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陰鬱な正月とお金で買えないモノ

年末、12/29日頃になると、東京の叔父叔母が帰省してくる。この時を毎年楽しみにしていた。
叔父叔母がいる時は、唯一暴力沙汰が起きない平和な時だ。


叔母からのお土産も楽しみのひとつだった。田舎のデパートにはないヨックモックのクッキー、虎屋の羊羹、一人ひとりにもきちんとお土産を買ってきてくれ、祖父母も喜ぶ、私も佳子ちゃんと喜んだ。

年末30日に叔母と祖母がスーパーに買い出しにくる、私の立っているレジに。祖父はひらめの養殖場から大きなひらめと鯛を1匹ずつ買い、自分でさばいていた。叔父叔母が居る時だけは平和で和やかな夕食の時間になる。

叔母は佳子ちゃんの面倒を小さな頃からみていたので、祖母に代わって佳子ちゃんにご飯を食べさせる、佳子ちゃんも叔母が大好きで、大きく手を叩いて喜ぶ。

祖父母の家に大晦日だけ泊まり、叔母と祖母と3人で紅白歌合戦を見て、ゆく年くる年を聞いて、あけましておめでとうございますと3人で挨拶をして、除夜の鐘を聞きながら眠りにつく。

元旦は朝から大ご馳走だ。実家は海沿いの地域だったので新鮮な魚が多くとれ、それを祖父が刺身用と煮付け用に分けていた。31日に叔母と祖母が作ったおせち、お雑煮が並ぶ。母は黒豆だけ煮て持ってきていた。

高校生なのでお前も一口飲め、と祖父に金粉入りの日本酒を飲むよう勧められた。
皆お腹いっぱいになるとゴロンと昼寝をし、午後からは祖母と百人一首大会をするのが毎年の恒例行事だった。

友達と初詣に行き出したのも高校に入ってからだ。母は祖母に似て着物道楽だったので、着物をたくさん持っていた。毎年1/2に朝から着付けをしてもらい、おかっぱ頭でみっきーたちと初詣に行く。着物を着たおかっぱ頭の私は大きなお菊人形そのものだった。

とても平和なお正月、夕方までは。

元旦もしくは2日の夕方から、叔母が叔父の実家に挨拶に向かう。電車で40分くらいの距離だ。
叔母は佳子ちゃんがいるので、2日後にはまた祖父母宅に戻ってくる。叔父は仕事があるのでひと足先に新幹線で東京に戻る。


それなのに、それなのに…叔父叔母が居なくなる夕方から、毎年決まって祖父の機嫌が悪くなる。寂しいの半分、自分が佳子ちゃんの世話を手伝わなければならないのが嫌なのだ。

お正月を迎えるのはまだ楽しくていいのだが、元旦、2日の夕方になると祖父の顔色が変わるのを私も祖母も見逃さない。残り物がマズい…等理由は何でもいいのだ。祖母に、いちゃもんをつけだし、口調が荒っぽくなる。

『何が気に入らないんだ?』と祖母が言うと、そこから罵り合いに発展する。祖父は『正月早々胸くそが悪い』と言う。…いや、毎年正月早々アンタの機嫌が悪いだけで人に当たり散らしているだけじゃないか…と私は言いたいが、祖父が怖いので言えるはずもない。

叔母が叔父の実家に挨拶に行った日と、東京に戻った日の夜が1番嫌だった。バカみたいに毎年同じ事を繰り返す。
そんな夜は祖父母と私と母と佳子ちゃん5人で黙ったままお通夜みたいな雰囲気で晩ご飯を食べる。
(母は例の宗教の慣例で“あけましておめでとう″を言わない事を話題に出されて大喧嘩にならないように、私を置いて帰る事もよくあった)



機嫌が悪いだけならまだマシだ。



叔父は仕事があるので先に東京に帰り、叔母は1/5くらいまで居てくれる。
身体の弱い叔母は、祖母の手伝いと佳子ちゃんの世話でいっぱいだった。
叔母が実家に帰ってくる=お手伝いさんが1人増えるくらいにしか祖父も母も思っていない。叔母は何十年と盆暮れに帰省していたのに、同級生の友人とお茶してくる、食事をしてくると家から出かけた事を見たことがなかった。
叔母は結婚しても、実家に帰省すると立場が“下女″に逆戻りしていた。

だから遠くにお嫁に行ったんだ…同じ県内や近隣の人と結婚したら、すぐ帰って来いと家政婦代わりに使われるからだ…高校生になり、私もようやく理解した。


母は叔母をいつも見下しており、『お客さん気分で帰ってくるな、いつも居ないんだから家事や佳子ちゃんの世話をして当たり前』と言っていた。自分は何もしないくせに…。叔母は帰省するたびに体調を壊し、ストレスで東京に帰ると過敏性腸症候群を頻繁に起こし、私たちに知られないよう度々入院していたと後から知った。


叔母がひと通り“実家での任務″を終えて東京に帰った夜、私と母もマンションに帰ったあと、惨劇は起きる。

『おばあちゃんが大変なことになったぞ、お前すぐに(東京から)帰って来い!』と祖父が、東京に帰ったばかりの叔母に電話するのだ。

何ごとかと私も翌日祖父母宅に行くと、顔を紫色に腫らした祖母がベッドの上で横になっている…昨日の夜やったんだな…佳子ちゃんの世話ができないほど殴られている、だからおばあちゃんはベッドから起き上がれないんだ。
佳子ちゃんの世話をする者が居ない、自分はやりたくないから私を呼んだり東京に帰ったばかりの叔母をこうやって呼び戻すんだ…。

おばあちゃんを殴り、怪我をさせる事で周囲の注意をひこうとしてるんだ。祖父は自分が家事や佳子ちゃんの世話もしたくない、叔母が東京に帰って寂しいのも手伝って、気を引くためにこんな事をするんだ。極悪人、地獄に落ちろ!

