祖父が亡くなって… ~祖母の今後や周りの関係~

先日、祖父が亡くなった。昨日葬儀が終わったばかり。仕事中に倒れて手術もし、意識が戻るのを持っていたが、結局意識が戻ることなくそのまま…。
倒れてから亡くなるまで1週間もなく、いつ病院へ行こうかタイミングを見計らっている内にタイミングを失った。病院へ行ったのは亡くなった当日、亡くなったという報せを受け、その日は会社を休んで病院へ向かった。母の姉(私にとっては叔母)が一番最初に到着していて、私は2番目に到着した。叔母が祖父母にとっての第一子、私が祖父母にとっての初孫、祖父母にとっての初めて同士が期せずして顔を合わせることとなった。
その後祖母や叔父、私の両親や弟妹が病院へ集った。葬儀の前に遺体を安置しなければということで、斎場選びや安置所があるのかなど急ピッチで調べて叔母や叔父が進めていた。こういったことは事前に予期できるわけでもないので、どうしたって急になるのだろうけどその日の内に目途がついて良かったなと思う。

葬儀も近親者だけで執り行う家族葬的なもので、沢山の人を集めて盛大にという形ではなく、ひっそりとしたものだった。生前に祖父母の間でそうすると決めていたようで、叔父や叔母はそれに従う形で打合せを進めていたのだろう。祖母のこうしたいという形に合わせて、調べて進めただけだとは思うが…。
叔母、母、叔父の姉弟が集まったのは久しぶりに見たし、各姉弟の子どもたち(従兄弟・従姉妹)7人全員が集まったのも多分初めてだった。私の弟妹のいずれかが欠けた形で正月などに会うことはあったが、全員揃うことはこれまでなかった中で、祖父の葬儀で祖父にとっての我が子・我が孫が全員揃ったのはきっと祖父母にとって嬉しかったことだろう。我が子と我が孫にひっそりとした形ではあるものの、見送ってもらえたのだからこれはこれで祖父も幸せだっただろう(そう思いたい)。

祖父とは私が初孫だっただけあって、本当に手をかけてくれたのだろうなと思っている。私が年を重ねるにつれて地元を離れたりしたこともあって、足を運べる機会は年に数回になってしまったが、家へ行った際には一緒に缶ビールを飲んだし、京都や岡山でも一緒にお酒を飲んだ。祖母によると、7人いる孫の内(内2人は未就学児)、外でお酒を飲んだのは私だけだったそうだ。
幼いころからもいろんなところへ連れて行ってもらったし、中学・高校時代の部活動の試合にもよく来てくれていた。後々振り返ってみると、私が6年間の陸上競技人生の中で一番いい走りを見たのは近親者の中で祖父母だけだった。
私が大学進学で京都に行って、京都から家を引き払う時にも手伝ってくれたのは祖父だった。年々少なくなっていく孫との関りをどうにか保とうと必死だったのかもしれない。当時、私が手伝ってほしいというよりは、祖父が手伝いに来たいという気持ちが前面に出ていたw
そんな祖父に私が最後に会ったのは今年の正月だった。いつものように缶ビールを飲み、早々に「寝る!」と言い、「また来いよ」と言って寝床につく。昔からさっぱりとしたやりとりの祖父、最後まで変わらなかったところが祖父らしい。夏か、今月下旬辺りに久しぶりに顔を出そうかなーなんて思っていたら、突然会えなくなった。
病院に行った時も、葬儀の時も涙は出なかった。祖母や周りの人たちが泣いているのを見て、私は泣いてはいけないとも思った。涙は出ないものの、心の奥底に渦巻く悲しさは当然あって、でもまだ現実ではない感じもしている。実感が出てくるのはもう少し先なんだと思う。

祖父が亡くなって心配になるのは祖母だ。
いつもよく笑っていたし、「まったく、、もう」と言いつつ、優しく笑っていた祖母が泣き崩れる姿を私は初めて見た。どちらかというとこっちの方が見ていられないほど悲しさが込み上げてきて泣きそうになった。
祖父母2人で暮らしていた家は2~3か月以内に引き払うそうだ(1人では広すぎるし、家賃も高いとのこと)。どこに住むかなどはまだまだこれから決めていくことにはなるが、長女である叔母の家から近い所に住んでくれたらいいなと私個人としては思っている。祖母は叔母の最寄り駅で今も週2で働いているとのことで、職場も近いし身内も近い方が何かと安心だ。叔母の最寄り駅であれば、私も電車で30分かからずに行ける。
現在、祖母は私の両親の家から徒歩10分圏内のところに住んでいるので、その近くでもいいじゃないかと思われるかもしれない。だが、祖母の面倒を母に任せるのは心配だ。心配でしかない。

ここ数年、母と祖父母は疎遠だった。正月などに母が祖父母のところに行くことはなく、最後に言葉を交わしたのも数年前のはずだ。なぜそうなったのか詳しいことは分からない。今回、祖父が亡くなって久しぶりに祖母と話したのだろう。何があったのか分からないが、数年疎遠だった身内の近くに居たところで何かあった時に動いてくれるのだろうかと疑心暗鬼なのが正直なところ。
今回の件で祖母と母がまた言葉を交わすきっかけができたのは良かったのかもしれないが、任せられるかどうかはまた別の話。今回の葬儀も実際に動いていたのは叔母と叔父でやはり長女と長男が果たすロールが大きかった。全く何もしていないとは言わないが、肝心要な役割を果たしているわけではない。
そんな母の近い所に祖母を置いておくのは心配だし、また関係が悪化して母がいろんなことを放棄する可能性もそこそこにあると私は睨んでいる。幾分か丸くなっているようにも見えるし、取越苦労であればいいなと思っている。
昨日、葬儀が終わったばかりで何もかもこれから決まっていくのだろうが、今後は頻度を上げて祖母のところに足を運ばなくてはなと思う。祖父を失ってからではもう遅いのかもしれないが、父方の祖父母も含めていつが最後になるのかも分からないので、しっかりと時間を作っていこうと思う。



今回、叔母と叔父が進めていくのを見ながら、私の両親にも同じようなことが起きた時にどう動くのだろう、どう動けるのだろう?と心の片隅で考えた。
母のことを散々こき下ろしたが、私も大差ないのかもしれない。両親と疎遠ではないし、定期的に父とは連絡も取り合っている。
だが、現在私が一番両親から遠い所に住んでいるため、迅速に動けるのは弟妹なるのだろうと思っている。
20代の子どもを3人持つ両親としてはまだ共に40代なので若い方だとは思うが、いつ何があるかも分からないし、2人とも精神的に無理をしてきたり、無理をしている部分が結構大きいのではないかと両親の第一子として私は両親のことを見ている。
今のところ大きな病気もないし、弟妹も両親の近い所に居るので日常の中で何かあれば弟妹に任せておけばいいだろうと思っている。私が出張等であちこち飛び回っていたり、残業が多いことも身内の中ではそれなりに知られているから気を遣ってもらっているのだろうと自覚はしている。でも、それに甘えていてばかりはいられないのだろうというのが、今回の祖父が亡くなったことで思ったこと。両親はさておき、両祖父母にとって初孫である私がちゃんと向き合っていかなきゃいけないなと自覚が芽生えた。
きっと私だけでなく、叔母や叔父、母などいろんな人にきっかけができたと思う。祖父が面倒を見ると言っていたらしいが、約束を果たすことはできなかったわけで、その約束を残された者たちで引き継いでいくのが、残された者の使命なのかもしれない。
「ばばのこと頼んだぞ」そう祖父の声が聞こえた気がした。


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