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ライターには向いてないと思うけど、言葉を描き紬ぐことは続けてみようと思う。

きっと僕はライターには向いてない。
文章を書こうとすると、書けないから。

自分の力でお金を稼いで、旅をし続けるためにはどんなスキルが必要なのかなって考えてる。

ブログ?
ライター?
写真家?
デザイナー?
プログラマー?

世界中どこでも出来る仕事を身につけてしまえば
旅を仕事にすることは簡単だろう。

やってみる前から、『できない!』と匙を投げるのは性にあわない。
なんでも1度はやってみたい。
やって出来なければ、次にチャレンジする。

その繰り返しが生きるって事なんじゃないかなっておもう。

目まぐるしく変わる世の中。
目まぐるしく変わる自分の心。

こうして、今書いてるこの瞬間にも
書き始めようと思った時から、趣旨がずれていくことを感じている。

なんでそーなるのか。
いつもこーなる。

文章を書くために何かを感じるのではなくて
何かを感じたから、文章にしたいと思っているからだと思う。

こうして文章を書いてる中でも
僕の心の中は目まぐるしく動いている。

1秒ごとに、気持ちが変わっていく。

瞑想をするようになってから
自分の心の変化が、数秒単位で変わっていくのが分かる。

つい10秒前までやる気だった僕の心は
魔法で一瞬にして消えたかのように、体はベッドへと誘われる。

あれを書こう。
これを書こう。
あんなことを書きたい。
こんなことを伝えたい。

その瞬間に湧き出た想いも
数秒後には遥か多い彼方へ消え去る。

何か一つのテーマについて
深く深く考えるというのが、どーも苦手らしい。

新しい事が大好きで
しかも持続性がない。
困ったものだ。

こんな事を思いつつも、
やり続けていることが1つだけある。

✱ ✱ ✱

それはカメラ。
写真撮り続けて、早7年になる。
なぜ続けているのか分からない。

なんとなく好きなんだと思う。
ただ、ひとつ。きっかけが無いこともない。
それは友達から言われた一言だった。

『こーたの写真を見て、カメラ買ったんだよ!』

写真を撮り始めて1年が経った頃だと思う。
本当に嬉しかった。初めて、人に認めてもらえた気がした。

✱ ✱ ✱

自分で言うのも、気恥しいが
小学生の頃から勉強やスポーツは、できた方だった。
5年生の時には、公文で高校数学をやっていたし、漢検3級も合格した。学校の漢字100問テストは、クラスで唯一、1発で100点をとっていた。
4年生の時には、児童会に入り学校の副会長をやった。そのまま6年生の時は議長という立場で全校の前に立ち続けた。(会長戦で負けた)

中学に上がっても、テストの成績は学年トップ10には入ってたし、最高で学年4位(160人中)の成績をおさめた。小学生から始めたソフトテニスでは、1年生からレギュラーの座を獲得して3年生達と戦っていた。

高校生の時は、部活をやめて勉強もせずに遊びまくって、成績は落ちたけど、専門学校に入ってまた頑張った。卒業制作では、金賞こそ逃したものの、銀賞をGETしてデザイン科の代表として、マンモス校のOB会にも名を連ねている。

こんな人生を送ってきたが、どこか満足していなかった。自分の実力とはどこか離れた場所で、自分じゃないもう1人の自分が評価されているような感覚だった。

それに比べて、兄貴は天才肌。
高校にろくに行ってない時期があったのに、アメリカの大学を首席で卒業。そのまま、アメリカで少しだけ働いて、デザインの技術を磨いてた。
もちろん、寝る間も惜しんで努力してたのは知ってる。だけど、兄貴には絶対に勝てないと思った。素から持ってる素質の部分で、兄貴には勝てないと思った。そんないつも俺の3歩くらい前を歩く兄貴に、ずっとコンプレックスがあった。

✱ ✱ ✱

そんな中で、初めて自分のモノを認められた気がしたのが、カメラだった。初めての感覚だった。
専門学校を卒業して、お金を貯めて買ったカメラ。
自分がやりたいと望んで、ゼロからお金を作って買った愛着のあるカメラ。
それで撮った写真をきっかけに、友達がカメラを買った。こんなに嬉しいことはなかった。

僕の今までの人生の全てを肯定してくれたのがカメラだったんだと思う。きっとこれからも、相棒でい続けてくれるだろうし、相棒でいて欲しいと願う。

とここまで意気揚々と書いてみたが、結局僕はこのnoteをとおして何が言いたかったのかは分からない。

思うがままに、公園のベンチに座りながらフリック入力を続けただけだ。
だからある意味、僕の心の奥底にあるヘドロのようなものが出てきたかもしれない。

自己満足の文章なら、いくらでも書ける。
きっと誰でも書けるだろう。

だからきっと、僕にライターは向いてない。

それでも、僕の文章を褒めてくれた人達がいた。
僕の言葉で救われた人もいた。
なんだか、心が暖かくなったし嬉しかった。

だから、少しだけ『言葉を描き紬ぐこと』をやってみようと思う。

✱ おまけ ✱

『描き紬ぐ』という漢字を使った理由。
本来であれば、言葉は『書く』が正しいと思う。
だけど、描きたかった。(えがきたかった)

そこには『紬』に込められた意味がある。


「紬」の着物としての性質から派生して、様々な願いや想いを考えることができます。たとえば、絹織物なのに素朴な風合い、独特の質感をもつことから、「美しいけど気取らない」「自分らしさを貫く」といった想いを込めて名前に使われることもあります。
https://ichigoichina.jp/kanji/11/%E7%B4%AC より引用

気取らずに、自分らしく、心を文字で描きたかった。

そんな想いをこめて、『描き紬ぐ』ことにしました。

こーた

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