はじめまして
2022年が始まりまして、仕事も始まりまして、去年から色々と考えていた事をやってみようと、そんな一年にしようと。
その一つがnoteです。
どうすればいいのか、考えているうちに今年も10日経ってしまいましたね・・・
でも、それが去年までの自分、迷ったり、悩んだり、計算したり、落ち込んだり、しているうちに時間を無駄にしてきた気がするんです。
あれこれ考える間に、一歩踏み出す一年にすることを決め新しい年を迎えました。
だから、とりとめのない文章になってしまうかもしれません💦
自己紹介をします。
私は1972年7月生まれ 今年で50歳になります。
現在、小さいながら建築会社の代表取締役です。
父が大工として工務店を経営していました。そこに私も28歳の時に入社いたしまして、父と二人で働いていました。師匠と弟子です。約6年間父と二人で頑張っていました。
大工として、現場に出ながら、同時に積算や見積もり、そして経理も任されるようになっていきます。社長修行と言いますか、それはそろそろ後を継いでほしいというサインであったのだろうと思います。私もそのつもりでいましたので、何も抵抗なく仕事をしていました。
ただ、もう少し先の話だろうと思っていました。
そんな時、私の7つ下の弟が工務店の仕事を手伝いたいと当時は長野県にいたのですが、3月から地元に帰ってくることが決まり、親子3人で工務店をやっていく事になりました。父も喜んでいました。それが1月の話です。
弟は長野県で恋人を作り、結婚が決まっており、両親が長野県の恋人の実家に挨拶に行くことになりました。父は不安だったのか「道案内でお前も来い」と私に言いました。3人で長野県に行くことになったのです。
両親と私で長野に行き、現地で弟と合流し、恋人のご実家に挨拶に行きこの先のスケジュールなどの話をして1泊。翌日広島に帰ってきました。
広島に帰る道中、私は風邪気味で少し熱っぽかったので、ほとんど寝ていました。広島につくと父は孫(私の娘)に会いたいと言うので、私の家族と一緒に食事に行きました。回転ずしでした。その頃、娘はまだ1歳になったばかりで、おじいちゃんの顔を見ると泣いてばかりいましたが、その夜は違いました。走っておじいちゃんに抱き着きに行ったのです。その時の父の顔はもう、幸せそうで、今でもよく覚えています。
食事が終わり、帰り際父は「明日、風邪がしんどかったら休め」と言い、私は「熱が出たら休むわ」と言いました。
これが最後の会話でした。
翌日、私は熱を出し、仕事を休みました。
父は一人で現場に行ったらしいのです。
その帰り道、交通事故に遭ってしまいそのまま帰らぬ人となってしまいました。
やはり、とりとめのない文章になってしまいましたね💦
長くなりそうなので二部制にします。
一部はここら辺で。
最後まで読んでいただいた方、ありがとうございました。
こんな感じで書いていこうと思いますので、よろしくお願いいたします。
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?