僕にはファインダーの向こう側が、見えない。
自分の世界が見えないのなんて、あの時にもう自覚した。
インテリアデザイナーを目指して、インテリアの専門学校へ入学。2年間頑張って、学園の卒業制作展では銀賞。同じキャンパス内では金賞をもらった。
あの時は嬉しかった。半年かけて作った卒業制作。
あれは、コンセプトで勝ち取ったようなもの。
デザインセンスがあるかと言われたら、そんなものは無い。
もうこの時には、うすうす気づいていた。
卒業してからしばらくして入社した、デザインを強みにしてる工務店。
そこで僕はインテリアデザイナーへの道を諦めた。
それは会社のせいではなく、最も近しい存在で、僕よりもはるかに才能ある存在。それを無視できるほどのメンタルが無かった事が原因だ。
上には上がいる。
どんな世界でもそうだと思うけど、僕にインテリアデザインで生き残る道は無かったように思えた。
もうこの時にはハッキリと自覚していた、センスのなさに、気づいていたけど、気づきたくなかった。
自分の世界が見えない。
まぁ今ではそんなペーペーデザイナーの分際で、そんなもの見えるわけもないと思えるけど。
でも、世の中には天才肌と言われる人たちがいるのもまた事実だ。
彼らには、見えている。
僕には、見えていない。
その現実を受け止めきれなかった。
だから、それでも好きなことは努力して、知識でカバーしようと思った。
だけど、まだ一向に、自分の世界が見える気配がない。
その感覚がない。
カメラを握れば、それなりの写真は撮る自信はある。
でもそれはまだ、「綺麗なだけ」の写真なんじゃないかって、どうしても思ってしまう。
良い写真とか悪い写真とか、分からない。
自分の色が分からない。
自分が撮りたい写真が、見えない。
ファインダー越しに、世界が見えない。
ずっと、靄がかかっているような、そんな感覚。
周りと比べるから思うことで、俺は俺の写真だからって、そう言えたら、いや言い切ってしまえば、良いのかもしれない。
だけど、その「俺の写真」がない。
オリジナリティと言えばいいのか、なんと言えば良いのかも、分からない。
構図もボケ感もシャッタースピードも、そのひとつひとつが大事なの要素で、それを組み立てて、写真は出来上がる。
写真を読んで、理論的に理解する事ができたら、写真は変わるのか。
そんな側面もあるだろう。
でももっと大事なのは、世界の見方であって、人との繋がりであって、何を写したいかであって、どんな空気を切り撮りたいのかであって。
今の僕には、そこじゃないのか。
デザインも写真も、
道具の知識から良いものは生まれない。
センスは知識。
だけど、物語は知識じゃ撮れない。
小手先のテクニックじゃない。
どんな写真を撮りたいのか。
僕はどんな世界を表現したいのか。
いや、そもそも表現をしたいのか。
僕はカメラを通してどうなりたいのか。
果てのない問の道を、カメラ片手に歩くしかない。
仕事でもないのに、お金を稼ごうとも思わないのに、ここまで真剣になれるものがあるというのは、幸せなことなんだろうな。
世界が見えなくても、たぶんカメラも写真も嫌いにならないだろうな。
この気持ちがあったら、いつの日か、見える日はくるのだろうか。
こーた
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