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ヤングケアラー

つい最近ヤングケアラーという言葉を知った。

ヤングケアラーとは、本来なら大人が担うはずの家事育児、介護を18歳未満の子どもが日常的に行なっている…ことらしい。


そういえば小学校高学年の頃には、家の中のほとんどの家事を1人でこなしていた。以前書いたように母はあまり家事をしない。

掃除、洗濯、簡単な料理に茶碗洗い、プラス祖父母宅に居る障がい者の佳子ちゃんの身体介護(着替え、食事、トイレに座らせたりお風呂に入れたり)もしていた。
祖母が脳梗塞で倒れた時、救急車に乗って一晩泊まったのも小学生の私だった。翌日、祖父がナースに『小学生のお孫さんを1人置いて帰るとは何事ですか!』とこっぴどく怒られていた。

家に来客予定が入ると母は必ず台所に立ち、掃除を私にさせる。小学生がする“お手伝い”というかわいいものではない。
掃除機をかけた後に徹底的に床の雑巾がけ、お風呂の排水溝の掃除、ゴミの山と化したベランダの片付け、最後にいつしたか覚えていないくらい前の窓の溝に溜まったゴミとも何ともわからない物を取り除く作業…母から与えられた“お手伝い”は母自身が1番やりたくない、1番しんどくて汚い部分の掃除だった。
見かねた祖母がよく手伝いに来てくれた。

せっかくの日曜日がピアノの練習と母に命じられた家事で終わるのが嫌で仕方がなかった。
『友達と普通に遊びに行きたい、私だけなんでいつも家の手伝いなの?』と聞くと『お母さんが外でお金を稼いでいるんでしょ?家にいるアンタがやるのが当然、嫌なら今すぐ私と交代して同じ金額を外で稼いで来い!』と怒鳴られた。

ごくたまに祖父が取引先との接待の場に夫婦同伴で夕方から出かけた。普段滅多に夜出かける事のない祖母は喜んで一張羅のワンピース、または着物を着て出かけた。祖母は接待の席に自分も呼ばれるのが嬉しかったのだ。

大抵そんな時は祖母があらかじめ、佳子ちゃんと一緒に食べてねとオムライスを作ってくれていた。小学生の私と身体障がい者の佳子ちゃん2人分の夕食がテーブルの上に置いてある。
母は佳子ちゃんの世話はレナがするだろうと、会社から英語の塾に直行していた。

残された私と佳子ちゃんは2人で夕食をとった。佳子ちゃんは自分で食べる事ができないので、お箸で口まで運んであげなければならない。大きいものは細かく包丁で切り、誤飲しないように気をつけなければならない。食事のあと佳子ちゃんは自力でコップに注がれたお茶を飲みほす。
佳子ちゃんは食べる事しか楽しみがないからと、祖父母は美味しい物をいつも食べさせていた。メロンをカットしても上の1番甘くて美味しい5ミリくらいの部分しか食べないし、真夏でも佳子ちゃんのために高価なハウスみかんがいつでも常備されていた。

佳子ちゃんにきちんと食べさせる事がまず第一、その次にトイレに連れて行く。小さい大人くらいの大きさだったので、小学校高学年の私より少し背が低いくらいで体重は人並みにあり、立たせて便器に座らせるまでが大変だった。用を済ませるとキチンとお尻をふいて、ズボンを上まで履かせる。
それが終わると次はお風呂だ。お風呂に入れるのはかなり体力を要した。ただ佳子ちゃんはお風呂が大好きだった。湯船に抱えて入れると大声で笑い、お湯をバシャバシャする。私も嬉しくて2人で湯船につかる。その後抱えてマットの上で全身を洗い、次は寝かせてシャンプーをした。シャンプー2回とリンスで佳子ちゃんの髪の毛はサラサラになった。
そこから佳子ちゃんを再度湯船につけて、自分は猛ダッシュで体を洗い、シャンプーする。あらかじめバスタオルを2枚広げて敷いておき、その上に佳子ちゃんを運び、全身をふいて下着、パジャマまで着せたら任務完了!自分は適当に拭いてその場にある物をとりあえず着る…とそこまできて、佳子ちゃんの髪の毛をタオルドライしなければ!と思い出し、ゴシゴシタオルで頭を拭く。私も服まで着たら冷凍庫から棒状のアイスキャンデーを2本取り出し、佳子ちゃんと一緒にデザートタイムだ。

それら全てを20時30分までに終わらせねばならない。21時には布団に入れるので、少しでも遅れたらダメだ。
佳子ちゃんは便秘症だったので20時45分になると、ラキソベロンという便秘薬を12〜13滴お茶に混ぜて飲ませる。

クタクタになりながらも、佳子ちゃんと過ごした2人の時間はとても幸せだった。誰かの顔色を伺う必要もなければ叱られる事もなし、普段見るのを禁止されていた民放のテレビ番組も見れる。至福の時間だった。

そうこうするうちに21時過ぎたら母が塾からひと足先に祖父母宅に帰ってくる。その後酔っ払った祖父と嬉しそうな顔をした祖母がタクシーで帰ってくる。

佳子はちゃんとご飯を食べた?トイレは済ませた?とは聞かれるが、あの家ではどれもやって当たり前の事なので感謝もされない。
やれ今日の接待での取引先の何とか社長は食べ方が汚いだとか、あそこの料亭の魚はイマイチだったとか、私のよく分からない話を大人3人がしている。

後に叔母に話すと、叔母は日常的にそれらの事をやっていた。母は勉強漬けで家事をほとんどしていなかった。

家の家事も佳子ちゃんの介護も小学校4年生くらいから高校3年生まで、ごく当たり前の事としてやってきた。あの家では、家事や介護などはやって当たり前、できて当たり前なのだ。
その後1人暮らしをするようになった時、何て楽なんだ!掃除も洗濯も料理も全て1人分でいいなんて!と感激したのと同時に、何だか自分だけ楽をしているようで申し訳ない気持ちでいっぱいになった。

今考えると私も叔母もヤングケアラーというものに当てはまるのだろうか。きっと普通の家庭よりやる事は多かったはずだ。

ただヤングケアラーだったとしても、佳子ちゃんと過ごした2人だけの時間は、当時の私にとってとても貴重で心からリラックスできる時間だったことに変わりはない。
純粋な佳子ちゃんは不思議そうな顔をしながら私の顔を見てはニコニコ笑う。彼女ほど純粋な人間も見た事がない。佳子ちゃんのことを思い出したら今でも涙がこみ上げてくる。

今日もどこかの家庭で幼い子が更に幼いきょうだいの面倒をみたり、自宅にいる誰かの介護を献身的にしているだろう。
どうかそんな子どもたちが周りに居たり、見かける事があったら、精一杯褒めてあげてほしい。ありがとうのひと言でもいい。

あなたからかけられた言葉は、子どもたちにとって救いの言葉となり、生涯決して忘れることはないだろうから。



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