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写真には自分が写される

最近とても思うことがある。
考えてみたらとても当たり前のことだけれど

写真には自身が色濃く写されるという事だ。

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これは写真に限らずなのだけれど
僕らは、日々触れる多くの事に影響を受けている。

僕でいうと最近は世界史や宗教史、アートや文化を勉強している。

勉強というよりも、興味があるから触れるようにしてみようという感じだけれど。

ふと気がつくと明らかに写真が変わった。
自分の中の感覚でしかないから、傍目にはわからない変化かもしれないけれど、撮影する写真が変わった。

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なんで変わったのかを考えてみると
物の見方が変化している事に気がついた。

そして、目の前のものをしっかり、ちゃんと、見ている事にも気がついた。

光・影・形・空気・香り・調和

今まではどちらかというと、正解を導きだそうとしていた。
今でも自分なりの答えを見つけようとしている、という意味では正解を探しているのかもしれない。

だけれど、もっと多角的に、五感で観るようになれている気がする。

今まではアートひとつ見ても、漠然と見て「よく分からないな」で終わっていたのが
「よくわからないなりに見てみよう」「ここは遠近法かな?」「この色めっちゃ綺麗。どうやって塗ったのかな?」「朝の庭の空気感まで描かれてる。想像できる。体験できる。すごいな」

そんな事を意識的に考えるようになってきた。

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そして写真を撮るときに、それが少しずつ活かされてきた気がしている。

「今被写体のどこを見ているのか」
「なぜ?どこを?美しいと感じているのか?」
「美しいのは造形?人ならば、目?鼻?口?纏う雰囲気?話し方?表情?etc.」

その場をよく見て、感じている事にレンズを向ける。

そしてそれは対象物にレンズを向ける事でもあり
自分の感覚や感情にレンズを向ける事でもあると感じている。

目に見えて写るものごとは、目の前の被写体だけれど
目には見えない美しさ・空気・その人から感じる魅力・好きだと思うポイント・・・

そういった事が、はっきりと写っている。

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そういう写真はストーリーを感じて、惹き込まれる。
壮大な映画のように、繊細な小説のように。

シャッターのを切るのは自分で、表現したいものは、絶対的に自分の中にあって
それは、ともすればとても独りよがりになってしまうのかもしれないけれど
そのバランスを取る事で、素晴らしい作品が生まれるのではないかと思う。

写真がそうして自分の感覚や感情・心の中を写すものだとしたら・・・。

写真以外のものにもたくさん触れて、知って、感じる事が大切だと思う。

アートだけじゃなく、人と話して、違う人の考え方に触れる。
小説を読んで、主人公に感情移入して、違う人の人生を体感してみる。
素晴らしい建築に足を運んで、全身で建築家の呼吸を感じてみる。
太陽の下で熱を感じて、河原で風を感じる。

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自分の人生で選び取っているすべての事が、1枚の写真に写るんじゃないかな。

「良い写真」ってのは、何をもって「良い」とするか
今の僕には言葉に出来ないけれど、

自分を写すものが写真であるならば
もっとずっと奥が深くて楽しめる気がしてきます。

こーた

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こーた ||写真家
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