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凄惨な現場

これまで述べてきたように、祖父は祖母や母に壮絶な暴力をふるう支配者でもあり、同時に外では非常に立派だと言われる経営者でもあった。
人には二面性がある。

祖父は大正末期の生まれで、祖父の父親の仕事の関係で3歳から数年間台湾に住んでいた。祖父は7人兄妹の次男であり裕福に暮らしていたが、1番下の妹を母親が産んで産後の肥立ちが悪く母親を亡くしている。祖父の父親もまた事業をしており、後に市会議員になった。

父親の事業を手伝うため商業高校へ進学した祖父は、戦争が始まると予科練に徴収された。海軍のほうに回され、上官から徹底的に『しごかれた』と聞いている。戦争が終わり、父親の事業を手伝ううち、次男であった祖父が西日本をオートバイ一台で営業にまわり仕事をとってきていた事から、事業を継ぐ事になった。

私が生まれた頃はまだバブル前で、とても羽振りの良い経営者であったが、同族会社であったため、長男や三男、親戚中からひどく恨まれていた。祖父と上の長男、三男の3人で一生懸命働き、四男以下全てを東京の大学に行かせている。祖父と1番下の妹は親子ほど歳が離れていた。祖父と祖母はいとこ同士の結婚だった。祖母の父親は企業の会社員であった。

私にとってはたった1人のおじいちゃんである、だが皆がイメージするような”おじいちゃん”とは少し違った。丹羽哲郎さんに見た目がそっくりで、いつも数珠みたいなものを腕にはめていた。日曜日にはよく祖父に連れられて、会社に遊びに行った。大のゴルフ好きで庭にはグリーンが敷かれ、いつでもゴルフの練習ができるようにネットがはられていた。何とかカントリークラブ、何とかライオンズクラブのゴルフのコンペでよくトロフィーと景品を家に持ち帰った。祖父は私には優しく庭でパターの練習をしたり、ゴルフの打ちっぱなしにも行った。夏休みになると昼休みに会社から昼食をとりに帰った祖父をつかまえては、市民プールに連れて行ってもらった。

ただひとつ、酒乱であった。祖母が最も嫌っていたのは”接待という名の飲み屋遊び“であり、接待で祖父が出かける日は一旦家に車で帰り、背広を着替えて18時にはタクシーが迎えに来ていた。
近所のおじさんが言う、『いつも18時前には車でサーっと帰ってきて、ビシッと背広をきた橋本さん家の前にタクシーがとまっている、あぁ、今日もこれからいい所に飲みに出かけるんだ、ええなぁ、ああいうのが男の夢じゃ』とこぼしていた。あれが男の夢なのか。

祖父が接待で居ない夜は、私たち母子と佳子ちゃんと母の4人で適当にご飯を済ませる。母は英語の塾に出かけ、私と祖母と佳子ちゃん3人で過ごすのだが、22時を回ったくらいから祖母の顔色が険しくなる。
祖父の引き出しをあけ、飲み屋の名刺をトランプのように並べ睨めっこしている。今日はクラブ◯◯だろう、といった具合いだ。
その頃、同級生の父親がタクシーの運転手をしていて、こうも言われた事がある。
『レナちゃんのおじいちゃんって、この辺では3本の指に入る酒飲みらしいよ』
薄々勘づいていたが、やはりそうだったか。
また祖父自身が『わしは家一軒分飲んでいる』とも言っていた。
自営業なので、取引先との接待は欠かせない、ただ飲む量が凄いのだ。0時をまわってタクシーでベロベロになって帰ってくると、大抵一升は軽く飲んでいた。祖母は障がい者の佳子ちゃんの介護を1人でしていつも苛々していた。

『自分だけ外で楽しみやがって…』

祖父は羽振りが良かったからかクラブのママたちにとても好かれていた。わざと祖母にもわかるYシャツの位置に口紅の跡をつける人もいた。
当然ツケ払いで、月末になるとクラブのママさん達が祖父母宅に“集金”に来る。プライドの高い祖母は見向きもせず、涼しい顔をして冷たいお茶を出した。

だいたいそんな夜、起こるのだ、アレが。
口にも出したくないアレだ。苛々を募らせた祖母が祖父の接待遊びを咎める。すると部屋の中にある全てのものが飛び交い、取っ組み合いになる。祖父も酒が入ると人が変わったような形相になる。般若のような顔で祖母を……私は恐ろしくて裸足のまま家から飛び出し、隣家の事務所の非常階段で祖母が逃げてくるのを待つ。

だが、待っても待っても祖母はいつもの秘密基地に来ない日があった。母も私を置いてマンションに飛び逃げて帰ったのだろう。
夜明けになり物音がしないので、恐るおそる静かに玄関から部屋に上がると、祖父は何事もなかったかのように自分の布団の上で大の字になり大いびきをかいて寝ている。しかし至る所に衣服が散乱して部屋がぐちゃぐちゃだ。
先に進むのが怖かった。おばあちゃんはどこ?

目に飛び込んできたのは、テーブルの上に置かれた血だらけのタオルだった。どす黒く血で染まったタオルが全てを物語っていた。近くに祖父のベルトも転がっている。
だが祖母がいない。
あれ?佳子ちゃんは?どこ?
佳子ちゃんは1番隅の部屋の端っこでカーテンにくるまって隠れていた。一晩中隠れていたのだろう、カーテンにくるまって泣いている、髪の毛もたくさん落ちている、自分で抜いたんだろう。おしっこでパジャマが濡れている。私は夢から覚めたようにハッと現実に戻る、佳子ちゃんをトイレに連れて行かなきゃ!トイレに連れて行き、新しい下着とパジャマに着替えさせた。佳子ちゃんは私の顔を見るとにっこり笑った。
祖父が起きないよう、そろそろと佳子ちゃんを布団のある場所まで連れていき、布団に寝かせた。これでひと安心だ。私の役目は終わった。

祖母は散々殴られてベルトで首を絞められ、殺されかけながら自力で近所の佐伯さん宅に逃げていた。
私は夜明けにそっとマンションに帰ると母もまた自室の布団の上で爆睡していた。
学校が始まるまであと3時間しかない…寝れるかな、でも佳子ちゃんは安心して布団で眠っただろう。
朝起きて、テーブルの上に置かれた血だらけのタオルを見て祖父は何を思うんだろう?
おばあちゃんは佐伯さん家にいるはずだ。だから死んではいない。
全て見なかった事にしよう。あの血だらけの赤いタオルも、転がったベルトも、佳子ちゃんの側に落ちていたたくさんの髪の毛も。

いつも通り学校へ行けばいい。何も知らないふりをして学校から帰りに祖父母の家に寄ろう。

顔を紫色に腫らした祖母がぽつんと居間に座っている。佳子ちゃんは心配そうな顔をして祖母の側に座っている。私は何も聞かず祖母の側に寄って抱きついた。3人で泣いた。

そこで記憶が途切れている。

きっとそんな事が月に1回、もっと酷い事も年に数回あったのだろう。

祖父は何事もなかったのように会社に行き、帰ってきて晩御飯を食べている。誰も前の晩の事は口にしない。してはならないのだ。

だいたいそんな事が起きた翌週の日曜日は、私と祖母だけで隣町のデパートに出かけ、好きなものを好きなだけ買うんだ。帰りに喫茶店で祖母の大好きなミックスジュースと私の好きなカルピスを注文して2人で乾杯した。

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