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【妄想】もし森会長が「女性差別とは」をググって会見を開くなら

先日書いたこの記事の中で、森氏の「ズレ」について指摘しました。
ただ、記事でも述べたとおり、今回の件は決して森氏個人の問題ではなく、社会全体の問題として捉えないといけないだろうな…と思っています。

日本社会が変わるため、例えば森氏本人によって、以下のような会見が開かれたらどうだろうと妄想してみました。
こういう変化が起きるような社会になっていくとよいのではないかと思います。

以下、森氏による会見の全文です!
100%妄想の文章です。小説的にお読みください。

冒頭の挨拶と会見の趣旨

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お集まりいただきありがとうございます。森です。

今回、私は、「謝罪」というよりも、私自身の価値観を変えなければならないということを固く決意したことを皆さんにお伝えしたく、このような場をいただきました。

「私」という人間の内面的な価値観の変化がどうなろうと多くの皆様にとっては「知ったこっちゃない」ことかとは思います。

しかし、かつてはこの国の首相を務めたこともある人間が83歳という齢になった後で、以下で述べるような「転向」を経験したことを広く皆様にお伝えすることは、これからの日本社会にとって少しでもプラスになることなのではないかと考え、恥を忍んでこのような場を設けた次第です。

謝罪会見をした時の心境ー批判は「誤解」である

まず、今回、JOC臨時評議員会での私の発言がマスコミに報じられ、謝罪会見を開かざるをえない状況に陥った私の心境は、一言でいうと、

「下手なことを言って、またマスコミに格好の批判材料を与えてしまった…」

というものでした。
この思いをもう少し詳しく述べると、以下のようになります。

私は全く女性を差別する意志もなく、そのような意図の発言をしていないにも関わらず、マスコミが私の発言の一部を切り取り、あたかも差別的な発言であるかのように報道し、批判をしている
私は、今回のオリンピックを必ず成功させたいと日々身を粉にして働いているのだから、本来、そのような声にいちいち対応している暇などない。

とはいえ、私の発言があたかも女性差別的なものであると世の中に誤解を受けてしまったのは事実である。
たしかに後から考えてみると、私の発言を部分的に切り取り、意図をもって編集をすれば、そのように聞こえてしまうものであったようには思う。

そうすると、オリンピックの精神に反すると誤解されても仕方のないものだったかもしれない。

オリンピックの成功のために日々頑張っておられる方々に私の発言のせいで迷惑をかけてはいけない。オリンピックの成功のためには、発言を撤回した方がよさそうだ。

私の本意が伝わらず女性差別も発言をしたかのように誤解を受けたのは残念でならないが、こうなってしまった以上、辞退を早めに終息させるために、謝罪会見を開くよりほかない。

これが、謝罪会見をする時の私の正直な心情です。
まとめると、この時私は以下のように考えていたのです。

・私の発言が女性差別に当たるわけがない
・それを「女性差別だ」と騒ぎ立てるのは、私の発言をおもしろおかしく書きたいマスコミや、一部のごく偏った主張をしている連中たちが、私の発言を曲解して伝えたからだ
・これによって、世間は、あたかも私が女性差別発言をしたかのように誤解した
・このような誤解を放置してはオリンピックの大会運営に支障が出るので、その誤解の元となった発言自体を撤回しよう

さらに要約すると、私は以下のように考えていたわけです。

私は女性を差別するような発言をしていない。
しかし、私の発言は女性差別と誤解されたから、その誤解をなくすために発言自体を撤回する。

これが、私が謝罪会見で「誤解を生んではいけないので撤回します。」と述べた理由になります。

これが「差別」にあたるー心の中にある先入観を知って私は青ざめた

たしかにこれまでも、私はいろいろな人から批判を受けてきました。
しかしその都度私は、「なぜ彼らは、私の真意をねじまげて解釈し、批判するのだろうか」と不思議でなりませんでしたし、そのような批判に屈してはいけないと考えていました。

