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2回目の精神科病院入院 その1

この入院、そして治療が今までの人生で1番大変でした。

入院期間  5ヶ月程
治療期間  3年程

年齢  21歳

なんといっても、このときは大変でした。

冬も始まったばかりの頃から春も半ばくらいまで入院していたのですから。

悪くなるきっかけとしましては

体調が良くなったと過信し、
常備薬を飲むのを止めてしまったことが悪化の発端でした。

まず、早朝覚醒する日が増えました。

そして段々と眠れなくなってしまい、

アルバイトも続けられなくなってしまったのです。

それくらいで入院しておけば良かったのですが、

まだその頃は私も両親もその症状が何なのか、
どういう病気なのか全然分からず、

家で休ませるしかなかったのです。

思い出すのもちょっと嫌なくらい。

そして私はウロウロしだしてしまった。

昼も夜も夜中も朝も。

自分では自分はヒーロー、いや、神だと思っていました。

それが病気の症状だとも知らずに。

むしろ調子がすこぶる良いと思っていたのです。

親も何が何だか分からず、

どう対応して良いのか困惑しきっていました。

ただ携帯電話があると電話をいろんなところにかけてしまったりするというので電話は親が預かっていました。


当時、お付き合いしていた女性がいたのですが、

連絡がとれなくなってしまった。


またこの女性が素敵な方でした。


私の病状は悪化する一方でして、

夜中も外をウロウロしてしまう状態でした。

親は玄関のドアのとっ手を

ドアが開かないように針金で、

私が外に出ないようにと、巻き付けていました。


ある時、早朝、

私は二階のベランダから跳び降りて

パンツとTシャツ姿で

家から走り出してしまった。


慌てて私を探していた親の車が走っていた。

今思うと、親に申し訳なくて、、、


子どもが下着姿で家をでてしまい、

慌てていて、

それでも子どもが見つからない親の気持ちを思うと、

なんで僕はこんなことをしたのだろうと、、

いてもたってもいられなくなります。


そして私は家から少ししたところのコンビニで

食べ物をあさってしまいました。

そして警察に保護されました。

警察署で「僕は警察庁の長官になるんだ!」とか叫んでいたところに、

親が来ました。

そして、精神科の病院に行き、

そのまま入院することとなったのです。

医療措置入院 でした。

そんなところまで私の症状は悪化してしまったので、

私の意識はあるようでないような、そんな状態でした。


また入院中の話は別の時にさせてください

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意識不明のところまでになってしまうと、

元どおりに戻すまでが、

本当に大変です。

でも生命力とは素晴らしいもので、

私は元どおりになり、

そこから更に成長しています。


生命は生きている以上、


可能性に満ち溢れている。


ということを私は身をもって知っています。


病気の方を見かけると、いつも


あなたには素晴らしい未来があるよ!

今は辛くても、

たとえ光が見えないような状況でも、

負けないで、

がんばれ!


あなたは一人きりではないです!


がんばれ!


きっと良くなります!


と心のどこかで思います。


私は

その方のお父さん、お母さん、ご兄弟の皆さまの気持ちも

理解できるような気がするからです。

みんなしんどい。

そんなな中でも前を見て、

努力されて

歩んでいるわけです。

私もしんどい。

でも親も、

同じようにしんどい

んです。


今は当時のことをそう思えるのです。


底無し沼なんてないですよ!

断言します。


あなたが希望をもつことを諦めなければ、

光はさすのです。

真っ暗な闇などありません。

目は慣れます。

そして、どこかに光が漏れていたりもします。


病気をされているあなた、

またご家族の皆さま、

希望を持ち続けてください。

必ず光は射します。

どうか、

素晴らしい未来を

あなたのすぐ側にはそれが、


幸せがあるはずだから!


皆さまの幸せを心より願っております。

          こしやま

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