叔母は翌日深いため息をつきながら、また東京から帰省してくる。すると今度は祖父の機嫌が良くなる。

『おばあちゃんが玄関で転んだんだ!』『昨日風呂で転けたんだ』と叔母に嘘の説明をしている。
叔母は『昨日まであんなに機嫌が良かったのに私が帰るといつもなんでこんな事に…』と祖母の側で泣いていた。

あまりにも祖母が苦しがるので、近くの総合病院に連れて行ったら、また肋骨の骨が折れていた。顔も紫色に腫れているのでそのまま入院になり、叔母がしばらく祖父母宅に居ることになる。

祖父は『入院なんて大げさだ、早く連れ戻せ!』と言っていた。
入院した先の医師は全てお見通しだった。祖父は人が変わったように毎日見舞いに行くが、医師は最後まで祖父の顔すら見ない、説明もしない、最後は接見禁止令みたいなものが出され、怒っていた。

『あれくらいで入院なんて大げさだ。ヤブ医者だ!早く退院させろ!』と言うが、当然誰も取り合わない。

何が大げさだ!自分が散々おばあちゃんを殴って大怪我をさせておいて、何がヤブ医者だ。
中々退院させないのはおばあちゃんをアンタから守るためなんだ!
自分の気持ちがもてないとすぐに暴力をふるって、家の中をめちゃくちゃにしておいて、いざ、家事や佳子ちゃんの世話をする者がいなくなると、私や叔母を呼び出して、自分が被害者ぶって…アンタのせいでこれまでどれだけおばあちゃんや母が怪我をしたか…私も佳子ちゃんも怯えて生活して…もううんざりだ!こんな家、さっさと出てやる!

母も腹を立て、何と祖父が毎日拝んでいた神棚の上にある全てのお札を紙袋に突っ込み、私が住む海沿いから島にかかっていた大橋の真上から、全てのお札を海に投げ捨てた。

神棚にはお札が綺麗サッパリなくなっていた。

母も自分の信仰している宗教を反対され大怪我をさせられた事と、祖母を殴り入院までさせた事に激昂し、腹立ちまぎれに全てのお札を大橋のど真ん中から海に破って撒き散らしたと聞いた。
祖父は、『あのバカが、バチ当たりな!』と怒り、神社や祈祷師のところへ行き、自分の都合の良いように事情を話している。『あんまり神棚にたくさんの神さんのお札を並べると、神さん同士も喧嘩するのですよ』と言われた、と言って家に帰ってきた。

祈祷師も占いもお札も何の役にも立たない、神も仏もいるもんか!おかしいのはアンタの頭だ。自分も同じくらい殴られてみろ、暴力で人を支配する男なんか死んでしまえ!
私が大きくなってアンタが年老いたら絶対“病院送り″にしてやる、おばあちゃんや佳子ちゃんの面倒はみてもアンタの介護なんて私は絶対にしない。



そう言えばおばあちゃんも普段から同じ事を言っていたな…と思い出した。

結局祖母は1月中旬、医師が止めるのを振りきって半ば無理矢理退院した。家に置いている佳子ちゃんが気になって仕方がなかったそうだ。


祖母がそんな理由で“入院している間″は、叔母と私が主に食事の支度をしたり、佳子ちゃんの介護をする。母は知らんぷりだ、家に居る者がやるのが当たり前、祖父とそっくりだ。

ズルい、1番大変でやりたくない家事労働と佳子ちゃんの世話を、仕事をしているという理由を盾に、祖父も母も、叔母と高校生の私に丸投げてしていた。
おばあちゃんは長年それらをほとんど1人でこなし、ストレスからか二度脳梗塞を患っていた。言葉がうまく出にくくなっている。言語障害だ。



3学期が始まってもそんな時は早めに帰宅し、できるだけおばあちゃんと佳子ちゃんの側にいるようにした。


こんな家、滅びればいい。


よくワイドショーで身内による殺人事件などが報道されているのを見て、小さな頃から“いつウチにワイドショーが来るんだろう?″と本気で思っていた。ワイドショーで報道されている家庭がとても人ごとと思えない。警察と消防署が近くて良かった…そんな事ばかり考えていた。


暴力の後は、いわゆる“ハネムーン期″が訪れる。祖父が毎日果物屋さんで、高価な果物を祖母と佳子ちゃんや私に買ってくる。大概の物は何でも買い与える。金で解決なのか?

そんなお正月の惨事は、毎年大きいか小さいか、というだけで繰り返された。


私は早く一人暮らしがしたくて、とにかく地元からの脱出方法ばかり考えていた。

学校でのバカ騒ぎとバンドの練習が自分の居場所になりつつあった。
親友のみっきーに毎晩自分の部屋の子機から長電話をする癖がついた。
お年玉は全額貯金し、バイト代は8割貯金する。おばあちゃんから毎月1万円、祖父から5000円、母から2000円、+パンの日は1000円もらうので、小遣いに困る事はなかった。

学校帰りに、友人とミスドやロッテリアに寄ってはバカ食いしてまた太った。甘いものがとにかく我慢できない。
ドラッグストアでコスメを買いまくる、ブランドコスメはおばあちゃんが買ってくれる。直毛なのにストレートパーマを美容院でかける、タバコにCD…後で考えると、この頃から私も買い物依存症になっていたんだろう。

高校生の割に多い小遣い、皆は羨ましがっていたが、本当に欲しいものはいつだって金で買えないものばかりだった。

決して手に入れる事ができない平和な環境と心の平穏、そして毎日手作り弁当を作ってくれる殴らないお母さんを…。







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