おそらく彼らは、自分たちの利益のためにおもしろおかしく記事を書いたりしているか、偏った価値観を持っているがために、歪曲した意見を撒き散らしているのだと考えていたのです。

しかし今回、これまでとは違った空気を感じ、「私は女性を差別するような発言をしていない」という自分の考えが本当に正しいものなのか、少し不安になってきました。

そこで私はおそるおそる、そもそも女性差別とは何のかということを、調べてみることにしました。
そして、世界的に信頼に値する学者や機関が発信している情報をもとに、どんな言動が「差別」としてとらえられるのかという一般論についても、情報を集めてみました。

そして、調べていけばいくほど、私は自分の頭が沸騰していくような感覚を覚えました。

なぜなら、女性差別に関して一般的な知見を得ていけばいくほど、

①私が「この発言は女性差別にあたるはずがない」と思っていた発言は全て、むしろ「女性差別の典型例」として一般的に挙げられる事例と合致していること

②私が、これまでの人生で「冗談のつもりで」「場を和ませるつもりで」発言してきたことは、実は私の、女性に対する「無意識的な先入観」(アンコンシャス・バイアス)を反映したものであったこと

に、気がついたからです。

私は80年以上生きてきて、自分が女性を見下していたり、蔑視をしている、ひいては女性を差別しているなどと考えたことはありませんでした。

だから、①に気がついた時には、「まさか自分が、女性を差別しているなんて」と心底驚きました。

また、②について、女性差別についての一般的な知見を得た後に改めて今回の私の一連の言動を客観的に観察すると、私の発言の背景には、「女性は~という人物像であるべき/~のように振る舞うべき」という先入観があったということに、気づかされたのです。

このような無意識的な先入観のことを、一般的には「アンコンシャス・バイアス」というそうです。
これには本当に、青ざめました。

私はこれまで、仲間の政治家たちを話をしている中で、「自分が世間とズレている」と思ったことはありませんでした。
なぜなら、日々、日本の国益のために議論をしている政治に精通した盟友たちと会話をしている限り、私の価値観は全く違和感のないものであったからです。

しかし今回、私は、「むしろ私が普段接している人間たちが、皆ズレているのではないか」という仮説を持ちました。
そう仮定すると、この何十年かで自分が受けてきた批判について、全てが理解できたのです。

ーーズレていたのは「彼ら」ではなく「我ら」ではないか?

この疑念は、私にとっては天動説から地動説への転換と同じくらいの衝撃でした。
83歳になってようやく、私はこのような疑念を持つに至ったのです。

なぜこのことを公表したか

今回、「自分がズレているのではないか?」という認識を持つようになったことは、私のこれまでの数十年間の信念や価値観を否定することにもつながりかねないことです。
公表しようかどうか、とても迷いました。

それでも、私は政治家の矜持を持っております。

私が尊敬する偉大な政治家や歴史上の人物たちは、己の信念を貫きながらも、時代の変化を敏感に感じ取り、その変化に応じて自分自身も絶えず変化させ続けていたことを思い出しました。

おそらく、私が既に引退し、公の仕事を一切していなければ、自分の常に変化させていく必要などないのだろうと思います。
しかし、この歳になっても責任ある仕事を任せていただいている者の責務として、「今」に合わせて常に自分の価値観を否定し、それを乗り越えていかなければならないということです。

私はもう80歳を過ぎましたが、この日本をよい国にしたいという思いのためであれば、これまでの自分を否定してでも、自分自身を根本から変革していく覚悟があります。
そのため、このように皆さんにお伝えした次第です。

80歳を過ぎた人間さえも、少しでも自分をより良くしたいという思いさえあれば、考えを根底から変えることができる。
そういうことを私はこれから、自分自身の言動と行動で証明していきたいと考えています。

<了>

※繰り返しになりますが、以上は全て妄想の文章です。

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最後までご覧いただきありがとうございました!
こちらの自己紹介記事もお読みいただけるとうれしいです!


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