見出し画像

#37 「コーチ」と呼ぶ女性

「コーチ!」

私の後ろから、そう呼び止める声がする。

いつも後ろから急に話しかけてくるから毎回驚いていて、それをけらけらと笑われるのがオチだった。

この人は、いったいなんだったんだろう。

他人と関わらずに生きたい自分の視界にふっと入ってくる彼女はなんとも不思議な人物だった。

今頃、どこで何をしているんだろう。

大学に入っていろんな新しいことに揉みくちゃにされて奥の奥の方に仕舞われていた記憶が、引っ越しの際に出てきた3回分の手紙と花束によって少しずつ呼び覚まされてきた。

そこに残されていた文章から点と点が繋がるように、一気にあの時あったことが湧き出てくる。

今回は、その不思議な出会いと別れについて話していきたい。







友達なんて、いらない


そう固く決めて予備校へ入学したのを覚えている。

馴れ合いなんて許せば、自分のペースを乱される上に、相手の方へどんどん引っ張られてしまう。

仲良くなれば愚痴だって言えちゃうだろう。ついつい一緒に怠けてしまうだろう。

そもそも私は誰かと一緒に勉強してもあまり捗らないタイプだった。

全員が合格できるはずがない受験が団体戦だなんて大嘘であることを身をもって知った私は、この1年だけは自分だけを信じて頑張ろう、そう思っていた。

もちろん、道標や原動力となったものがあったから、それでも私は耐えられた。

絶対受かってやるという気持ちはもちろん、支えてくれる元同級生2人と「好きが感謝に昇華した」人への気持ち、これだけあれば十分だった。

会えもしない人のことを想うだけで気持ちが安定するかよ、と傍から見ればそう思うかもしれないが、あの1年私は何かに憑りつかれたように希望をもって形のないものに頼って精神を保っていた。

冷静になれば叶うはずのないことも、あの時は本気で叶うと思っていた。

私は目標達成のために、とにかく突っ走っていたと思う。

そんなある日、他人に興味をもたず、前しか見ていない私の視界にとある人物が入ってくる。



***


くつ


「くつ、変えた?」


(???)

ん?これって自分に向かって話しかけてる?

いやでもそうとしか考えれんよな、今隣にいる女性の周りには自分しかいないのだから。

えーどうしよう、、、

授業が始まる前の教室で、いきなりくつなんかに着目された私は、なんかびっくりの連続だった。

「うn、変えたよ、、」

しどろもどろになりながらそう答えた。

そうすると、

「いいね!」

とだけ言ってその女性は止まった。

あっけにとられていたらチャイムが鳴って授業が始まった。

(え、今の何?)

私は予備校に入って初めて意味の分からない雑念が混じったと思う。

てか、なんでくつ変えた当日に気づかれるねん。

はてなしか浮かばないその人物が、初めて自分に認識された瞬間だろう。

よくよく思い出してみたら、いっつも必ず一番前に座る自分の2個横隣くらいに座っている女子いたわ!

なんかめちゃ重そうなリュック背負ってたわ!

点と点が繋がった。

もしかして、仲良くなりたいとでも思ってるのか?

この予備校で。

別にお互い頑張ればいいのになあ。

そんな風に思っていた。



***




予備校って慣れてくると、自由席ではあるんだけど、勝手にこの授業はこの席が落ち着くんだよねみたいな感覚が生まれてくる。

私は1番前列か2列目のうち、左側か右側かどっちにしようかなくらいの選択肢ではあったんだが。

その日もいつもと同じ席に座った。この授業の時は彼女は2つ隣に座っている。

それで、その授業の時、なんか夏だったからか知らないけどすごいゲリラ豪雨が襲ってきて、けっこう防音強いこの校舎の中にまで響いてくるくらい激しい雷が落ちていた。

あまりにも雷が落ちる頻度が多いもんだから、先生の声が全部かき消される。

その時の英語のおっちゃんの先生は誰も笑わない(私は心の中でちゃんと笑ってるよ?)のにギャグを交えながらユーモアある授業をする人だった。

だからその時も文法の覚え方を謎な語呂合わせで覚えてもらおうとしていた。

だが雷に邪魔されて思うように伝えられない。

だから拗ねてなんかぼやいていた。

でもそれすら雷に邪魔されて聞こえない。

その様子が可笑しかったのか、2つ隣の彼女は声をあげて笑い始めた。

(めっちゃ笑うやん)

思えば、この殺伐とした箱庭の中で、こんなにも気の抜けてしまいそうな笑い声を聞いたのは初めてだった。

つられてにやっとしてしまう、不覚にも。

なんだか学生の頃に戻ったみたい(まあ今も学生?なのか)

