10kgの文化を持ち歩く②

(この投稿は後半になります。「10kgの文化を持ち歩く①」から読んでください。)

コントラバス。私の弾いている楽器は比較的小柄なアジア人の弾くモデルでも180cmほどある。家具当然の大きさのそれを目に痛いほど真っ青なケースに包んで、タイヤをつけて押して動かす。担いで階段を上り降りし、駅のエレベーター内に侵入し、電車で移動する。目立つ。二度見は避けられる訳もなく、前述の「噛まずに飲み込める」刺激と対をなす、一体何かもわからない、情報がすっと入ってこない刺激、名付けて「マシマシ」を周りに振りまきながら、西船橋駅の乗り換え改札を突破する。

先ほど触れたコロナ禍の反動もあるだろうが、なんとなくしか知らないもののその「マシマシ」実物が現れると周りの食いつきもすごい。
「10kgです。大きさの割には軽いんですよ。」
「そうです、バイオリンの大きなやつです。(人によってはバイオリンチェロ属ではなくヴィオラダガンバ属である仲間はずれの話もする)」
「ジャズです。ジャズは指で弾きます。」
「駅のトイレもコンビニも、カウンターだけのラーメン屋にも意外と入れますよ。」
知らない方から声をかけられ、予め用意していた答えを繰り返しながら、その人の消化を手伝う、刺激を自分のものにしてもらうのが、私の密かな楽しみである。練習と題して大学ジャズ研の後輩と近所の公園でコントラバスを2本並べようもんなら子供でギャラリーはいっぱいになる。集客も、客層の嘘のつけなさも共にトップレベルに緊張するギグの1つである。

そんな正直なお客様のひとり、5歳ぐらいの子供が1言「本物だ」と言ったことを否定するつもりは微塵もないが、媒体の中にしかない流行りのそれらも「噛まずに飲み込める」だけであって本物だと私は感じている。ただ、私の持ち歩いているのは例え世間の景色から浮いてて、「マシマシ」であろうとも、紛うことなき実物なのだとつくづく感じる。そんな数ヶ月だった。

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