2023/03/29 胎内記憶

もうすぐ五歳になる娘が、最近、いわゆる胎内記憶と思われることをよく話してくれる。

「生まれてきてくれてありがとうね、ママはあなたが生まれてから、本当に毎日、幸せなんだよ!!ありがとう!!ぎゅー!!」

というのを、ほぼ毎日してきた。本当にそうだから。
そしていつも、
「どういたしまして!ママも生まれてきてくれてありがとう!」
と答える娘。

それが、最近、いつもとちがう返事をする。

「それは神様が決めたんだってば。神様にありがとうって言ってね!」
「ママを選んで来たんだよ。優しそうだったから!」
「神様のところには赤ちゃんがいっぱいいてね、どの大人が良いか見てるんだよ」
「一度、神様のところに生まれて、それから、ママのお腹に入ったの」
「お腹の中にいた神様にはもう会えない。会いたい。」
「お腹の中は、まっくらだったよ。プールで泳いでた。ちょっと寒かった」
「ママが選んだんじゃないんだよ、私がママを選んだの。」
「ママはハートだった!」
「パパはね、ホネ!!」

パパがホネなのはよくわからないけど、最近、本当によく、なんか謎の不思議な世界の話をたくさんしてくれる。

そういう世界があるのかなー。私もそうやって生まれて来たのかなー。娘は私の姿をみて、私のとこに生まれてきてくれたのかなー。ふーむ。と謎に包まれる。

娘はその不思議な世界のこともよく話してくれるのと同時に、科学的に人間がどうやって生まれてくるのか(精子と卵子が出会って受精卵になってそれが成長して赤ちゃんになる)ということも、よくわかっていて、よく説明してくれる。

娘の中では、全部が本当のことで、非科学的な世界と、科学的な世界は矛盾しないのだ。両方が両立している。

それはとても自然なことだと思う。
非科学的な”ご利益”を求め、神社仏閣に「健康を祈願」しつつ、「病気になったら医者に行く」ということが当然のことのように。

娘を見ていて、自分の中の忘れているものを教えられる気持ちだ。
人間の中にある野生的で非科学的な部分、神秘的な部分といえば良いのか、目に見えない世界といえば良いのか、わからないけれど。
それは確実に感じることができて、実感に基づいている。そしてとても個人的なことであるにも関わらず、同じ「実感」を体験している人が多くいる。

そして同時に、それと一見矛盾するような物理現象としての自分も存在している。

どちらも実は真実で、どちらも共存している。

けれども、どういうわけか、現在においては、目に見えない世界をおろそかに考えがちで、物理世界を信じがちだと言うこと。

本当は、どちらも真実なのだと、私は思う。

目に見えない世界を信じると、胡散臭いと言われがちだけれど、目に見えない世界を否定せずに、自分の実感に基ずいた真実を、自分の中で信じていく余白を持っていたいと思う。

「それを経験したひとには真実」がごとく。

ところで、娘は不思議なひとで、成長において「突然」の人だ。

突然、おむつが外れて、昼夜問わず完璧にトイレに行けるようになったり、
突然、お箸が本当に上手に使えるようになったり、
突然、簡単な足し算の概念を理解したり。

本当に人間の成長の仕方って、千差万別で、娘の場合は「突然系」で驚かされる。

親バカなのかもしれないけれど。

次は料理とかしだすんじゃないかと思う。

孔子の論語とか語りだしたら、めっちゃおもろい。

次は何が起こるんだろう。娘はいつもおもしろい。

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