ひと時の安らぎを彼女が与えてくれたことに感謝しつつも、達成すべきことが迫っている自分は馴れ合うことはよそうと、その日も授業が終わったらそさくさと1人になれる自習室へ向かった。



***



コーチ


その女性と自分は授業が被ることが多かった。

だから、視界に入ることが増えてきて、朝会った時は向こうから「ねえ、おはよう」と声をかけてくれることがあった。

流石に挨拶することが馴れ合うとするのは無理があるし、挨拶してくれた人に対して無視するなんて人としてあれなので私も「おはよ」と返していた。

次第に、廊下ですれ違ったりしたときも、「おつかれ」と言い合えるようになった。

だがやっぱり仲良くなりすぎることを危惧していた自分は、極力目を合わさない、ではなくそもそも目が合わないように教室に入ったらずっと勉強していた。

でもそうしていても、彼女は「ねえ、おつかれ」と言ってくる。

机をトントンって叩いて反射的に顔を上げた私の目を見て。

どうしたもんか。

なんでこんなに干渉してくるんだ。

そう思っていると、彼女はその日私の隣にいた別の女子にも挨拶をしていた。

(ははーん、前に座る人=仲間 っていう意識があるんかもな)

共に頑張る一部の人と励まし合いたい、そう思っているのだろうか。

だが実際そんなことしようとしているのは彼女ただ1人であり、声を掛けられた女子も心なしか困惑しているように見える。

予備校に通う人はみな個人の勝負をしにここに来ている。

だからそんなことしても意味ないのに。

そう思っていた。

ただ彼女は挨拶しかせず、それ以外は事務的な会話以外一切話さなかった。

その絶妙な距離感は、退けたくても退けられない不思議な力があった。

だから馴れ合いを嫌がる私でもギリギリ許容だったのかもしれない。


またそれからしばらくの時間が経過して、彼女はいきなりこんなことを聞いてきた。

「名前、なんていうの?」

ポカーンとしている私を尻目に、教材に書かれていた名前を見て、

「○○?って読むんよね?ならコーチ!」

なんだか一瞬にして聞いたこともないあだ名をつけられこれまた思考をかき乱される。

「ねえって呼ぶの嫌だから」

そう言って少し笑顔で彼女は去っていった。

その間、わずか10秒ちょっとだったと思う。

ええ、、、

あだ名とかもう友達やん、、、

面倒ごとにならないことを祈りながら、その日も自習室に向かった。



***



どら焼き


週の中で一番きつかったのは土曜日だった。

朝から晩まで授業がぎっしりで、自習する暇もなく、90分ある授業を5コマも受けなくてはならなかった。

お昼ご飯だけではとてもカロリーが足りず、お昼ご飯のあとに何か食べないと最後のコマで手が震えるとかいう禁断症状が起こってしまうのだ。

だからいつも4コマが終わったあと、予備校の裏にある、梅雨には綺麗な紫陽花が咲くコンビニにサッと食べれるお菓子を買っていた。

そして買ったお菓子をたくさんの人が行き交う大きなターミナル駅のロータリーを見ながらゆっくり食べるのが土曜日のルーティーンである。

その日も、ルーティーンに従って、美味しそうだったどら焼きを食べていた。

疲れ切った心と体に、甘いものは沁みる。

(あの人に会えるかな)

ここでがむしゃらに頑張っている目的の1つに思いを馳せながら、どら焼きを頬張っていた。

すると

「コーチ!」

って声が聞こえた。

ふと横を見ると彼女がこちらに向かって歩いてきている。

「おお!」

この人はいつも神出鬼没なので、気づいたら近くにいたりする。

それに毎回驚いてしまうのだが、それを見て彼女はめちゃくちゃ笑う。

彼女も自分と同じように、休憩時間は外をウロウロするのがいいらしい。

ただ声を掛けられたはいいものの、特段話すこともない。

彼女もロータリーの方を向いて黄昏れている。

(なんか食べずらいな、、、)

そう思ったのは最初の日だけで、案外慣れてくると、この変な状況も受け入れられるようになっていった。

まあ、お互いいろんな事情を抱えてここにいるんでしょうね。

勝手に何かを悟っていた。

この時間も悪くない、そう思った。



***



誕生日


「今日ね、誕生日なの」

階段ですれ違いざまに、彼女は突拍子もなくそう言う。

「え、あ、そうなの、おめでと」

急なお祝いに顔がついていかず、しわっしわの笑顔で言ってしまった。

「ありがと」

そう言って短い階段トークは終わった。

(誕生日ねえ)

