、今回の記事では、そういうことに触れません。いくつかゲーム類に対する認知機能へポジティブな論文がありますが、個人的には確立されたものはないと考えています。

標準化された認知機能の測定方法もありますので、麻雀をプレイすることの正確な認知機能への影響は、その測定方法にしたがって、経時的にそれなりの期間を経て、効果の有無が判断されるべきと承知しています。今回は私の妄想と推察で原稿を書いています。

麻雀をして頭を使えば、脳内の血流が上がったり、部分的に活性化したりすることは、そりゃ当たり前の話で、そういう一時的な変化を観察することが、「麻雀=認知症予防に寄与」とまでは言えないでしょう。腕立て伏せを30 回やれば、汗が出たり、体が熱くなったりしても、短期的に筋力が付くわけではないということです。

一方で、「継続的に」雀荘に来ているから「認知症」になりにくいと言えるでしょうか?

麻雀に向き合う姿勢がいい加減であれば、大した脳トレにはならないでしょう。2人で1対1の対戦をする将棋や囲碁と違って、麻雀は原則4人でするものですから、その責任や注目が4人で分散され、あがったり振り込んだりする当事者にならないこともあります。麻雀のレッスンでなければ、いい加減に打っていても、また、ミスして自分の手役が進まなくても、他人が経過を見ているわけではないので、途中経過で干渉されたり、批評されたり、レクチャーされたりして、改善の機会を得ることなく、時は過ぎていくでしょう。

麻雀にやる気がなくても、意外と単純作業をやっていたら、勝てる時もあります。その勝利は、脳を活性化させていることや、やる気があることに連動していないかも知れません。すなわち、卓に座っていること自体が認知症予防にはならないということです。麻雀は、将棋や囲碁と違って、惰性で打てる余地が多いのです。認知症の予防を麻雀に求めるならば、「麻雀が認知症の予防効果がある」というのは、当該プレイヤー自身の能動的な活動が必要ということを言っているのだと思います(鍛える筋肉の部位を意識しながら筋トレすること)。

ただ、高齢者が、わざわざ雀荘に通って、普段と同じように麻雀を楽しく打てている状態であれば、その高齢者は健常者であり、基本的に認知機能に対して、取り立てて心配する必要はないと思います。雀荘に通っている段階で、認知症の危険因子と言われている「運動不足」や「社会的孤立」のような項目を回避できたり、健康麻雀であれば「喫煙」を回避できたりするかも知れません。それが「麻雀=認知症予防に寄与」なのかも知れません。比較的健康であるにも関わらず、高齢者が病院にコミュニティを求めて頻回で通っていることがあるように、ひとたび雀荘に行けば、麻雀仲間がいたり、話し相手がいたりするということは、生活にハリが出るというものです。

麻雀は認知症の予防になるというよりも診断に利用

若い時から麻雀で継続的に遊んでいる人であれば、加齢に伴い、その打ち方に「良くない変化」が出てきて、それにより脳内の変化を観察できるのではないかと考えました。すなわち、麻雀の対局がうまくできなくなってきたり、対局者とトラブルが多くなってきたりする変化の表れです。

ただし、脳機能が衰えても昔覚えた麻雀のルールは覚えている可能性があることも考慮しつつ、そういうことが観察されない場合でも、認知症が進行していないとは言えないこともあるでしょう。

もともと麻雀のルールは複雑で、雀荘においては一般にマナーや決まり事が多いので、プレイヤーはそれら環境への高度な配慮が必要です。これらが次第に欠落していくことが、脳機能の低下を示す1つの指標になるかも知れないと考えました。麻雀は、生活上で見られる認知症の早期診断に寄与しそうな気がしています。

そこで、どういう状態になってきたら、認知症のような脳内の変化を疑ったら良いか、「麻雀の観点」から妄想してみました。

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▲妄想的に思いついた観察項目の例 (もしかしたら、私は自分で自分の墓を掘っているかも知れません)


健康麻雀のような雀荘は高齢者の受け皿になっている面があるかも知れません。病院に行くほど不健康でもない高齢者にとって、身近なコミュニティになりえます。少し心配なのは、雀荘に来ることができるのは、麻雀ができることがある程度の条件になると思います。身体の健康に関係なく、上記の認知的な症状により、常連だった当該雀荘とトラブルが発生して、ひとたび出禁にでもなろうものなら、その人は「社会的孤立」を強め、認知的症状が一層進んでしまうかも知れないという恐れです。雀荘は老人ホームではないので、そのような高齢者は行き場に困るかも知れません。

今回はリアルな麻雀の記事を記載しましたが、リアルとネットマージャンでは環境が異なるので、ネットマージャンでは、上記の私の妄想は、さらに該当しないことが多そうに思います。またいずれ、時間があって、思いにふけることがあれば、同じ観点でネットマージャンについても考えてみたいと思います。

なお、私は捨て牌の選択に迷ったら、一切の脳活動を止め、敢えて何も考えず、“無心”の状態になるように心がけています。(・・・それがマズいのでしょうね・・・)

おしまい


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