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#45 向き合うということ

誰かとけんかした、もしくは何かをきっかけとして気まずい関係になった。

あなたなら、時と場合と相手にはよるけど、どんな対応をとる?



①話し合いや殴り合いをする

②そのまま何もアクションを起こさない


殴り合いって荒いなあなんて思っちゃいます?(笑)

世はぶつかるか無視するかってこと。

話し合いや殴り合いをした後の結果は今はあまり重要じゃないです。

意識の話をしたいから。

それでね、大事なのはここから。


どちらが問題に対してきちんと向き合っていると思う?


あなたはどう思いますか?


私は、どちらを選んだとしても、悩み抜いた結果出た答えならちゃんと向き合っていると言いたい。

私は①か②ですっごい揺れます。

昨日は①の気分でも今日は②だったり。

イライラムカ~っとしたり自分の行いを反省したりして話し合いをしたいなって思う日もあれば、なんで自分を傷つけた人とまた話をしないといけないの?ってなる日もある。

どうして目を合わせるのですら怖い人と向き合わないといけないのって。

どうして言葉を信じることのできない人と向き合わないといけないのって。

相手が望んでいるわけでもないのに。


ここで、向き合わないといけないって書いたけど、向き合わないと自分の意志で決めたなら、それは向き合ってることになるんじゃない?

だって、こちとら毎日毎日この問題に苦しんでる。

暇になるたんびに考えてる。

めっちゃ向き合ってるやないか。

例え私がもうこんなこと忘れようって投げ出せたとしても、向き合った結果考えないという答えが出たんだから。

①に傾くか②に傾くかなんてどうでもよくて、それで十分すぎるのよ。

相手はちっとも悩まずにふっつーに生活してるんやから。

それで最近、自分が相手に対して何に本当にモヤモヤしているんだろう?って考えた時、急に言語化できたんですよね。

それが、「そもそも問題と捉えていないこと」なんです。

だから相手にとっては何でもない行動が自分にとっては驚くほど無頓着な行動に見えてしまった。

相手にとって自分の存在がいかにどうでもいいのかが分かった時、自分は一番傷ついていた。

これが、最初に示した①と②のどちらにも当てはまらない第3の選択肢なんだ。


①話し合いや殴り合いをする

②そのまま何もアクションを起こさない

③そもそも問題と捉えていない


選択肢といっても、③は②の原因の1つだ。

同じ②の結果になったとしても、③が原因なら、それは向き合っていないことになる。


結局のところ、相手が向き合ってくれないことには、自分が何を思おうと、机上の空論でしかないってことなんだろう。

あーもうやになっちゃう。

考えるのがバカらしい。


仮にも先生を目指している人が②の選択をとるなんてどうなんだって思うかもしれない。

けんかしたら必ず両者を会わせて仲直り。

これが子どもにする先生としての対応。

でも、それでも折り合いのつかない人間なんて五万といるし、子どもがするような簡単な揉め事じゃないことだってある。

そんな現実を知ったあたりから、知らぬふりをするという「大人の対応」をしだす。

それは子どもから見たら悪であり、なんで仲直りしないの?って純粋な疑問が浮かぶはずだ。

もしそう言われたら私はどうやって反応すればいいんだろう。

そんな想像をすると、罪悪感が拭えず①に傾く。

でもそんなことしなくても特に困らず日常生活を送れるなら。

もう二度と言葉を交わせなくてもいい相手なら。

それくらい相手の全部が嫌なら。



あれ、もともとそんなに嫌だったっけ。



自分の何倍も凄くて、いいところがたくさんある。

どうして嫌な部分しか見られなくなったんだろう。

②の選択をとるということは、価値観が合わない人ってことにして片づけてしまうってことなのかもしれない。

なんかそれもそれで悲しい。

って感じでまた①に傾く。

こんなループ。


今の私の思考回路。


もう、考えたくないのに。





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