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王者の風格

昔々、このような文章を読んだことがある。

どこで読んだか忘れてしまったし、原文がこの通りであったかも定かでない。思い出しながら書こうと思う。

命令や圧力で人々を力によって従わせようとするのか、王者の風格で人々を自分自身の魅力で感化するのか、君はどちらの人間になりたい?

半分以上自分の創作になってしまった。原文ほぼそのままなのは、王者の~感化するのか、部分だけである。それ以外は思い出しながらそれらしいことを当てはめた。

人としての話になるが、結論から言うと引用部分の王者の~のような生き方を叶うならばしていたいということである。

出来るなら命令や圧力で人を動かすのではなく、僕自身の生き方に共感してくれる人が集まってきてそれが波のように波及するように広がって行く生き方が理想だなあと思っている。

だが、なかなか人間的な魅力を備えるというのは一朝一夕ではいかない。特に僕は人と没交渉的になってかなりの時間が経つ。その間に鍛えられた部分もあれば当然のことながら退化した部分というのがものすごくある。

実はこの四月を迎えると僕が障害を抱えてからちょうど丸九年になる。新卒で入社した会社で他の新入社員が自分のWi-fiの設定に躍起になっている時に一人で黙々とトイレ掃除をしていると「お前、偉いな」と先輩社員に言われたり、歓迎会での様子を見た会社の会長が「十年後は君がこの中のトップにいると思う。がんばれ」と言葉をもらったり。

在籍期間はとても短かったが僕にとって大切な時間であったと言えると思う。今思えばたくさんのご迷惑を会社におかけしたはずである。それを含めて、僕は自分のことばかりで何も分かっていなかったのかも知れない。

とにかく一般的な社会生活というのとは全く異なる九年間を過ごしてきたわけだが、まるで修行僧のようにも根無し草のようにも見える生き方だろうと思う。

結局自分にも他人にも利益になることはほとんど出来ていないのが実情である。資本主義社会という点において、特にそうである。

だが昨日、二十歳すぎの青年と話をする機会があった。彼は就職活動を控えていた。社会に出てから役に立つことをやっておきたい、そう言った彼に僕はこういう言葉をかけていた。

「何が先で役に立つか分からないよ。例えばバドミントンを自分が経験していて、営業で出向いた先でバドミントンの経験者に出会うかも分からない。それで盛り上がって契約に至ればバドミントンが役に立ったことになる。今、この時点で何が役に立つかは判断できないよ。なんてことないことがあとになって、こんな重要なピースだったなんてと驚くことは少なくない」

彼にはどうやら伝わらなかったようだが、僕は彼に言うようで自分に対して口にしていた。

今、日々自分なりに一生懸命に生きている。しかしこれがなんの役に立つのだろうということばかりなのが本当のところ。

どれも趣味の域を出ないもので、お金にならないし先にお金になるかも分からない。そんな物事を繰り返す自分に嫌気が差すことは少なくない。

多分、そんな自分に対しての言葉だったのだと思う。

お金という価値尺度があるからそして資本主義、お金至上主義の社会なのだからお金に結びつくもの、結果に結びつくものが重要視される時代だ。それはもちろん、致し方のないことだし当然のことだと思う。

しかし目先のことばかりでいいのだろうか。そんな憂いを彼と接していて抱いた。僕がその頃役に立つと思ってやっていたことは本当のピンチで一度も僕を救ってくれなかった。

どんな状況であれ、目の前のことに全力で取り組む。そうすることでしか僕は不器用だからどうにも出来そうにない。

今日は珍しく長くなってしまった。

読んでくれてありがとうございます。

志紀

おはようございます、こんにちは、こんばんは。 あなたの逢坂です。 あなたのお気持ち、ありがたく頂戴いたします(#^.^#)