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若者に生きづらさを抱かせる国

こんにちは!😊

今日は思っていることをだらだら書いただけなので、文章力が低いですが、ご了承ください。

さて、今日は私が思っている日本のことについて話ます。

日本は、今や先進国として技術力ではトップを走り、街の発展ぶりや人々の生活の豊かさを見ても、非常に素晴らしい国だと思います。しかし、働いている人、1人1人に目を向けて見ると、みんなどこか疲れていて、楽しくなさそうで、あまり笑っていません。現代の日本の政治などのニュースを見ていても、話している内容は薄く、この国が良くなる方向についての話をしている様子は全く伺えません。聞こえてくるのは、誰が言った言わないとかの「説明責任」。小学生の喧嘩を見ているかのようなで大変呆れてしまいます。国の政治を担うトップがこれなのだから、政治家に頼っていてもバカを見るだけです。政治家の「この国を良くする!日本の為に」と言った言動が行動に変わる事はありません。だったら自分の力で生きていく方法を考えてみるのもありなのではないでしょうか。
電車に乗っていると、私と同じ年代のサラリーマンの方をよく見かけます。しかしみんなつまんなそうにしてたり、疲れ切った顔をしてる人ばかりです。私は、別に他人の人生なのでどうでもいいのですが、果たして「この人は本当に幸せなのかな?」と思うことが多々あります。(笑)    現代人は会社や組織の貢献ばかり考え、自分が享受することを忘れてしまっていると思う。
こんなことを言うと、「仕事は楽しいことばかりじゃない」、「みんなやりたくない仕事をやって生活してる」などと言われることがありますが、果たして本当にそうなのでしょうか。やりたいことを仕事として生きてる人もいるわけだし、自分が出来なかったことを、未来ある若者に「常識」として、植え付ける人がこの国は特に多いように感じます。
しかし、このような日本社会の中に根強く残っている古い考え方や「常識」を、変えることは難しいでしょう。また、幼い頃からそのような教育をされ続けると、洗脳され、あたかもそれが正しく、「常識」であるように思えてくることでしょう。ですが、一度その「常識」を疑い始めると面白いように崩れ出します。この疑い始めるきっかけが私は、海外の文化に触れたことでした。

海外に出ることは日本を知ること

私も海外に行くまでは、この国の「常識」に、何の疑問も抱かず普通に暮らしていました。しかし、何度も海外に行く度に、日本にある「常識」は、本当は違うのではないのかと考えるようになりました。ですが、人間は自分のやってきたこと、学んできたことが正しいと、正当化したい生き物なので、この考えを私自身も受け止めるのには、時間がかかってしまいました。でも、それはおそらく海外へ旅に出て、海外の文化に触れなければ、今もなお日本の常識のもとで、自分の中にある「生きづらさ」や「違和感」にハッキリと気がつくことができずに生活していたのだと考えると良かったと思います。

自分で見たこと感じたことが全て

非常識っていうと、聞こえが悪いのが日本にいたら取り入れられない未知な世界。結局なにか固定観念にしばれて日常を生きているから日本は生きづらいと思うのではないか?

私はまず日本と海外の両方を知って「自分はどうずべきなのか?」「自分はどうしたいのか?」を考えた方がいいんじゃないかな?と…

例えば、日本から出たことない人に、「日本は素晴らしい国だ」と言われるより、世界100カ国以上行ったことがある人に「日本は素晴らしい国だ」と言われた方が説得力がありますよね。それと同じで、色んな国を見た上で「日本で生きたい」という結論に至ったのなら、それでいいのではないでしょうか。
日本人も外人もそうですが結局生まれた環境に染まってしまいます。だから当然今まで生きてやってきた習慣・環境が「当たり前」と感じてしまいます。でも、一歩外へ踏み出すと新しい世界が見えてきます。私は数少ない世界の国々を見てきましたが、何度行っても日本にあるおかしな常識(当たり前)に違和感を覚え、「このままでいいのか?」と思うことが多くなっていきました。

