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【グループ展を主催してみる。】③人をあつめる-高校編-

 メイド服みたいなかわいい制服のバイトを1ヶ月で辞めたり、4年春から始めたロシア語の勉強が大変だったり、「毎週2本の映画鑑賞」を自分自身に課していたり、積読を消費したり、旅に出たり、人と会って話したり、ぬか床にハマったり、ワインを飲んだり、日本酒を飲んだり……。
 日々が充実しすぎているおかげで(バイトでいじめられたのは全然充実してない!)、更新が遅くなってしまった。

 大学同期編はこちら↓

 私は、中高一貫の女子校出身である。カトリック系ということもあり、シスターや先生たちによってそれはそれは大切に慈しまれてきた。
 奉仕の精神を掲げ、落ち着いた思慮深い女性になってほしい、というのが学校の思惑なのだろうが、反して私たちは総じてゴリラであった。

 大学同期編につづき、グループ展開催に乗ってくれた愛しき高校同期の紹介をしようと思う。

 2024年5月1日。何気なく上げた、グループ展主催を決めたストーリーに一番初めに反応してくれたのはFだった。高校終盤以降、私は仲良くなった友達を「ちゃん」付けから名字で呼び捨てするようになるのだが、その1人目がFだったように思う。

 Fは、私が人生で出会ってきた中でも間違いなくトップに食い込む変人である。私の大学は、世間一般では「奇人変人のサラダボウル」と言われるが、高校同期の方が変人率は間違いなく高い。どうしてだろう。

 Fとまともに話した最初の記憶は、高校1年生の修学旅行だろうか。カナダ行きの飛行機の中、私たちが隣同士だったのは、出席番号順に座席を指定されていたからだ。あれだけ日本で「Beef or chicken?」を練習させられたのに、チキンが品切れで強制ビーフだったこと。後方席の選択権のなさに笑いあったこと。時差でズレる体内時計を無理矢理合わせるため、CAさんに深夜に叩き起されて食べさせられた機内食の激甘クッキー。ふたりでグチグチ言いながら食べ切って、ついでにお菓子交換もして、ミルキーをあげたのはどちらだったか。曖昧な記憶ではあるけれど、まだFを普通の人間だと思っていた、このときまでは・・・・・・・

 良くも悪くも、いまの私の6割を作ったのは、F率いる生物基礎履修組である。
 まだ21年ぽっちしか生きていない私の人生は、明確に2つに分けられる。
 前髪を作るまでと、前髪を作ってから。16年間オールバックにしていた前髪を高校2年生の時に初めて下ろしてから、Fとは格段に仲良くなった気がする。きっと、自分の中での「受容」と「解放」。
 いまの私が、いつまでも小学生男子みたいなテンションでゲラゲラ笑っているのも、うら若き乙女だというのに何食わぬ顔で下世話なことをペラペラ喋れるようになったのも、しょうもないギャグとダジャレをポンポン連発しているのも、すべてFたちによって培われた。先頭を行くのがFだった。なんかかっこいい感じにまとめようとしているが、本当にいつも中身のない会話をしている以上、半年に一度は話さなければ英気を養えないことがわかった。ストレスいっぱいの受験期、年間通して風邪をひかなかったのは、喋ってばかりの生物基礎の授業と遊んでばかりの掃除時間に、涙が出るほど毎日笑っていたからだと思う。NK細胞が活性化していたんだと信じている。

 そういうふざけた話は置いておいて、私が昔より社交的になったのはFたちがきっかけだったんだろう。内輪のコミュニティに閉じこもり、居心地よくぬくぬく過ごしていた私が、あまり喋ったことのない同級生と自ら関わりに行ったり仲良くなろうとしたりとか、雑誌作りもそうだけど、当たり前のように人を巻き込めるようになったとか、自分の殻を破れたのは、この人たちの存在あってのことだ。

 高校2年生のときに作った雑誌の座談会企画でFが発していた、「私は、首がなくなってもFでいたい」という言葉が忘れられない。あれから5年経った今でも、心臓に深く突き刺さって抜けない。
 Fは変な人だが、自分の芯と未来への眼差しを、言葉とかたちに残す人だ。現在、Fは助監督として各地を飛び回っている。いつか、Fの創る映画を観てみたいと思う。

雑誌のファッション記事

 2024年5月6日。
 Mちゃんに連絡をしてみた。私のLINEは高校以前のデータがないので、今年の元旦に集まった高校弓道部のご飯会LINEグループのメンバーから、恐る恐る友達追加をするところから始めた。

 Mちゃんは中学1年生のときのクラスメイトで、高校生になってからは同じ部活の同期。そして、私に初めて「共通の好きなもので人と仲良くなる」という経験をさせてくれた友達だ。えくぼがかわいい。

 中学1年生の4月。スクールバスで学校に通っていた私は、多分その日の放課後もバスが来るのを待っていた。同じ教室で、どちらも『なかよし』読者だと判明して意気投合。好きな作品が被っているとわかり、本当に嬉しくて嬉しくてまた大盛り上がり。
 早いもので、もう10年も前の話になる。

