続けられることは才能らしい【人生を生きるのは才能になりえるのか】
今日でnoteの投稿が610日になるという。
noteの運営側には、
と言われたが、そうなのかな。
続けられることだけで才能といわれるのなら、みんな、生きていることに才能があるのだろうか。
まぁね、僕も40年生きている。
多少、この世界にはなれているのかもしれない。
まだ、生きづらさはあるけどね。
随分と生きやすくなっている気はする。
でも、どうなんだろう。
この年、アラフォーになってから人生がまた生きづらくなる人もいると思う。
結構いるよね。
アラフォーとか、年を取ってからメンタルを壊しちゃう人が。
こういった人って、これまで頑張って生きてきた人たちなのかな。
これまで、精一杯生きてきて、いい加減疲れちゃって、アラフォーくらいで人生に疲れ切っちゃった人たちなのかな、と思う。
人生は、ただ生きているだけではうまくいかないこともある。
noteだってそうなのかもしれない。
文章だって、ただ続けているだけではうまくいかないのかもしれない。
まぁね、それでも継続するって素晴らしいですよね。
逆にいえば、継続しないと、何事もなすことができないんだろうな。
こんなことを、成功者が言っていたのを思い出した。
やはり、何事も時間を投下しないとうまくいかないのだ。
それが、自分に合ってないことでも、時間を投下すればうまくいく可能性もあるということだろうか。
…うん、ならば投下しよう。
人生も、文書も時間を継続しているのだから、さらに投下しよう。
610日。
継続するだけが才能というのなら、僕は継続の才能があるということにしよう。
そのほうが、人生生きやすそうだから。
おしまい。
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