組織課題の解決、インナーコミュニケーションなどの領域で仕事をする上で、始めの一歩的な教科書を読んでみた
不確実な世の中になってきて、誰も明確な戦略だとか、正攻法だとかが分からない中で、トップダウンで「戦略的行動を徹底せよ!」という、フルメタルジャケット的な組織では、なかなか上手くいかないことが多いですよね
という文脈が多くなってきているかなー、と思います。
上の命令に絶対的に従うのではなく、おお~きな方向性だけが決まっていて、その流れの中で各々が自由に動き回っている組織が生き残るのでは、なんていうことも言われているかなと感じます。
そんな中で、すぐに「自律的に動ける人ばかりの組織になる」のは難しいわけですよね。組織にはいろいろな人がいて、いろいろな思惑があって、組織にはいろいろな問題があったりすることが多いと思います。
そんなとき「組織で起こってる問題の大半は、組織において支配的なコミュニケーションの在り方によって、起こってるのでは?」と提起されている本を拝読しました。
「なんで出来ないの?」などと詰めるような会話・議論ばかりではなくて、「対話」をしましょうよ、ということを非常に分かりやすく記載していただいています。
ということで、前置き長くなってしまったけれど、以下書籍を読んだ感想を書いてみようと思います。
**【ダイアローグ 対話する組織】著/中原 淳 , 長岡 健**http://amzn.asia/7aJySmQ
▼「ダイアローグ 対話する組織」を読んで
全体を通して「対話とはなにか」「対話が、なぜ必要で、他の手段と並列してどう有効か」について非常にわかりやすく解説していただいている印象でした。
特に印象的だった部分と、それらに対し思ったことを記載していきます。
▼印象に残ったポイント列挙(詳細は後述)
(1)企業が抱える様々な問題における根源的な原因(解決すべき課題)は
「組織において支配的なコミュニケーションの在り方」である。
(2)「対話」は「議論」とは異なるものである、という定義
(3)コミュニケーションには、「情報の移動」と「人の変化」という2つの捉え方があるということ
(4)ものごとの「意味」「良し悪し」は、コミュニケーションの中で紡がれるものであるという前提(社会構成主義)
(5)対話とは。対話=ディア・ロゴス=言葉を・分かちもつ=2人以上の主体がお互いの話を聴くこと
(6)問題解決と問題設定と2つあり、対話は問題設定を行うのが得意
(7)知識の共有を行う際は、すべてのパターンを体系的に言語化し尽くすことは事実上不可能なため、語り合いにより共有する方が良い
(8)組織学習において「捨てる」という行為も大事な構成要素である
▼各ポイントの詳細な感想
(1)企業が抱える様々な問題における根源的な原因(解決すべき課題)は「組織において支配的なコミュニケーションの在り方」である。
組織における問題の根源的な原因が全てそれだとは言えないですが、非常に共感した内容でした。
例えば、経営における戦略を実現するための組織行動を実施する際には、戦略テーマなるものを組織内に設けたりする等して、ライン(現場)で行動(業務)を実施するために、あれこれ計画を立てて広めていくと思います。
ただ、計画が伝言ゲームで組織へ広まっていくとき、往々にして初めに経営サイドが思っていた通りに行動が徹底されない事態が起きると思います。
その伝言ゲームの難しさをクリアするために、経営は色々な手法で伝えようとします。
行動を規定する【業務定義・ワークフロー定義】、業務を教える【育成】、行動を実施した人・業務を褒める【評価制度】、業務を知らない人がすぐに周りに聞ける【ナレッジ還流】などです。
方法は様々ですが、いずれの場合も、AさんからBさんに「伝える」というコミュニケーションが必ず発生します。そのため、どのようなコミュニケーションによって伝言しているか、は非常に重要なポイントだと思います。
職場でのシーンを思い浮かべてみても、同じことを言われているはずなのに、「Cさんから聞くと納得感があるしすぐ行動できるけど、Dさんから聞くとどうもピンと来ない」なんてことがあるかと思います。その割合、つまりCさん的な人と、Dさん的な人の組織内の割合によって、組織における支配的なコミュニケーションが決まっていくと思いますが、どんなコミュニケーションが組織を支配しているかが、伝言ゲームの結果を左右すると思います。これは自分が今の組織にいても、なんとなく肌で感じるものだなとも思います。
結局、「どんなコミュニケーションで伝言されたか」でその後の行動が変わってくることが多いので、戦略的な行動浸透における、ある意味“ラストワンマイル”に強い影響を与えるのが「支配的なコミュニケーションの在り方」だと言えると思います。よって、そこが良くないと当然結果は伴わない訳なので、根源的な原因の1つと言えると感じました。
この本では「伝言ゲームをするときに、対話という方法がいいよ」と言っているのかなと思います。
(2)「対話」は「議論」とは異なるものである、という定義
単語が異なるので、読む前からなんとなく「明確に違う物として扱いたいのだろうな」とは思っていました。具体的には「議論」は、結論を出すことが目的であり、だいたいの場合、A案とB案を戦わせる形式だと置いています。一方で「対話」は、結論を出すことを目的とせず、お互いが思っていることを自由に出し合って、意見をすぐに評価せず「ふむふむ、そう思っているのね」と分かち合い、議論を行う上での前提を共有しあうもの、というように記載されています。
個人的に非常に重要なポイントだな、というか、勘違いしちゃいけないなと思ったのが、常にいつ何時も対話すべし、と書かれている訳ではない点です。
