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こすきーの自己紹介

プロフィール
・こすきー(Xアカウント/@kosukeyPMP)
・40代
・外資系IT企業の部長(100人組織)
・プロジェクトマネージャ
・地方在住
・妻、6歳の娘
・サウナ好き

はじめに

この度は私のnoteに見てくださり、本当にありがとうございます。

Xでは伝えられなかった私のこれまでの歩みや考え方について
みなさんに知っていただくきっかけになればうれしいです。

そして単なる自己紹介ではなく、最後まで読んでくださった方に
何かしらの気づきや学びがあるようにと書きました。

10分ほどでサクっと読めますので
特に今、仕事でモヤモヤしている方はぜひ最後までお付き合いください。


幼少期から小学生時代

私は父、母との3人家族という家庭で育ちました。
父は会社員、母は専業主婦というごくごく普通の家族です。

外で遊ぶのが大好きで、夕方まで近所の公園にいた記憶があります。キャプテン翼が流行ってたこともありサッカー部に所属していました。

こだわりが強く、好きなことはとことん追求し、嫌いなことは断固拒否していたように思います。理由はよく覚えていませんが、スイミングスクールが大嫌いで母親と自転車で通う途中に、勝手に方向転換して逃げ出したこともあります(笑)。


中学生時代

引き続き運動好きだった私は、バスケットボール部に入部しました。
当時人気だったSLAM DUNKの影響も大きかったですね。

ただ顧問の先生がめちゃくちゃ怖くて、今では考えられないような指導でしたね。ビンタされたり、竹刀で打たれたりとブラック全開…。
今ならSNSで大炎上まちがいなしです(笑)。

この頃に身に着いた忍耐力は、今でも役に立っています。そして学生時代の中では、いちばん充実していたように思います。

高校生〜大学生時代

幸いにも志望校に合格することができた私でしたが、中学での厳しい体育会系指導の反動で帰宅部に。そのせいか運動も勉強もかなり中途半端になり、クラスでも目立たない存在でした。この頃の青春の思い出はまったくありません(笑)。

受験勉強にも集中できず散々な結果で、何とか合格できたすべり止めの地方大学(文系)に入学したものの、特に夢や目標もなく過ごしていました。

しかし、たまたま始めたガソリンスタンドのアルバイトで、車好きの先輩と知り合い、そこから10年近く続く「乗り物熱狂時代」に突入します。
必死でアルバイト代を貯めてはじめて買った車は中古のホンダプレリュードでした。

ただ当時の私に言いたいのは車買うなら自分で学費払えよ」ってことです。大学の学費ってめちゃくちゃ高いですよね(汗)。
自分が親になってよくわかるのですが、両親には本当に感謝していますし、可能な限り恩返ししたいと思ってます(現在進行中)。


就職活動~そして社会人に

時代は就職氷河期。

今でもたまにテレビで山一證券の倒産で社長号泣シーンが放送されますが
たしかに就職活動はかなり厳しかったです。

将来に不安を感じた私は
「何か手に職をつけたい」
「将来性のある業界で働きたい」

と思い、IT業界を中心に就職活動をはじめました。

しかし最初は面接を受けてもことごとく不合格の連続…。
文系出身でITやプログラミングも知らないのですから当たり前です。

それでも回数をこなしてくると慣れてくるもので、
運も味方して、なんとか今の会社に合格することができました。

現在は新卒/中途採用の最終面接官をやっているのでよくわかりますが、
面接に合格するにはコツがあります。
当時は運良くそのコツにハマったんだなと。


20代(暗黒時代)

奇跡的に今の会社に入社できた私に待ち受けていたのは過酷な試練でした。

まず新入社員研修でプログラミングがまったくわからず挫折
理系出身の同期達がスラスラできることも、さっぱりわからず毎日居残り
とにかく圧倒的な劣等感でした。

それでも何とか研修を終えて、ようやく初めてのプロジェクトに。

しかし本当に大変だったのはここからだったのです。

・最初のプロジェクトリーダーから粘着指導されて疲弊。
・その次は炎上プロジェクトに投入されて、深夜勤務が半年続き睡眠障害。
徹夜明けの朝6時にパワハラマネージャから「もう帰るの?はやいねw」でメンタル悪化。
・何とか日中勤務に戻るも通勤時間が片道90分の客先常駐。
・恫喝マネージャの怒号や机を叩くのが日常茶飯事でメンタルダウン寸前。

当時は29歳。

転職も考えましたが今ほど当たり前の時代でもなく、
コレだ!というスキルや経験もなく、すごく悩みました。

当時はシンプルに「楽しく働きたい」ということだけでした。

プロジェクトが変わってもマネージャガチャが続く限り、
同じ目に遭う可能性があります。

その時、
「じゃあ自分でプロジェクトマネージャをやればいいのでは?」
という考えるようになったのです。

今振り返ると、この些細きっかけから人生が好転しはじめました。

プライベートでは仕事のストレスを趣味の車やバイクで発散していました。社会人になってから一人暮らしをしていたのですが、家賃、食費、光熱費以外はすべて趣味に使っていた気がします。
そして原付しか乗ったことのない私が、ある日突然「大型バイクの免許がほしい」となり教習所に申し込み。約2ヶ月で免許を取得した後、勢いでローンを組んで大型バイクを購入しました(笑)。


