菊池"まっけぃ"光太郎

ジャズベーシストの菊池光太郎です。仲間からまっけぃと呼ばれています。

菊池"まっけぃ"光太郎

ジャズベーシストの菊池光太郎です。仲間からまっけぃと呼ばれています。

最近の記事

おまけ(菊池光太郎編曲 「赤とんぼ」映像)

『10kgの文化を持ち歩く』『「赤とんぼ」から見る変と不変』両投稿に反応ありがとうございます! 「赤とんぼ」から見る変と不変に関しての編集後記の様な記事になります。 今回「赤とんぼ」の歌詞を引用、掲載しましたが、Note公式のページ「好きなアーティストの歌詞を掲載してもいいですか?」に基づいて掲載しています。よろしければそちらもご一読ください。 https://www.help-note.com/hc/ja/articles/360011270854-好きなアーティストの歌詞

    • 「赤とんぼ」から見る変と不変③

      (この投稿は後編になります。「赤とんぼ」から見る変と不変①、②をそれぞれご参照ください。) ここまで詞について長々と触れてきたが、一応私は音楽家なので曲の話題に戻らねばならない。歌詞ではなく、詞と表記してきたことからも察せるように「赤とんぼ」は詞が先である。前述の出来の詞を受け取った山田は何を思っただろうか。想像するだけで胃が痛くなる。言うまでもないが、ここまで感情揺さぶられる詞に曲をつけきった山田はやはり偉大であると感嘆してしまう。 こうして詞も、曲も否の打ちどころなし

      • 「赤とんぼ」から見る変と不変②

        (この投稿は中編になります。「赤とんぼ」から見る変と不変①から読んでください。また後の投稿に続きます。) 夕焼小焼の 赤蜻蛉 負われて見たのは いつの日か 山の畑の 桑の実を 小籠に摘つんだは 幻か 十五で姐やは 嫁に行き お里の便りも 絶え果てた 夕焼小焼の 赤蜻蛉 止まっているよ 竿の先 詞 三木露風 (Wikisource「赤とんぼ」 https://ja.m.wikisource.org/wiki/赤とんぼ ルビは除外。) その体に馴染むメロディに取り憑か

        • 「赤とんぼ」から見る変と不変①

          目覚ましく形を変える世の中だが、ニュースを眺めていると国内のコロナウイルスとの戦争も1つの局面を迎えようとしている。我々の生活が変わってしまったこと、沢山の意見や対立がうまれたこと、様々な犠牲があったこと全てが事実でそこに優先度なんてものはないのだが、コメディアン志村けん氏の逝去というのは私の印象に強く残っている。彼は当時芸能人生で初めてのテレビドラマで遺作「エール」の撮影途中で、作曲家の主人公に厳しく接する小山田耕三の役を演じていた。最終回にていつも笑わない小山田が優しい表

        おまけ(菊池光太郎編曲 「赤とんぼ」映像)

          10kgの文化を持ち歩く②

          (この投稿は後半になります。「10kgの文化を持ち歩く①」から読んでください。) コントラバス。私の弾いている楽器は比較的小柄なアジア人の弾くモデルでも180cmほどある。家具当然の大きさのそれを目に痛いほど真っ青なケースに包んで、タイヤをつけて押して動かす。担いで階段を上り降りし、駅のエレベーター内に侵入し、電車で移動する。目立つ。二度見は避けられる訳もなく、前述の「噛まずに飲み込める」刺激と対をなす、一体何かもわからない、情報がすっと入ってこない刺激、名付けて「マシマシ

          10kgの文化を持ち歩く②

          10kgの文化を持ち歩く①

          インターネットの効能と副作用は、それは昔、デスクトップの青色が目に痛かった時代から変わっていないように思える。ただ昨今、スマホのロック画面が随分とチカチカしない柄になったように、それら効能と副作用は気づかぬうちにすっと体に馴染むようになった気がする。 違和感に気付いたのは数ヶ月前のことで、YouTubeのコメントをぼんやり眺めていたときだった。「ずっと前からよく聞くすごく好きな曲だったんですけど、初めてフルで聞けました!タイトルも探してたので助かります!」という旨の恐らく1

          10kgの文化を持ち歩く①

          Noteを始めました。

          ジャズベーシストの菊池"まっけぃ"光太郎といいます。 もともと、文章を書くことが好きだったんですけど、最近考え事が多くて脳みそがパンクしそうなので発散の場所としてnoteを始めます。 徒然とはこのことというような文章です。ゆっくり読んでください。 今後ともよろしくお願いします!

          Noteを始めました。