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読書日記(20240413)〜「明日の食卓(椰月美智子)」このお母さんは私かも

完全に「セレンディピティー」で出会った本だ。
図書館で「今返却されました」という棚があり、文庫本の裏表紙でなんとなく手に取ったんだけど、身につまされてしまう。解説、上野千鶴子大先生。おお…。
読んでよかった。

テーマは「虐待」。重い。
https://amzn.asia/d/4W34ny6


最近、小説(フィクション)から離れていたけれど、小説家の皆さんが「読者に読ませる力」は、やっぱり別ものですね。ノンフィクションやジャーナリズムがもちえない「描写力」の大切さ、心から感じた作品だ。会えてよかった。


1.このお母さんたちは私かもしれない

この作品がすごいところ。「この人たちは、私かもしれない」と思わせる人物が多く出てくることだ。
日々、つらいこともありながら子育て中の、ペルソナとしては、どこでもいそうな3人のことなるタイプの母親(専業主婦で良妻賢母/シングルマザー/共働きワーママ)が描かれている。

息子を殺したのは、私ですか?
同じ名前の男の子を育てる3人の母親たち。
愛する我が子に手をあげたのは誰か――。
辛いことも多いけど、幸せな家庭のはずだった。しかし、些細なことがきっかけで徐々にその生活が崩れていく。無意識に子どもに向いてしまう苛立ちと怒り。

「明日の食卓」文庫本の裏、紹介文より

上記のように紹介されているが、「息子を殺したのは、私ですか?」という問いは、登場人物ではなく、「自分」かもしれない と思ってしまう。そう、この作品は、子殺しをする母親(しかも、ほんの数秒待っていたら、結果が違っていたかもしれない)が出てきてしまう。(ここから先はネタバレなので、作品でぜひ楽しんでほしい)

私のこと。
正直にいうと、上の子の時は、子どもがおなかにいることがわかっても、わたしは子どもを愛せるか自信がなかった。母性なんてもの、どうやってでてくるんだよ。と思っていた。

なのに、出産を終えて数時間後、やってきた赤ちゃんは、自分でもうまく説明できないんだけど、想像以上の破壊力で私に母性(以外に何か言いようがあるとしたら、「いとしい」とかだろうか)っぽいものをもたらした。

そしてかわいさも愛しさも心強さも(古)は5歳になった今、当時よりアップデートされて、超絶かわいい。口達者なおませさんの発言が毎日、面白い。

しかし、それと同じくらい、しんどい。
文字通り、人生(=時間)を子育てにささげている感覚がある。
わたしの感覚だけど

普段の状態:超絶かわいい:子どもかわいくない=8:1.9:0.1

くらいであらわれる。いや、こんなにくっきりわかれるもんでもないので、表現としてうまく言い表せていないのだけど。

「子どもがいなかったら楽なのに」とか「もう疲れた」「なんでこんな上手くいかないの」などなど、ネガティブな感情に襲われて、子どもから離れてしまう(トイレに引きこもる等)ことは、たびたび(1日に1回5分くらい)はある。

「母親たるもの、つねに母として笑顔でおだやか。感情的に怒るのではなく諭すのです」みたいなナゾの良妻賢母像(母性神話とも言っていい)が私のなかにいつも、のしかかっている。
全国の母性神話信者の皆様、すいませんね、母親失格で。(やさぐれてる時)

でも、その呪いがまた、母親を追いつめると思う。今考えると、ヒステリックな人に思えていた自分の母親をも、追いつめたんではなかろうか。

母は、20代半ばで出産した。当時ではごく平均だけど、20代半ばといえば私が入社して2〜3年である。
若かった女性に、そんなカミサマみたいな役回りを願っていた。ごめん。決して、元来子どもが好きなタチでもなさそうなのにね(笑)

2.特に男性陣! 母親に理想を求めすぎだよ

最近、16歳の少女が一人で子どもを出産、子どもを遺棄した、というニュースを見た。それ自体は非常に痛ましい事件で、出産した一人の女の立場からすれば、出産自体が大きな交通事故みたいなしんどさを伴う。それを16歳の女の子が一人でやった、というだけで、涙が出そうだ。

ただ、私はニュースについたヤ⚪︎コメに目を疑った。
おそらく男性と思われる人たちだと思うけど、「なぜ男性に責任がないのだろう」というコメントに対し、16歳の女の子を責める言葉が乱立していたのだ。

「絶対、男側にも責任を」という声が出るだろうと思ったw“
“この場合、この子が援助交際してたかもしれないし、不特定多数で父親が誰かわかんなかったかもしれないだろう“
“売春だったら女子高生に罪あるし、男関係ないじゃん”

こんな感じだ。
ふざけんなよ。怒りを覚える。

ドラマ「コウノドリ」で、ソーシャルワーカーの向井さんのセリフを思い出す。
多分、こんなだったと思うけど。

みんな子育て美化しすぎです。

子育てもそう。子どもを宿した女性に対してもそう。美化しすぎだ。

3.子育てを孤育てにしたくない

今回の作品で出てきた母親は、みんな子どもを愛していた。
一方で、ダメな(無責任な)父親が出てくる。

私はいっとき仕事に突っ走りすぎて、父親に多くの負担をかけてしまったダメな母親なので(今、猛反省中)、むしろダメ父親に近い。
私の大きな誤りは、子育てを孤育て状態にしかけていたことだった。
そして、この作品でも、そういった描写が多く出てくる。

「子どもは社会で育てるもの」というよくある標語みたいなものがある。
しかし、まだまだこの社会は「子育ては家庭で」になっている。

しかし、もっとすごい言葉で、立岩真也さんの言葉だったと思うのだが(この間読んだばかりの受け売り)、「親だけで子育ての責任を取らなくていい」という衝撃的な趣旨の発言があった気がする。

日本の法律には、「親に子どもの監督責任」があるので、法に照らせばそれは誤りかもしれない。しかし、それが親を、特にお母さんを追い詰めていないか。
また、「死ぬ」レベルにならないと、結局、問題にはならない世の中じゃないだろうか。それまで助けて、といっても、なかなか助けてくれないんである。

この本、そして映画(見ていない)は、そんな社会を描いてくれている気がする。とても、伝わりやすい形で。

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