そんなこと意識してなかったなあ。

予備校にいても誕生日は来るのか、いやそれは当たり前か。

自分の誕生日も人の誕生日も興味がなかった自分にとって誕生日というワードは新鮮だった。

せっかく言ってくれたし、挨拶する仲ではあるんだから、なにか軽くお祝いできないものか。

ふと、そんな思いが頭をよぎった。

予備校に入った当初の考え方からするとありえない行動だったとは思う。

軽くとはいえ、プレゼントを渡すだなんて友達そのものだし、この1年の目標から逸れまくっている。

それでも、人には受け取った気持ちをどんな形であろうと返したいという本能があった。

それは自分が貫きたい信念よりももっと、土台の部分にあるものだ。

だから、私はたまたまもっていた裏のコンビニで当たったアイスの引換券を渡すことにした。

彼女はだいたい一日に何度も遭遇するので、その時に渡した。

ただのアイスの券1枚で、見たこともないくらい喜んでいた。

贈り物ってのはいいものね。

その日は久しぶりにほっこりした気分で過ごせた。



***



ご飯


季節はもう秋。共通テストの日が近づいてきて、だんだんと焦りも見えてくる。

でもお昼の時間くらいはのんびり目の前のご飯に向き合いたい。

この予備校生活で、裏の居酒屋でお昼時だけ500円という破格で超ボリューミーな弁当を販売していることを知り、すっかり常連になっていた。

その日もいつも通り、そのお弁当を飲食専用スペースで食べるつもりだった。

だがしかし、混みすぎていて座れなかった。

困っていると、そこに彼女がやってきた。

「コーチもごはん?」

そう言いながら彼女は飲食スペースの部屋の中を覗き、状況を察したようだ。

「裏にさ、よくご飯食べてる公園あるんだけど、いかん?」

またまた突拍子もないことを言い始めたぞ。

一緒にご飯食べるだなんて生粋のフレンドではないか。

ただ他に食べる場所ないし、断る理由ないし、運命に逆らうのもあれだし。

随分と大げさな理由をつけて、私は彼女についていった。

今日だけだぞ。そう自分に言い聞かせた。

実際、本当にその日だけだった。

公園で彼女は

「どうしてコーチはここにきたの?」

って話せば長くなりそうなテーマをぶつけてきた。

長話はあれなので、この予備校のシステムに惹かれたのと、どうしても行きたい大学があるからって答えておいた。

会いたい人がいるからって話は伏せた。

聞かれた側の礼儀?じゃないけど、私も同じことを聞き返した。

すると彼女のバックグラウンドが初めて明かされた。

祖母の家があるこの地に、わざわざ別の地方からやってきたということ。

親の反対を押し切り、家をでてきていたこと。

今まで、挨拶する人という印象だったものが少し変わっていった。

この人は自分よりもずっと大変な環境で頑張っているんだと。

なら、自分ももっと頑張らなくちゃね。

そう思えた。



***



手紙


そんな彼女とのランチタイムを経て、私の火はさらに燃え上がり、共通テスト、私学入試へと駆け抜けていった。

私学の入試中の、この時期特有の閑散とした予備校の雰囲気はなんだか旅立ちの色を帯びていた。

そんな人の気配が薄い校舎の中で、久しぶりに彼女を見つけた。

あのランチタイムから1か月は経っただろうか。その間特に何も話していない。

入試直前期になり授業もイレギュラーになっていたため、授業が被ることもほとんどなかったのだ。

久しぶりに私を見つけた彼女は待ってましたと言わんばかりに近づいてきて、1枚の紙を渡してきた。

「はい、コーチにあげる」

確かそれだけ言い残して去っていったように思う。

半分に折られたその紙を一旦ポケットにしまい、自習室の中で開いた。

そこには、出会えてよかったの気持ちが綴られていた。

勇気をもって夏に話しかけて良かったこと
挨拶するとき毎回驚かせてしまってごめんってこと
そのときのリアクションを毎回楽しんでいたこと

そして、「ささやかな幸せをかみしめることのできる日々を貴方が送れますように」

という言葉とともに締めくくられていた。

私はいつのまにか彼女にとって大事な存在になっていたのかもしれない。

私が「好きが感謝に昇華した人」を1つの道標としていたように、彼女も私の背中を見ていたのかもしれない。

幸せになって欲しいと願う人はいたが、だれかから幸せになって欲しいとこんなにも直に願われる人になれたのか。

それは嬉しいことだ。

なら、私もお返しをしよう。

私はかばんに入ってたルーズリーフを1枚取り出し、

まさか話しかけてくる人などいないであろうこの箱庭でくつの話をしてきたことに驚いたこと
挨拶されるたんびにビビッてしまってごめんってこと
受験が終わるまでは馴れ合いはしないよう心掛けていたこと

そして、頑張る人が傍にいるだけで少なからず力になっていたこと

最後に、明後日の2次試験、お互い全力を尽くして春を迎えよう!