つまり、何らか複数人で話して合意形成をする際に「対話」と「議論」を都度使い分けて話し合うと良いよ、と述べられていることです。
当然といえば当然なのですが、その時々で使った方が良いコミュニケーション手法を取ろうね、という考えであることには自覚的でいることが大事だと思いました。
(3)コミュニケーションには、「情報の移動」と「人の変化」という2つの捉え方があるということ
ここは個人的に理解が難しいなと思ったところです。難しい理由は「コミュニケーション」というものを、対話⇔議論という切り口で語ったり、上記のような切り口で捉えたり、いろんな「コミュニケーション観」があるため、全体像の中でどの切り口で捉えているんだっけ、ということを見失いやすいからだと思います。
ただ、ここで言われているコミュニケーションの捉え方は新鮮です。
普段、多くのコミュニケーションは「情報を人に伝えるもの」と捉えられます。その際、大切にされるのは、論理的にわかりやすく伝えることであったり、論理的なだけでは伝わりづらい場合にはストーリーテリングと呼ばれる方法で語ったり、といった内容、つまり「話し手から聞き手に対する伝え方」です。伝える目的なのですから当然なのですが。
一方、ここで記載されているコミュニケーションは、話し手と聞き手という立場が存在することは前提としつつも、相互に、継続的に、理解をし合うというプロセスに注目しています。単に情報をわかりやすく伝えることをコミュニケーションであると捉えず、伝え方や伝わり方だけではなく、いずれの方法であっても、それが両者をどのように変化させているか、というコミュニケーションの過程に目を向けているのです。目的あっての手段なのだから、手段を用いているプロセスに意識を向けすぎても仕方ない、という反証はあると思います。しかし、プロセスに目を向けてみると、コミュニケーションの在り方を考え直すことができるよ、という示唆があるのだと思います。
ここで改めて内容を振り返ると、コミュニケーションとは「人の変化」である、という言葉だけ聞くと理解がすんなり行かないのですが、話し手と聞き手がコミュニケーションを行うプロセスの中で、相互にどう理解を深め合っているか、ということに目を向ける考え方だよ、と噛み砕くことである程度理解ができるものだなと感じます。
(4)ものごとの「意味」「良し悪し」は、コミュニケーションの中で紡がれるものであるという前提(社会構成主義)
過去先輩から「人の特徴には、良いも悪いもない。特徴を、良い方向に転がすためにどうすればいいか、だけを考えればいいのだ」と言われました。当時、自分の良くないところを直そうと思っても直らず、自分の持つ特徴を憎らしく思いながらドン底に悩んでいた自分はハッとしましたが、それを思い出しました。物事や事実それ自体は、そこに在るだけであり、それをコミュニケーションを取る中で良くないものとするのか、良いものとするのか、捉え方や扱い方を考え行動することが重要なのだと思います。
(5)対話とは。対話=ディア・ロゴス=言葉を・分かちもつ=2人以上の主体がお互いの話を聴くこと
対話を構成する要素は「2人以上の主体」「聴くこと、それは相手の話を判断せず留保しながら耳を傾けること」「私は〜、と自身を主語にしたストーリーテリング的な発言」「自由な雰囲気で、真剣に話すこと」であると理解しました。
余談ですが、抽象的で捉えどころの無いモノを理解する際に、それを構成する要素を棚卸し、グルーピングし、要はこういう要素で構成されているモノだよね、と理解を進めていく方法はとても手間がかかりますが大事なプロセスだと思います。
(6)問題解決と問題設定とあり、対話は問題設定を行うのが得意
特に印象的だったのは、ベトナム戦争時のアメリカにおいて戦況の悪化に対し、非常に優秀な政権幹部が都度問題解決の思考により取るべきアクションを実践し続けたため、結果的に泥沼化の方向へ進んでしまったというベトナム戦争の振り返りの記述です。
そもそも大局的な視点で解くべき問題を設定することなく、戦況に応じて問題解決をし続けた結果、問題解決能力が非常に高いが故に、皮肉にも問題に終わりがなくなるという点に注目していて面白いです。
(7)知識の共有を行う際は、すべてのパターンを体系的に言語化し尽くすことは事実上不可能なため、語り合いにより共有する方が良い
これは、自分が前の部署で組織内のナレッジ環流を促す仕事を行なっていた時に感じていた課題感と共通する言葉が用いられていることもあり「そうだよなあ」と思って読んだ部分です。
効率的な知識共有で近道を通りたい時には体系化してしまいたいのですが、それが結果近道ではない類の話もあるわけです。組織の仕事をしていると、ついつい組織的な効率観点だけを盲信してしまって、物理的な拘束を伴う語り合いの時間を軽視しがちですが、急がば回れの時もあるようです。
(8)組織学習において「捨てる」という行為も大事な要素である
学習というと、常に新しいことを習得していく作業だと思いがちですが、組織を取り巻く状況の変化もある中で、過去に学んだことが今なお有効であるとは必ずしも言えないため、組織において蓄積された学習内容を見直し「もうこれはやらない」という捨てる行為も学びの一環であるとする考え方です。
意外と忘れがちなプロセスだなと思うので、大切にしたいです。
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以上です。乱文失礼しました!
おしゃべりな一方、筆不精ですが、がんばって色々書いていきたいと思います。反応の1つ1つが通知で届きますが、励みになりますので、どうぞよろしくお願いいたします。