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異世界からのもの

 全国的に記憶喪失者が急増するという奇怪な現象が起こるようになって半世紀近くが経った。喋れないもの、読み書きできないもの、気が狂うもの等多くは意思疎通に問題を抱えた状態での発症で、中には会話はできるものの文字が全く読めないといった症状も見られたという。様々な研究の結果、記憶喪失の原因が異世界転生だと断じられたのはほんの十数年前のことだ。にわかには信じがたいことだが原因が特定されてからの社会の適応は存外に早く、『異世界からのものに関する法令』が採択および施行され、一次対応の手順や戸籍制度の整備がなされて社会はようやく落ち着きを取り戻しつつあった。
 社会で生きていくためには自らの手で糧を得る必要がある。そしてそのためには職につかなければならない。しかし、異世界の知識がどれだけ豊富でも、この世界で生きていくために必要な知識が貧弱であれば社会のはみ出しものにならざるを得ない。また、知識を持っていたとしても席は限られている。政府は助成金を出すなどの方策を打ち出しているが彼らを積極的に雇用する企業は少ないというのが現状であり、未だ公の職業斡旋制度は貧弱と言う他ない。
 ここは昔から多かれ少なかれ事情を抱えたはみ出し物を受け入れてきた、ドヤ街の外れにある街である。一時は少子高齢化に伴う労働人口の減少によって寂れた様相を見せたが、ここ最近は異世界からのものと持ち込み仕事を斡旋する手配師が集まり、急速に活気付いてきたように見える。

 シャッターが閉じた職安の前で、禿げ上がった頭に長い顎髭を伸ばした老人が何枚もの大きな紙を広げて演説をしている。
「……よって我々がすべきことは、まずは彼らを一人ずつ把握することであり、その上で適切な仕事を与えられるようにすることです!」
賛同の声が上がり、拍手が起こった。
「皆さんのお気持ちはよく分かります。私自身もかつてはそうだったのですから……。私はこの十数年、ずっと考え続けてきました。そして一つの結論に達したのです。その答えとは……」
群衆の中から声が上がった。
「おい、爺さん。そろそろ時間だ!」
午後六時を示すサイレンが鳴った。どうやら熱弁を振るっているうちに時間が過ぎてしまったらしい。老人はハッとして、
「ああ、もうこんな時間か。それでは本日はこれにて失礼します。どうか皆様、ご協力くださいませ」
と言うと、深々と頭を下げた。人々は口々に彼のことを褒め称えつつ、散っていく。
「全く、相変わらず大した爺さんだ。異世界のものについてあれだけ語れる人間なんて世界中探してもあの爺さんぐらいだろうよ」
「そりゃあそうだけど……、俺はちょっと怖いよ。何しろ連中ときたら揃いも揃って訳分かんねぇんだ」
「それにしても最後に言いかけた結論って何だろうな」
「さぁな。俺は持ち込んだ仕事の分の取り分が抜けりゃあ何でもいい」
「それは慎ましやかな生活だことで」
手配師の男達は笑い合った。

 異世界からのものの人口はこの何年かでさらに増えた。そのことが後押しし、かの演説をしていた老人はいよいよ次の選挙で対抗馬を破る可能性まで噂されるようになった。
「本日もお集まりいただきありがとうございます!」
老人の声はより大きく、内容はより過激になっていった。しかし、老人の話を熱心に聞いていた人々も、次第にその話の内容に違和感を覚え始めた。例えば、
・異世界からのものは前世の記憶を持っていることが多い。
・前世の記憶を持つもの同士では意思疎通が容易である。
といったような内容だ。
あると言えばあると言えるかもしれないが、そんな話は聞いたことがない。また、仮に事実であったとしても、なぜそれが分かるのか? そもそもどうやってそれを確認しているのだろうか? 聴衆の中には首を傾げる者もいた。しかし、老人はそのことには全く触れずに、異世界からのものがいかに素晴らしい存在であるかをひたすらに説くばかりである。
・異世界からのものは総じて身体能力が高いことが統計的に証明されている。
・異世界からのものと人間は外見が似ている。
「だからこそ我々は今まで人間と見分けをつけることができなかったのです。しかし、今こそ我々人類は目を覚まさなくてはならない!差別的な表現と思われてしまうかもしれませんが、敢えて申し上げます。我々人類の敵は人間なのです!私はここに宣言いたします。異世界からのものを我が陣営に引き入れよ、と。そして、異世界からのものの保護を最優先とする法律の制定を!と!」
老人は拳を振り上げた。拍手が巻き起こり、聴衆は歓声を上げた。この老人は、実は異世界から来たものではないのか。そんな疑念を抱く者も中にはいたが、誰もそのことを口に出すことはない。彼らの存在は最早この社会の一部と言っても過言ではなかった。彼らの存在を否定することは、この社会そのものを否定することと同義なのだ。

 「俺は取り分が抜けりゃあ何でもいいけどよ」
持ち込んだ仕事を受ける相手がいなければ、手配師の生活も立ち行かなくなる。
「これじゃあどちらが世話をしているのかわからないな」
手配師は力なく笑った。

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