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やさしさで人は素直になる

ずいぶんと前のことだけれど、ぼくは嘘をつくことが多かった。
かっこつけたくて見栄を張るためだったり、自分に悪い評価がされないための回避策として。

学生時代からそうだったけれど、新卒で入ったところでは特にひどかった。
初めて働いた場所は人の少ない設計事務所(上司=社長の世界)。細かな仕事が求められ、ミスのほとんどは許されないような環境だった。
例えば、線の太さが決められていたものと異なっていると数時間に渡る説教がされる。ちゃんと確認してる?なんでこんなこともできないの?という内容をもっときつい言い方でずっと。いちばんきつかったのは、お前の親はどういう育て方をしてきたんだろうね、と笑いながら言われたとき。何も言い返せなくてただうつむいていた。

これを数回経験していると、どうしても回避したくなる。怒られると次のミスが怖くなって改善しようと入念にチェックしていると仕事が遅いと怒られる。焦って早くしようとするとまたミスが起きる。だから、どうにか怒られずに済むよう取り繕えないかと考えた。そして、だんだんとぼくは嘘で怒られることを回避するために頭をフル回転するようになってきた。
怒ってくる社長からは改善しろ!と言われ、ぼくは回避するための嘘をひたすら考える。ただ悪循環にハマっていくだけだった。

新卒で入ったところは、この悪循環を半年続けたところで終止符が打たれた。
ある朝、意識はあるけど体を動かすことができずただただ涙を流していたことをきっかけに。
死にたい、死ねない。早く起きないとまた怒られる。行かなきゃいけない。行きたくない。どうしよう。。。

その辺りの記憶は今でも結構曖昧で、どうにかして電話をかけ
「すみません」とひたすら言い続けていたことだけ覚えている。
最終的に少し休みをもらうことになって、その間に心療内科へ行った。
医者には適応障害と言われ、少し安心する自分がいた。
もらった診断書を郵送し一旦は休養という形になったが、落ち着いた頃に退職の意を伝えてそのまま辞めた。やりとりはすべてメールと郵送で済ませ、職場には一切行かなかった。

3ヶ月の空白期間を経て、東京のベンチャー企業に入った。
また同じことが起きるのではないかという恐怖はあったものの、それを理由に何もできないのも辛かったから、這いつくばってでもやってみようと覚悟を決めて入社した。その会社に入ったことが転機になったと今では思う。

新しい会社はいわゆるホワイト企業に近いものだった。基本的に定時上がりで、社内の風通しも良い。何より上司に恵まれていた。
働きやすさはもちろん段違いで良いのだが、何よりその上司がぼくに安心感というものを与えてくれた。

入社して数日、軽いミスをした。ぼくはその時とても焦った。また怒られてしまうと思ったからだ。
ミスを報告して謝罪をしたとき、上司の対応はぼくと思っていたものと全く違った。
「だいじょうぶ」「人間なんだからミスをするのは当たり前だよ。大事なのは、同じミスを起こさないようにカバーしていくことだから。」
「なんでそんなミスが起きちゃったのか一緒に考えてみようか。君はどう思う?」
全く、怒られることがなかった。

怒られないということがわかると、ミスが起きたときに素直に話すことができた。こういうことが原因だと思う、こうすれば改善できると思うと付け加えて報告できるようになった。そのたびに、いいねいいねと聞いてくれた。この人は大丈夫だと思えるようなやさしさを人に与えていると、おのずと素直になれる。この一連の経験でぼくが学んだ大きなことだ。

googleは効果的なチームのとは何かを知るために調査をした。その結果の中に、「心理的安全性」というものがある。上司がぼくにしていたことは、心理的安全性の提供だったのだろう。

気がつけば、ぼくは嘘をつくことがほとんどなくなった。プライベートにおいても。
それは間違いなく怒らなかった上司のおかげだ。やさしさで、素直になれたのだと思う。
そして、その1年後ぼくは管理職になり部下ができる。今度はやさしさを与えることになるのだけれど、与えられたやさしさは伝播していくことに気付く(また時間があれば別記事で書こうとおもう)。


もしやさしさのない環境に遭遇したときは、逃げることも一つの手段だ。少なくとも、ぼくは逃げることで救われた。

前の会社で学んだやさしさは、きっともう失わないだろう。
やさしさを与えてくれた上司には、ぼくがお店を始めたときにこの経験で救われたことを伝えようと思っている。

いやあ、ほんとうにお金なくって困ってます。ははは。 いただいたサポートは、いつかお会いした時にコーヒーで返しますね。ありがとうございます。