30代(人生の転機、結婚)

当時はとにかくパワハラマネージャから逃げたかったので、
正直、右も左もわかりませんでしたが、
一心発起してプロジェクトマネージャに手をあげました。

経験も実績もない私の希望を受け入れてくれた
当時の上司には感謝しかありません。

最初のプロジェクトは私も含めて3人の小さなチーム。

とにかく必死で計画と見積もりを作ったのですが、
これが予想外にサクっと契約してもらえました。
案ずるより産むが易しとはまさにこのこと。

今ふり返ると
「人と話すことが好き」「計画をたてるのが得意」
がプロジェクトマネージャという仕事に結びついたんだと思います。

もちろん責任もありましたが、
それ以上にパワハラマネージャいない安心感が心地よくやりがいを感じ、
仕事がどんどん楽しくなっていったのを覚えています。

プライベートではついに結婚することに。
それまで好き勝手に生きてきた私でしたが、これからは妻と一緒に人生を歩むことになるわけで、人生に対して真剣に向き合うことになりました。

その時に感じたのは「時間の大切さ」です。
自分が死ぬまでにどれくらいの時間が残されているのか。
その時間で何を成し遂げたいのか。
同時に時間は無限にあるような錯覚に陥っていたことにも気づきます。


40代(娘の誕生、そして)

プロジェクトマネージャとして順調にキャリアを積み重ねていたのですが、30代後半で壁にぶつかります

それは「どんなに最高のプロジェクトでもいつか終わる」ということです。

会社の方針でプロジェクトが終わるとチームは解散し、一から出直しです。そして一度バラバラになったチームが再結集することも難しくなります。

そこで管理職になれば少しでも会社の方針に関われるのではないかと思い、どちらかといえば一匹狼的な存在だった私も、徐々に組織活動に関わるようにしました。すると上司にも少しづつ認められ、気づいたら管理職になっていました。

プライベートでは管理職になる少し前に娘が産まれました。
その時から日常生活が激変し、赤ちゃんと暮らすのはこんなに大変なんだと感じ、妻には感謝してもしきれない毎日でした。母親って本当にすごい。
リスペクトしかないです。

子どものエネルギーは凄まじく、刺激的な毎日を過ごさせてもらってます。そしてどれだけ一緒の時間を過ごせるのかと考えることも多くなりました。


私が大切にしている価値観

私は過去に「自分の大切にしてる価値観」に向き合うきっかけが三回ありました。

・パワハラで心身疲弊していた20代後半
・結婚を機に人生に真剣に向き合い始めた30代半ば
・管理職になり娘が生まれた40代前半

そこで私が導き出したこたえは

「心おだやかに過ごしたい」
「時間=自分の命」

です。

20代はとにかく心も体も疲れていたので、
仕事のストレスを趣味で解消する生き方をしてきました。

当時は好きなことをやっていたつもりでしたが、
今思うとそれは世の中や他人から与えられた価値観だったと感じています。

全てを後悔しているわけではありませんが、
目の前の楽しいことや刺激的なことに心を奪われて、
本当にやりたいことができていなかったのです。

そして
「なぜもっとはやく人生に真剣に向き合わなかったんだろう」
と後悔しました。

もっとはやく自分の
「大切にしている価値観」
「好きなこと」
「得意なこと」
を理解していたら、

時間やお金を自分が本当に目指したい人生のゴールに使えたからです。


あなたに発信を届けたい理由

私が発信する理由は
「やりたいことを仕事にして、充実した人生を過ごす人を増やす」
ためです。

私は普段、外資ITで100人ほどいる組織の部長をやっていて
毎年キャリア面談をします。

その中でメンバーから
「なにがやりたいのかよくわかりません…」
といった相談を受けます。

その気持ち、よくわかります。過去の私もそうでしたから。

そこで私がどのようにしてやりたい仕事を見つけたのかをまとめて、
メンバーに伝えたところ驚くほどの変化があったのです。


残酷ですが人生にはいつか必ず終わりが来ます。
あなたも私も例外なく。

その時、今の仕事をしていて
「ああ、もっと働いておけばよかった」
と思うでしょうか?


繰り返しになりますが
一日8時間で週5日働いたとして、40年続けたら合計は83200時間です。

それだけの膨大で貴重な時間を使うなら
やりたい仕事をやったほうが絶対にしあわせです。


私はどこにでもいる普通の会社員です。
優秀な学歴も特別な才能もありません。
圧倒的な成功者でもありません。

それでも、ちょっとしたきっかけでやりたい仕事を見つけて
毎日たのしく働けているのです。


誰でも再現できる、やりたい仕事の見つけ方があります。
あなたもそのきっかけを掴んでみませんか?



さいごに(こすきーからのお願い)

ここまでお読みくださり本当にありがとうございました。

そんなとっても優しいあなたにちょっとだけお願いがあります。

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また3分ほどで終わるアンケートにもお答えいただけると非常に助かります。

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