【ぼくたちはどう生きるのか】
危機感、やりたいこと、求められること、その狭間で。
自分はどう生きたらいいのか。
誰もがぶち当たり続ける問題のひとつ。
今の時代、その選択の難易度がすごく上がっている気がする。
あなたは今、どんな人生を送っているだろうか。
先週、中田敦彦さんのYouTubeで「日銀総裁が変わる」というテーマで作られた動画を観た。
日銀総裁なんか以前は全然興味がなかったし、知る機会もなかったが、最近は社会のことに関心が高まっているので観てみた。
そしたら現在の日本経済の大枠が見えてきた。
自分が思っている2倍くらいは、ヤバい状況だということがわかってきた。
この経済的な難問を抱えながら、日本はこれから人口減少に伴う(本当に!)様々な問題に向き合っていかなくてはいけない。
これから(というかすでに?)日本は相当貧しくなる。
問題なのは、日本人の意識がそこに全く追いついていないこと。
これまで通りの生活は送れなくなると言っても過言ではないと思う。
「俺たちゃ先進国だぜ」みたいにドヤ顔でのんびり暮らせる時代は、多分もうだいぶ前に終わっている。
オーストラリアに行って感じたこと。
「景気がいいってこういうことか」
→「日本が貧しいことを実感」
外国人が多く来る職場で働いて、いろんな国から来た外国人とたくさん話して感じたこと。
「世界全体が成長している」
→「日本の停滞ぶりを実感」
観光地に行って感じること
「前より外国人が多い。バスに乗っても半分以上外国人」
→「日本が安い国になってる。私たちが東南アジアの国々を見てきたように、世界は日本を見ている。」
現状ではこの差はもう縮まりようがない。
世界はお金持ちになっていき、日本はここから先数十年にわたって相対的に貧しくなり続ける。
国内の良質な食べ物は海外に買われ、日本人は良いものを食べられなくなる。
輸入に多くを頼る日本国内では物価だけが上がり続け、生活はどんどん苦しくなる。
ぼくらの当たり前は、もうすでに当たり前じゃなくなりつつある。
ぼくらはもっと早くそれに気づいて、国全体で意識を変えるべきだった。
お金のために働くのではなく、国民全員で国を支える意識が必要だったのではないか。
そう思う。
これから先、日本から貧富の中間層はいなくなる。
田舎に疎開し経済から離れた人間・企業に勤めながらお金がない日本人か、事業をおこして稼ぎ続ける金持ちの日本人か。
大学までのエスカレーターでそのまま企業に勤める。
転職こそすれど、「勤める」という姿勢はやめない。
きっとそんな悠長な文化を続けられる状況ではなかった。
さて、そんな状況で。
ぼくらはどう生きる?
家族や周りの期待がある中で、
世間的な常識がしつこく付きまとう中で、
いつまでも変わらないこの国の意思決定者たちのもとで、
どんどん貧しくなり、隣県の食べ物すら買えなくなりそうな中で、
もうすぐ道路が崩れ落ち、農村が消滅するこの国で、
それでも自分のやりたいことがある中で、、、
ぼくはどう生きたらいい?
最近すごく考えます。
20代は後悔を残さぬよう、やりたいことに時間を注ぎたいと思っていたが、自分のやりたいことに時間を使う余裕が果たしてあるのか、、?
この状況に、少しでも自分にできることがあるのではないのか?
でも自分の人生において、今しかできないことがあるのもまた事実だし、、、、
う〜〜〜〜〜ん、、、、、、
難しい!!!!!!
あなたはどう考えていますか?
誰かと、みんなと話し合いたい。
※この先ジブリ最新作のネタバレを含みます!