旅をして気づいた日本のおかしな常識

ここからは私が、旅をして気づいた日本のおかしな常識を3つ取り上げていきたいと思います。

①他人の時間軸で生きている
日本は「他人軸」の人が多い。つまり、周りに合わせた行動がもっとも大事、それが当たり前という傾向が根強くある。確かに会社やグループに属している限り「協調性」は大事だと思うし、日本の文化の特徴である「助け合う精神」は誇るべきところですが、自分のプライベートを大切にできない場所に一生自分の身を捧げたいと思う人はこれからはいないと思います。20年前だったら違ったかもしれませんが、時代は常に変化してしまいます。今は、その変わりゆく時代の流れに柔軟に対応できる個人の力が試される時代なのです。そうは言っても、確かに日本で個性を発揮するのは難しいし「他人軸」つまり他人に振り回された人生を歩みやすい傾向が日本人にはあると思います。それは日本という国が「協調」や「和」を美としている国であることが考えられます。一見素晴らしいことですが、協調性を大事にしすぎて「本当の自分」を隠しがちで、周りに合わせるのが当たり前になってしまっています。だから、みんな他人に意識を向けすぎて、自分のやりたいことを見つけるのに時間がかかったり、やりたいことがないとしても常に周りの人と比較をしたりして「あの人はあんなに凄いのになんで自分は、こうなんだ….」と落ち込む人も多いように感じます。

他人は対してあなたのことなど気にしていない

日本社会には、他のみんなと同じ流行りのブランドを買ってみんなと同じ格好をしたり、周囲の目を気にして定時に退社できないとか、言いたい事言えないという人が多いですね。でも他人の意見なんてそこまで大事じゃないし、どうでもいい事ですよ。周囲の意見を気にしすぎて、みんな同じような仕上がりの人間になってしまっています。みんな一緒とかつまらなすぎて、息苦しいだけです。自分の意見を言えず他人を気にする人生って楽しいですか?もっと自分の人生の時間を生きた方がいいと思います。日本社会の同調圧力に対抗するのは大変かもしれないけど、そこで負けたら絶対人生損してしまいます。人それぞれ考え方はあると思いますが、他人軸で有る限り本当の意味での「自分の幸せ」は掴ないと思います。
②日本の教育 「協調性を大事にする」

周囲と違ったことをすると孤立する

海外との大きな違いは、主体性だと思います。日本では基本的に「こうしなさい」というしつけ方法が主流ですが、海外では本人の「どうしたいの?」と自分の意思を大事にする傾向があります。
日本では人と違う行動をしていたら、すごい白い目で見られるのに海外ではそれが「当然」であって、気にする方がどうかしてるぐらいの感覚です。日本の場合は皆と同じ行動をするのが当たり前なので、もしクラス内でそんな一人でも急に別行動する人がいたら、それは浮いてしまいます。
日本での集団生活においては他の人と違うこと、変わった行動をすると冷たい目線を浴びることが多いですが、海外での教育は特にそういった視線を浴びることはありません。

個性なしの就活

就活生だけではなく、街中には黒のスーツを着た人で溢れかえって、全員が自分の個性を表現するのを恐れているかの様に街中をウロウロしています。まるで、ウォーキング・デッドのゾンビのようです!「そこまでして周りに溶け込む必要ってあるのかな?」と思います。
この滑落した「主体性」こそが日本の教育と海外の教育の違いだと思います。
③年功序列システム
ただ年上というだけで偉そうな顔したり、長く働いてれば能力関係なく出世できるというシステムは未だに全く理解できません。どんな数学の証明問題より難しく感じます。
特に、今の日本社会で上のポジションについてるおっさん達が、この古くて凝り固まった無意味な「常識」振りかざしてるからもう嫌になっちゃいます。
年齢は関係なくできる人はできるしできない人はできない。年齢関係なく扱われるべきです。確かに昔の日本人が真面目で一生懸命働いたからこそ、今の日本を建設できたと思いますが、いつまでも過去の栄光とか自分の武勇伝を言ってるのはどうなんですかね、(笑)

「これからどう生きていくべきか」

視野を広げることが大切

島国で単一民族国家の日本にいると本当に狭い視野しか持てません。視野の狭い人たちの中で生活することほど息苦しいものはありません。
「出世、結婚、家購入、子供」コースなんてどうでもいいからもっと海外に出て行って色々な文化や習慣、考え方に触れる人が増えて欲しいです。
学校つまんないなら、仕事辛いなら、さっさと辞めて海外に行くという選択肢を考えてみてください。海外に行くという選択肢だけでなく、自分の好きなことに「お金」や「時間」を使うのもとても素敵なことだと思います。自分の幸福度を最優先に生きてみてください。

自分がどうありたいか、それだけ

たまたま日本という国に生まれ落ちただけであって、そこからの選択肢は無限にあると思います。日本という国の「制度」や「社会」を変えようとするのは時間と労力の無駄遣いになってしまいます。私達がやるべきことは、「自分がどうなりたいか」、「どんな人生にしたいのか」を考えて、その目標に向かって日々生活することだと思います。私自身もこれから自分が変わるということを恐れず、新しい場所で新しいことにどんどんチャレンジしていく人間でありたいと思います。

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