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お前が変わりたいと願っているなら、言葉くらい変えればいい

変わりたいと願う。
自分を変えたいと心からそう思っていた。

この世の人間をネガティブな人間と、ポジティブな人間に分けるのであれば、僕は完全にネガティブ側の人間。
心が強い側の人間ではなく、弱い側の人間だ。

しかし、変わりたいと願っている。
昔からこんな自分を変えたいと思っているのだから、こんなことを言ってはいけないのだと思う。

こんなことってなにかというと、上記のネガティブな人間側とか、心が弱い人間だ、という言葉だ。
自分に対してそんな言葉を使うから、本当にそんな人間になってしまうんだろう。

自己暗示みたいなもんです。
たとえば、自分の血液型がA型だと几帳面になったり、B型だと思っていると大雑把になったりするのがそうだ。

血液型と性格には何の因果もないなんてのはよく言われていること。
しかし、日本では今だに血液型でその人の性格を判断するというのが、日常的に行われているのが現状だ。

そして、血液型で性格を判断する環境の中に自分がいると、自分もそんな暗示にかかりやすくなってしまう。
だから、日本に限ってのことでは、血液型で性格を判断するというのは間違いでもなかったりする。

みんな暗示にかかっているんですよ。

「あなたはA型だから、几帳面で繊細だよね」

と小さな頃から言われ続けてきたら、本当にそんな人間になる。
そして、そんなことを言われ続けていたら、

「…あぁ、そうか僕は几帳面な人間で、繊細な人間なんだ」
「…そしてその理由は、A型だからなんだな」

なんて、本来なら関係のないものを結びつけて納得してしまう。
だから、日本に限っては血液型占いというのはなんとなく当たってしまう場合が多い。



まぁ、だから自己暗示って大事なんですよね。
小さな頃から、自分はネガティブな人間で、心が弱い側の人間だと思いこんでいたら、本当にそんな人間になるんですよね。

自分の言葉が自分を形成する。

なんて、自己啓発本を開けばよく書いてある言葉の一つです。
自己啓発を完全に信じるわけでもないが、まぁそりゃそうだよな、と思う。

自分が放った言葉の通りの人間になるというは、理解できる。

「…自分は心が弱いから…」

と言っている人間が心が強いとは到底思えないし、自分がこんな言葉を発していれば、そんな人間になるのは当たり前だ、とも思う。

だから、どうせなら言葉くらい変えてやればいい。
本当に自分を変えたいと願うのなら、言葉くらい変えてやるのが最低限必要な行為なのだろう。

心が弱いなんて言うな。
ネガティブな人間だなんて言っても、自分の得にはならない。

信じるものは救われろ。

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