というメッセージを加えて彼女に渡しに行った。

彼女は一瞬びっくりしていたけど喜んで受け取ってくれた。

やっぱり手紙は渡す方も受け取る方も暖かな気持ちになれるアイテムだ。

お互い頑張りましょ。そう言って解散した。

そしたら次の日彼女がまた1枚の紙を渡してきたので開いてみると昨日の手紙に対してのお礼と、誕生日にアイスくれたのめちゃ嬉しかったってことが書いてあった。

それをわざわざ文章にしてくるあたり、可愛いなあとか思ってしまった。

ただこれにお返事なんてしてたら最後の追い込み時間が削られるし、きりがないので貰った気持ちを力に変えて、私は2次試験まで突っ走った。



***



再会


その後無事2次試験も終えて、予備校には通わなくてよくなった。

かといって一応後期の対策もしなくちゃで、たまーに行っていた。

季節はもう3月で合格発表の日は迫っていた。

あの思い出の卒業式からついに1年か、、、

時の流れの重みを実感しながら、私は後期の小論文対策用の本を探しに、駅前の本屋さんに向かった。

しばらく本屋さんをウロウロしていると、なんと目線の先に彼女がいるではないか。

向こうも気づいたらしく、びっくりした顔をしていた。

2次試験が終わってから予備校内では見かけなかったので本当に偶然だったのだ。

まずはお互いにお疲れ様を言い、長いようで短いこの1年間を振り返った。

そして、彼女がもうすぐ実家に帰ることも知らされた。

「見送りに来て欲しい」

そう言われた。

それは合格発表の2日後だったので、もうすべてが終わった後ということで、断る理由なんてなく、行くことにした。

その時、同時にLINEの交換もした。

彼女のLINEは、なんというか、文明の利器を手に入れた人みたいに、不慣れな印象をもたせた。

「LINEは苦手で」

そう言っていた。

「5日後の夕方、新幹線改札で」

そんなメッセージが帰ったら残されていた。



***



花束


待ち合わせ場所に行くと、そこには3色の花束をもった彼女がいた。

近づくと彼女は嬉しそうに手を振っている。

「何色がいい?」 

手にもっていた3色の花束を差し出し、私に選ばせてくる。

正直だいぶ戸惑ってしまったと思う。

そんな高尚なものをもらう程のことを私はしてきたのだろうか。

ただ貰わずに枯らしてしまうのも、、、

赤、青、黄と卒業式でもらうようなサイズ感の花束をみて、流石に赤はもらえないなぁとか思って、青を頂いた。

「赤じゃないの?」

そうニヤニヤしながら言う彼女を見てたら私も笑ってしまった。

別れ際、彼女は1つの封筒をくれた。

今までのような簡易的なものではなく、ちゃんとした手紙だという。

それを受け取って彼女の旅立ちを見届けた。

確か最後に

「おめでとう」

と言っていたように記憶している。

彼女は私が志望校に合格していたことを知っていたのだろうか。

それはそうと、なんで私は彼女の合否を聞かなかったんだろうと後悔した。

その時は、「好きが感謝に昇華した人」からの最後のLINEが届いていてそれどころではなかったからかもしれない。

私の意識は完全にそっちに寄っていた。






厚い封筒に入っていたその手紙には、今までの感謝の気持ちが綴られていた。

奇しくも、私が「好きが感謝に昇華した人」に向けて書いた手紙と大筋の内容が一致していた。

感謝ってのは巡り巡るものなんだなぁとしみじみ。

まぁ最後に大好き!!って書いてあったのは見なかったことにしたんだけど。




この一連の記憶は、日を追うごとにそっと頭の奥の奥の方に仕舞われていき、今こうやって棚の奥を漁るようなことをしないと思い出しもできないような出来事になっていったのは確かだ。

大学生の今こんなことが起きればしばらくは鮮やかな色をもって考え事の中枢をウロウロするくらいにはなりそうなのに。

どうして、何かに向かって必死な人間の心には、他者が入り込むスキが自然と失われるのだろう。

もしかしたら、私は「コーチと呼ぶ女性」に申し訳ないことをしていたのかもしれない。

彼女と交換したLINEだって、待ち合わせのために使っただけで、気づいたらトークから彼女が退出してしまっていた。

手紙の中で、文通をしない?って実家の住所まで書いててくれたのに、未だに1通も送れていない。

罪なことをしている。

引っ越しのとき見つけたその手紙を見て最初に浮かんだ感情はそれだ。

新しいことに飲み込まれて、埋まってしまっていた。

本当は大きな支えの1ピースだったかもしれないのに。

小さな出来事の積み重ねではあるけど、確かにあの空白の1年で彼女から受けた影響はあった。

それに対してのお礼を、まだできていない。

今からでも、遅くはないだろうか。

やってみるか。

不思議な人だったけど、たくさんの魅力をもった「コーチと呼ぶ女性」に幸がありますように。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?