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こんなことを考えながら、二度目の「君たちはどう生きるか」を観に行った。
特に印象に残っていることは、
①この世界は、ギリギリの状況の中で成り立っている
②宮崎駿が描く人間の姿
③悪意のない豊かな世界は一朝一夕ではない
ぼく個人の解釈ですが、この映画から「奪い殺し合う」この社会への嘆きと危機感を感じました。
この「奪い殺し合う」という言葉は劇中に1回しか出てきませんが、それを是正するための「積み木の積み直し」であり、繰り返し出てくる「悪意のない」「善意による」といった言葉だろうと思いました。
①ギリギリの世界
皆さんは40年ほど前に、この世界が終わりかけたことをご存知でしょうか。
偉そうに書いていますが、ぼくもつい先日知りました。
米ソの冷戦時代、緊張が高まる中、ロシアの衛星がアメリカからのミサイルを検知したのです。
当時の責任者はそれをエラーだと判断し、報告を見送りました。
結果的に、それはエラーだったのですが、当時責任者がそれを事実だと判断し、応戦していたら、核戦争により人類社会は終了していたかもしれません。
ぼくはBUMP OF CHICKENというアーティストが大好きなのですが、彼の詩の中にも「この世はシャボン玉で、運よく消えていないだけ」という言葉があります。
何かのきっかけ一つで、消えてしまう世界ということです。
それはきっと、「奪い殺し合う」世界だから。
だからこそ、「善意で」豊かな土地を築く必要があるのです。
劇中で大叔父様は「時間がない」ことを何度も強調しています。
これはそのまま宮崎駿さんの危機感ではないでしょうか。
②宮崎駿が描く人間の姿
ぼくは劇中のインコの姿は地球における人間の比喩だと感じました。
どこまでも貪欲で、後先考えず欲望に従い、石の中はインコでいっぱい。
最後のシーンで、インコの王様は「3日に1つ積め」と言われた石を1秒足らずで積んでしまい、崩れそうな石の塔に自暴自棄になって、自らの手で石を叩き切ってしまいます。
あれこそ描きたかった人間の姿なような気がしているのです。
善意で国を起こすことがベストなことは知っている。
それを試みもする。
が、それが膨大な時間を要することを悟ると、一瞬にしてその手段を切り捨てる。諦める。
これまでもそうやってきたのだろうと思います。
であるからこそ、
③悪意のない豊かな世界は一朝一夕ではない
ということを強調して表現しているのだと思いました。
時間の流れが違うあちらの世界で「3日に1つ積む」というのは、現実世界でどれだけの時間を要するのかわかりません。
それでもやるしかない。
この世界を続けるには、それしかない。
そんなメッセージを受け取りました。
米津玄師さんが書いた主題歌「地球儀」の歌詞の中にも
「この道が続くのは、続けと願ったから」
というフレーズがあります。
ぼくたちが続いて欲しいと思うような未来は自分たちで願い、動き、作っていかなくてはいけない。
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話が少しそれましたが、これもまさに「ぼくはどう生きるのか」を考えるひとつ大きな切り口。
家族や周りの期待がある中で、
世間的な常識がしつこく付きまとう中で、
いつまでも変わらない日本の意思決定者たちのもとで、
どんどん貧しくなり、隣県の食べ物すら買えなくなりそうな中で、
もうすぐ道路が崩れ落ち、農村が消滅するこの国で、
それでも自分のやりたいことがある中で、、、
さらに「善意の国を築く」「奪い合わない手段で」というハードな条件付き。
今ぼくは自分の進むべき道を見失いつつあります。
世界一周の船で次の一歩目が見えることを祈りつつ、筆を置きます。
あなたは、どうですか?
どう生きていきますか?
危機感、やりたいこと、求められること、その狭間で。
自分はどう生きたらいいのか。
誰もがぶち当たり続ける問題のひとつ。
向き合い続けていきます。
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こんなふうに、きっかけから気づいたこと、考えたことを日々書いています。
この12月から行く世界一周の船旅で多くの刺激を受け、たくさんのことを考えて書くでしょう。
今、戦争と円安の影響で船代が爆上がりしてしまいました。
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