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幸せとは

今日の記事では障害者に関して僕なりに思う事を書かせていただきますが、障害者を肯定しているわけでも否定しているわけでもありません。一つの考え方として受け止めていただけると幸いです。

こんにちは、コッシーです。


さて、今年7歳になった僕の息子は知的障害者であり、市から障害者手帳を発行してもらっています。その等級は最も重い【A】であることから、重度の障害者として認定されていることになります。

ただ息子は身体的には何の問題もありません。食事も自分で摂取できますし、排泄もほぼ自分で行えます。着替えも自分で出来ますし何ならiPadでYoutubeを視る事も出来ます。

それなのになぜA判定という重い結果になったかと言うと【言語】だと思います。息子はほとんど言葉をしゃべる事が出来ません。

声が出ないわけではありませんし、聴覚に問題があるわけではありません。ただ言葉を話すことがほぼありません。7歳になった今もごくわずかの単語のみしゃべれるだけで、それもきちんと発音出来ているか怪しいレベルです。

はっきりとした原因は分かりませんが、その他にも学力や運動などでも他の子に比べて劣ることから、知能に何らかの障害はあると思います。


異変を感じ始めたのが息子が2歳くらいの時でした。

それくらいの年頃になると会話は難しいかもしれませんが、ある程度の単語を発してもおかしくありません。しかし息子は一切話すことはありませんでした。

少し発達に遅れがあるかもしれないと思い、市の保健センターに相談に行きました。そこでは市が運営している親子簡易通園施設を紹介してもらい、とりあえず週1回通うことにしました。

親子簡易通園施設とは育ちに不安がある就学前までの子ども親と一緒に通う施設であり、そこではST(言語聴覚士)による訓練なども行っていました。

しかし3歳になっても息子は一向に話す気配はありませんでした。さすがに何らかの障害を疑い不安になった僕らは通園を週1から週5に切り替え、僕も平日休みには必ず息子と一緒に通園するようにしました。


それでも息子が言葉を発することはありませんでした。


保育園で手厚い支援をしてもらうために、保育園に上がると同時に障害者手帳を申請しました。初めての申請にも関わらず【A】という最も重い判定に不安を覚えました。

多分この頃が僕ら夫婦として1番悩んでいた時期だったと思います。息子の将来の考えると目の前が暗くなりましたし、息子が可哀そうで仕方ありませんでした。

息子はもしかしたらこのまま話すことが出来ないかもしれない。そうなったら息子の将来はどうなるのか。普通の暮らしが出来るのか。僕らがいなくなったら生きていけるのか。

果たして息子は幸せになれるんだろうか……

今、息子は幸せなんだろうか……


そんな事ばかり考えていた時期でした。


悩み苦しんでいた僕らを救ってくれたのは、同時期に通い始めた放課後デイの担当の先生からの言葉でした。


「重度の知的障害を持つ方はある意味幸せだと思います。国の支援体制は充実していますし、何より本人が自分の状況を全く悲観していません。親御さんは将来を憂い不安に思うかもしれませんが、本人は気にもしていません。

息子さんも自分が話せない事に対して悲しんだり苦しんだりされていませんよね。

だから親としては息子さんが笑顔になれる事を考えるのが1番だと思います。親御さんが不安だとそれこそ息子さんが悲しみますよ。」


先生の言われた事はもちろん賛否両論あると思います。障害者に対して幸せとは何事か!と不快に思う方もいると思います。

でも僕や奥さんは先生の言葉に心が楽になりました。たとえ息子がこのまま言葉を話すことが出来ないとしても、僕らが不安に思わなければ少なくとも息子は不幸せではないんじゃないか、そう思う事が出来ました。

そこから僕ら夫婦は今の状況を受け入れることができ、本当に自然体に毎日を過ごせています。

心残りは僕が死んだあとのことで、それだけは生きてる間に何とかしたいと思っています。

僕が生きている限りはどんな息子でも受け入れますし、全力で愛します。きっと奥さんも同じ気持ちでいてくれていると思っています。

もし息子がこの先言葉を話すことが出来たのならやっぱり嬉しいけど、別に一生話すことが出来なくても構いません。諦めてるわけでも達観したわけでもなく、どう転んでも何があっても受け入れるという気持ちなだけです。

そう思って生きてきました。


昨日のことです。

仕事から僕が帰ると奥さんがニヤニヤしながら近づいてきました。


奥さん「あんたが絶対に泣く事してあげよっか」

僕「は?泣くわけなし。は?」

奥さん「〇〇君、パ~パは?」

僕「!?!?」

息子「ぱぁ~ぱっ」

僕「うおおおおお!!(大号泣)」


たどたどしい口調で発音も微妙で意味も分かっているか怪しいところですが、それでも僕にははっきりと『パパ』と聞こえました。

別に諦めてたわけでもなく、またそれを特別望んでいわたわけでもありません。ただこんな日は来ないだろうなと心のどこかで思っていたので、この不意打ちにはさすがに涙腺が大崩壊しました。#絶対泣く事だった

奥さんが以前からこっそりと訓練していたらしく、やっと十中八九言えるようになったみたいでした。憎いことしやがる。でも超絶嬉しい!!


何が幸せで何が不幸なのかは本当に人それぞれだと思います。

少なくとも僕は今、息子の障害を不幸とは少しも思っていません。

何気ない日常に息子のホントに些細な一挙手一投足がとても大きな喜びを生み出してくれています。

息子に「パパ」と言われた瞬間、僕は宇宙一幸せだと思いましたし、おそらく宇宙一の幸せ者だったに違いありません。

先のことは誰にも分かりません。息子がどう成長するかも誰にも分かりません。ただこうやって一緒にいられることが、僕にとっての幸せだとそんな風に思います。


でも息子の「パパ」発言に本当に嬉しくなってしまい何度も何度も息子に催促していたら、どうやら嫌になってしまったみたいで全く「パパ」と言ってくれなくなっちゃいました(泣)。

僕の幸せは短命でした。ほとぼりが冷めたころに再び催促をしてみたいと思います。


それではまた。

コッシー

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