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#30 思い出と音楽

思い出と音楽

昔どこかで聴いていた曲をあるとき聴くとその頃を突然思い出す不思議な感覚になったことはないだろうか?

それも背景情報もバァーっと頭の中に広がっていき、その時の懐かしい気持ちまで蘇ってくる。まるで昔の自分と同化したみたいに。

とくに春のポカポカした時期の曲ならなんとも暖かい気持ちに、冬の雪が降っているときに聴いていた曲ならなんとも切なく、胸が締め付けられる。

思い出に浸ると共に、過ぎ去った時間の重みに泣けてくる。

でも忘れたくない、大切なもの。

こんなことが、きっと年を追うごとに増えるんだろうな。


人生の節目に流すエンドロール


小中学校の下校中、「セルフエンドロールごっこ」をしていたのを思い出した。

映画の終わりに必ず流れる、エンディングテーマ曲と共に、黒い背景(映画によってはその映画のワンシーン)の上に携わったすべてのスタッフの名前がスクリーンの上から下へと過ぎてゆくあれ。

あれを見ながら余韻に浸る時間が映画の醍醐味ですよね。

その感覚に惹かれたのか、遠足、運動会、学習発表会、卒業式など、節目のイベントごとが終わった日の帰り道で、今日見た情景を浮かべながら適当な曲をつけて頭の中でエンドロールを流すのにハマっていた。

1人の時しかできなかったが。(隣に人がいると集中できない)

特に卒業式の時なんかは想像が膨らみましたね。

監督演出を誰にしようかなとか。

背景を今までの写真(自分の目で見たもの)にして。

もちろんキャストはクラスのみんなです。

こんなことを考えながら帰るのが好きだったなあ。


思い出の長さは115万キロ。

official髭男dismの「115万キロのフィルム」という曲です。

この曲の歌詞ほんと綺麗というか比喩が素敵というか。

私の心を奪っていきましたよ。

なんだかこの曲ができる以前に、私は思い出を映画のように捉えていたからすごい共感できたのかもしれない。

自分の目でみた景色を自分の頭の中で映画として再生する。

すごくいいです。

エンドロールなんてもん作りたくないってこの曲は言うけど私は節目節目に作っちゃってますね(笑)

私の死に際には、それはそれは綺麗なエンディングを作りたいなあ。

そしてそれを、大切な人の心に映せたならもうなんの後悔もありません。

最近は大切な人のプレゼントに映画のフィルム状のものに写真を貼るやつやフォトブック的なものを渡す人がいるそうですね。

それの上位互換みたいなものを私は望んでしまうのだ。


さて、そのためにも、「見どころ」たくさんの人生にしなくちゃね。

たまに昔のことを音楽で思い出すこともあるけど、思い出すから思い出。それもぜんぶ受け止めて、進みましょ!

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