見出し画像

「現実を見ろ」って、その意味合いは、もう変わってきてる。自分にとっての「現実」を見逃すな。

親から言われる。

「早く定職についてちょうだい。」

20歳で専門学校を卒業して社会人になった僕は、これまでも転職を繰り返してきた。そして行き着いた先はオーストラリアでワーキングホリデー。親からしたら心配するのも無理はない。

高校の時から、親の言う事に耳をかすこともなく大学進学を拒否。大手に就職するも2ヶ月で退社。転職を繰り返して、オーストラリアで貧乏生活。それでいて、「他の国にいく。日本で仕事をする気は今はまだ無い。」

こんなことを言っていたら、親が心配するのも無理はないって思う。全部僕のやりたい事だから、後悔なんぞは1ミリもない。でも、兄妹がこんな事を言ってたら俺でさえも心配・・・しないかもしれない。笑

同じように、「そろそろ現実みろよ」なんて声も聞こえてくる。まぁ完全に無視しているんだけどね。

今日は、その「現実を見る」って事を掘ってみようかと思う。

世間でいう、現実を見ろ

よく言われるよね。歳をとればとるほど、「現実みろよ・・・」って。

彼らのいう現実って、会社に所属して、毎月安定した給料をもらって、家族をつくって、マイホームを建てる。こんな世界だと思う。違うのかもしれないけれど、僕にそう言ってくる人達のいう「現実」ってのはそういうものなのかなって、僕はそう見てる。

確かにひとつの現実だし、否定もしない。それが幸せだと思うのなら、それが理想としている生き方なら、良いと思う。

でも、こういう事をいうと「理想とかじゃない。それが現実だ」って言われる。僕はここに疑問がある。

現実の正体

回りくどいのは好きじゃないから、きっぱりと僕の意見を言わせてもらう。

「現実は自分でつくるもの」だと。

つまり、今見ている景色を現実とするのか、理想を追い求めて好きな事だけする人生を現実とするのか。ということだ。

多分だけど、「理想とかじゃない。それが現実だ。」っていう言葉の裏には、今の現状に甘んじている、妥協している気持ちが隠されていると思う。

俺にはこれが現実だよ。理想なんて追い求めていたら生活ができない。親の想いもある。生活していく為には、今の現実を見ろよ。って。

その現実は、しょうがなくやってきた現実じゃない。自分が作り出している現実なのに、それから目を背けているだけだと思う。

今の環境じゃできない。時間がないから。金がないから。
それだけが自分の現実だと思って、人にも現実を見ろよって言ってしまう。

確かに環境は大事だ。僕らは、良くも悪くもたくさんの事を環境に影響される。それによって・・・と思いたくなる気持ちもわかる。僕もそう思う事ばっかりあるもの。でも、その環境を選んでいるのは常に自分だっていう責任から逃れるのは、違うんじゃ無いかな。

いつだって僕らは自分の現実を、自分で選択する事ができる。いつだって、自分の意思で決める事ができる。

その自由っていう責任から目を背けて、「これが現実だから」って・・それは違うんじゃ無いかな。

僕が思う本当の現実

「現実を見ろよ」ってそのアドバイス自体は間違っちゃいないんだ。だって、夢・理想ばかりを語ってるだけじゃ、1ミリだってその現実には届かないから。

じゃあ何を見たら良いかって「その夢や理想を叶える為に、今の自分がどうしたら良いか・どうしたいか」ってことだと思う。それが、現実を見るってことだろう。

どうしても叶えたい夢がある。胸オドるワクワクするような、大好きな事がある。それなのに、会社に所属して、毎月給料をもらって、これが現実だから。なんて寂しくないかい?

僕は一度きりの人生、好きな事をやり続けたいって思うよ。だからその為にどうしたら良いのか考える。そして行動をする。それが本当の意味での「現実を見る」だと思うんだ。

もちろん、会社での仕事にやりがいを感じていて、今このプロジェクトを進めたいんだ!昇進だってしたい。家族が幸せに生きれるように、今の場所で精一杯頑張るんだ!っていうのが、自分にとって、やりたい事・好きな事なら、そんなに素敵な事はない。

でも、もし別にやりたい事があるなら、その環境に甘んじるなよって事だ。

現実はいつだって自分で作れる。だったら、最高の現実をつくってやろうぜって。

親の言葉の真意

僕の親の場合は・・・という話にはなるが、「早く定職についてちょうだい」の真意を考えてみる。

親の性格を考えた時に、それは「安定」だと思う。それも「金銭的な安定」。仕事の内容にとやかく言うような親ではないから、「この会社に所属しろ」って意味では無い。(昔は会社を指定された事もあったけど、断固拒否。親はその時点で諦めたっぽい。笑)

ってことは、僕はフリーで仕事をしようと、好きな事を追い求めようと、親からしたら、金銭的に安定をして、人並みの生活をして、食いっぱぐれることもなく、かつ金銭的な面で親に頼ることもない状態であれば良いって事になる。

幸い、僕が好きな事をしている現状について、何かを言われた事はないから、きっと応援してくれているんだと思う。(あぁ、なんていい親なんだ)

だったら、会社に所属せずとも、しっかりと稼いで生活をする事ができていたら、親の心配も減ると思う。ゼロにはならないんじゃないかな。だって、終身雇用の時代を生きてきた人達だから。そして、子供の俺に何ができるんだって思っている節もあるから。会社に所属しない事に対しての不安は、ずっと残ると思うけど、それは親の問題であって、僕はそこまで気遣って生きるのはごめんだ。

だ結果さえ出して、生活していれば、少なくともうちの親は、何も言わないと思う。今の僕が、はっきりとした結果がないから、親も心配のタネが尽きないんだと思う。

やりたい事を追い求めるのは、親の意見を無視する事じゃない。
親の意図も汲んだ上で、やりたい事をしたらいい。その為にどうしたら良いか考える事が「現実をみる」ってことだ。

だから、海外行く事を親に反対されたら・・・もうわかるよね。
その国へ行く為に、自分がどれだけの事をするのか・しているのか・どんな結果を残したのかを提示してみたら良い。本気で行きたいと思うなら、結果を示せよってことだ。(もちろん家庭によるとは思いますが。)

時代は変わる

こんな話ができるのも、僕が今の時代に生まれているからだと思う。親父の時代は、高度経済成長期で、バブルもあった。終身雇用が一般的だったし、会社にいれば食いっぱぐれる事もない。

でも、そんな時代はとうの昔に終わった。僕らは、個人で力をつけていく時代を生きている。夢も理想も存分に追う事ができる時代を生きている。

まして僕らは日本人っていう恵まれた環境に生まれる事もできた。

時代は確実に変わってる。親世代がいう「現実」と僕らにとっての「現実」は、響きこそ同じものの、意味合いは全く別のものになっている。

親父達が、その時代をつくったように、僕らの時代は僕らで作らないとならない。いや、つくりたい。だから、「現実を見ろ」って言葉に惑わされていたらダメだと思うんだ。

いつだって、自分のとっての「現実」ってやつを追いかけないと。

今日は、そんなお話。

自戒もこめて。

こーた

◽︎ Twitter
https://twitter.com/kotabilover
◽︎ Instagram
https://www.instagram.com/_k.taa/
◽︎ こうたび。
https://ko-tabi.com/

サポートありがとうございます。今後の写真活動の資金にしていきたいと思っております。写真を通して”幸せを目に見える形に”していきます。