「赤とんぼ」から見る変と不変①

目覚ましく形を変える世の中だが、ニュースを眺めていると国内のコロナウイルスとの戦争も1つの局面を迎えようとしている。我々の生活が変わってしまったこと、沢山の意見や対立がうまれたこと、様々な犠牲があったこと全てが事実でそこに優先度なんてものはないのだが、コメディアン志村けん氏の逝去というのは私の印象に強く残っている。彼は当時芸能人生で初めてのテレビドラマで遺作「エール」の撮影途中で、作曲家の主人公に厳しく接する小山田耕三の役を演じていた。最終回にていつも笑わない小山田が優しい表情を見せるシーンが流れるが、撮影合間の志村氏のオフショットを使ったものらしい。なんとも感慨深い演出である。

前置きが長くなったが今回私が触れる題材は志村氏のことではなく、ドラマ「エール」の登場人物のひとり、小山田耕三のモデルとなった作曲家山田耕筰、そして山田の作品の1つ「赤とんぼ」に関してである。

ウン年前、私が高校の吹奏楽部員だったころ、山の中腹にある校舎の窓から沈んでいく夕日をみて、この曲吹きたいと慌てて音をとったのが「赤とんぼ」の呪いの始まりである。浪々としていてかつ美しいメロディーにすっかり取り憑かれてしまった。ジャンルを問わずアレンジされているものを端から聞き始めたり、当時吹いていたチューバとユーフォニアムのデュオ用に編曲をしたりと私の曲への長い執着が続くこととなる。(菊池光太郎編・赤とんぼの第一弾は同期のユーフォニアムの子の「ハモっていない」の一言で敢え無くボツとなる。)

赤とんぼの呪いは結局大学4年の秋かれこれ5年近くたって、現在の編曲・私の赤とんぼにひとまず落ち着くまで続くことになる。その過程で赤とんぼという曲の解像度をあげるにあたって、私が大きくインスピレーションを受けたのが歌詞である。

(この記事は続きます。「赤とんぼ」から見る変と不変②をお待ちください。)


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