 今はそれほど漫画を読んでいるとは言えない私だが(ごめんなさい)、小学4年生のときに漫画解禁令が解けてから漫画封印令を自分に課す受験生まで、私は大の漫画っ子だった。
 女子にありがちなのは、『ちゃお』『なかよし』『りぼん』の派閥論争だと思う。
 わからない人のために説明を加えると、小学館の『ちゃお』、講談社の『なかよし』、集英社の『りぼん』、どれも全て若年層向けの少女漫画雑誌である。私の小学校では、クラスの女子の8割が読んでいたのが『ちゃお』、大人びている子が読んでいる『りぼん』、そして私しか読んでいる人がいなかった『なかよし』。
 肩身の狭い思いをし続けた2年間を過ごした先に、新しい環境で同じ趣味の子と仲良くなれたのは、私の人生の中でも衝撃的なことだった。Mちゃんは『なかよし』強火オタクというわけではなく、ほかの雑誌も満遍なく読んでいる総合力カンストタイプだったような気がする。違ったら教えてください。

 いつか、Mちゃんは私に将来の夢を教えてくれた。本の装丁に関わりたい、と話してくれた。私の夢は編集者だったので、本の表紙を依頼できるように私も頑張るね!!!!!!と勢いよく宣言した気がする。
 高校2年生のとき、雑誌の表紙を依頼した相手はMちゃんだった。4コマ漫画まで描いてくれた。タイトすぎるスケジュールの中、快く引き受けてくれたMちゃんには感謝しかない。「JK」「星座」「きらきら」という、あまりにも雑で抽象的なコンセプトを具現化していただいたのが嬉しくて、もらった下書き2枚のうち、1枚をロック画面に、もう片方をホーム画面にしていた日々をずっと覚えていたい。
 実際に描いてもらった表紙は、青を基調とした背景に星座が広がっていて、女の子が持っている星が虹色でとんでもなく素敵で………。時間がない中で、美術の先生にも見てもらったと話していた。もう本当に、ありがとうございます。
 笑顔がかわいく優しく穏やかなMちゃんは、イラストにもその内面が溢れていて、だから、陽だまりのようなMちゃんのイラストが私は好きだ。それでいて、しっかりとした意志や芯のある強さをイラスト越しに見るとき、弓をまっすぐ引いていた弓道部時代のMちゃんの姿を重ねてしまう。

 日は飛んで、5月17日。ゴッドに連絡を取ってみた。
 そう、ゴッドである。中学1年生のときからあだ名がゴッド。理由はただひとつで、絵が神すぎるからゴッド。
 ゴッドも中学1年生のときのクラスメイトである。当時描いてもらった黒猫の絵を私は大切に大切に保管している。

裏の某6つ子もゴッド作

 ゴッドと最初に喋ったのは、中学1年生1学期の美術の授業。「学校の風景を描こう」というテーマで、私とゴッドが選んだ場所が偶然にも一緒だったのだ。
 体育館のラウンジを背に、白いベンチから校舎と大きな杉の木を描く。私の猫目ドラえもんを見たことのある人はわかると思うが、当方絵心というものは持ち合わせていないので、絵が上手すぎる隣の同級生を見てびっくりしていた(そして、ずっとお喋りに夢中になっていた)ものだった。
 今でも覚えているのは、雲の描き方。私が小学6年生さながら、青い空に白い絵の具をベタ塗りしているのに対して、ゴッドの描き方といったら。くるくる筆の先から押し付けられて生まれる本物そっくりの雲に感動していた。

 家が近かったり、ゴッドのお姉ちゃんが部活の先輩だったり、お互いに猫好きだったり、そんなこんなで私たちは仲良くなった。そして、ゴッドは私にオタク文化のいろはを叩き込んでくれた大先輩である。ドラえもんズ、ヘタリア、しょうこお姉さんの絵描き歌……。ニコ動系列のミームはゴッドから教わったと言っても過言ではない。そういえば、私が初めてヴィレッジヴァンガードに足を踏み入れたのも、ゴッドと一緒のときだった。

 私たちはよく契約書を書いている(ゴッドは書かされている)。
 1回目は、中学1年生のとき。当時私が入っていた部活は過疎で、部員が全然いなかった。そこで、放課後の教室で寝ていたゴッドに入部を要請する契約書を書かせた。今思い返せばむごい話である。契約は、名前の筆圧が薄いとかいやそもそも同意してないわとかいった理由で破談となった。
 2回目は、高校1年生のとき。ゴッドのお姉ちゃんが卒業したときの校内誌を読みながら、自分たちの卒業式の予想をしていた。そして余白に、「卒業式でゴッドが泣いたらゴッドがウォッカを飲む、泣かなかったら私とtがウォッカを飲む」という契約書を書いた。私は通称・破壊神であるが、一方で物持ちが良い人間でもあるので、昔の遺物は全部取ってある。校内誌の契約書だって例に漏れない。
 そして月日は経ち、20歳。成人式の内輪同窓会で再会した私たち3人は、卒業式で泣いたか泣いてないかは関係なく、結局全員でオレンジウォッカ── そう、スクリュードライバーで乾杯したのだった。

 もうずっと、多分中学時代から、ゴッドに「フルカラー1000ページの動物図鑑発行して!」と言い続けている。そのときは私が編集者をやるから、tとmは動物のエサになって、その間にゴッドがスケッチして、みんなで世界中駆け巡って、一緒に取材しようね、と。
 しょうもない口約束をしたとき、思い描く日々には必ず希望があった。当時「思い描いていた日々」に立つ今、あのときのしょうもない口約束を振り返っては、バカだなあと笑いながら現実をどうにか捨てずに頑張れている。
 大事なものは捨てないと前に進めないから。そう信じていた日々もあったけど、私はやっぱり思い出に生かされている気がする。

 以上が高校同期の紹介となる。
 今日これから、展示場所の内見兼高校同期と大学同期の顔合わせ会がある。私の素敵な友達を、素敵な友達に紹介できるのが楽しみだ。
 12月8日、都内でお待ちしています。

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