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【起業回想シリーズ❸】2016年3度の資金難とIT事業としてのWakuWaku誕生譚

前回は、2015年に爆誕したWakuWaku Job Fairという一過性のイベントながら会社を救った出来事について書きました。

今回は、2016年にそれを通年事業としてのウェブサービスにしていく過程で襲っては消え、乗り越えては襲ってきた3度の資金難の果てに辿り着く先について記します。

先に書いておくと、2016年は本当にハードでした…

資金切れで窒息しそうになりながら、M&A破談という波や、全共同創業者たち退職という嵐、さらにプライベートでも双子誕生でマインドシェア崩壊という精神が削られ続けた一番苦しい期間でした。

ということで本題へ。

第一の資金難:1~3月の無料掲載WakuWakuウェブ事業立ち上げ期

2015年には、創業事業のJobTalentsに見切りをつけて、5月と11月にWakuWaku Job Fairを開催し、日本語人材採用という特化分野で合計数十社と2,000人以上の求職者プロファイルを集めることができました。

ただ、イベントは一過性であり当然、売上がその時にしか上がらないので通年で事業として運営できるよう通年の採用に利用できるサービスとしてWakuWakuのウェブサービス化(要は求人サイトにする)を2016年の年初に試みました。

そのために最初の3カ月は無料掲載期間とすることで企業掲載を集め、求職者のオンライン集客も行って満足いく採用をしてもらい、4月から有料掲載とする算段を組みました。
が、実は2016年の年明け時点でもうその月の給料を払うことすら難しいほどキャッシュがありませんでした。

そのことをバンコクの起業家仲間に相談したところ、「3カ月運営するのに最低いくらあれば足りますか」と聞かれ、日本円で3桁万円以上の金額でしたがそれをご支援くださりました。

そのおかげでTalentExはWakuWaku求人サイト化に必要だった最初の無料掲載3カ月を生き抜くことができ、文字通り大恩人です。
その恩を返すのに実に5年かかり、それができたのは本当につい最近でした。

資金難を乗り越えた後は無料掲載期間として2015年のジョブフェアに参加頂いたHIS社やNPD社など営業して求人は順調に集まり、新卒就活期だったこともあり、求職者の登録・応募も順調に進めることができました。

第二の資金難:4~6月の有料化挑戦期

3カ月の無料掲載期間でWakuWakuがイベント型のジョブフェアだけでなく、インターネット上の求人サイト事業としても役立てることを一定程度証明する中で掲載企業各社に有料プランを案内しました。

これはウェブサービス/アプリ系の定石で「まず無料で使ってもらい、一定利用期間後に有料化を薦める」という流れで、サービスの内容や金額にもよりますが有料への切り替えは簡単ではなく、有料化を1社も受け入れてくれなかったら①の恩人から支援してもらった資金もなくなりゲームセット、という結果も十分あり得ました。

それを救ってくださったのがPersonnel社の小田原さん始め数社の初期ユーザーの方々です。
WakuWakuジョブフェアからの信頼、サービスへの信頼を以って、まだ誰も有料で使っていなかったサービスに何万、何十万円と払ってくださることの尊さと感謝。

この経験は、いまも常日頃から起業した人のサービスを少額でも試したり買ったりして応援しようとする源になっているかと思います。

儲かってる人と、開始したばかりの人との、千円・1万円は全然価値が違う。

おかげさまで4月数万、5月10万、6月十数万バーツとウェブの事業としてちゃんと売上が立ち単月黒字に至りました。

たったそれだけの金額、と思われるかもしれませんが、起業以来イベントの一発型の企画を抜かして、「こうしよう」と事業計画を立てて半年の期間で一歩一歩計画通り進んで狙いに至れたのは初めてだったので、本当にホッとしました。

第三の資金難:7~9月のM&A失敗

しかし、これが非常にニッチなサービスであることは分かっていました。
あの頃の試算で年商2千万円くらいではないかと。
なのでこれを続けるのではなく、ここから人事向けの別のクラウドサービスに入りたいと思っていました。

タイの給与管理に特化したSaaSを作りたい、と。

そのためには資金も必要で投資を受けられる見込みも低い中で僕が選んだのが事業売却、会社の事業だけを売却するM&Aでした。

WakuWakuを事業譲渡して、2-3千万円を元手に給与管理SaaSを作る、と。
数社買い手を探したところ1社候補が見つかりました。

8月にデューデリジェンスをして、来週契約合意の署名をすれば完了、という最後の一歩まできました。
が、法務DDで問題を指摘されすべてが吹っ飛びました。

この件はまたどこかで番外編として書こうと思いますが、僕はあのいい加減な法務レポートを出した弁護士を生涯許さんという気持ちとその弁護士事務所は一生人に紹介すまいという怒りが未だ風化しておらず、私憤が収まっていないうちにことの顛末を書くとただの悪口になりそうなのでもう少し時間の経過を待ちます。

事情はどうあれ社運を賭けた案件は飛びました。
他の候補は無し。

8月はDDに大半の時間を割き、その頃は常に営業活動して売上確保しないと給料が払えなかったので8月末に吹っ飛んだ時点で9月頭の残金はほぼ無い。

軽くツミすぎて嫁と息子が寝た部屋の外で大声で泣きました。

もうだめだと思う中、たまたまメンターの小林さんが連絡をくれて助言をもらいました。

「3日で1ヶ月分の固定費を稼ぐ。できなければ辞める。借りるのは無し。100万円くらいなら越くん借りてこれるだろうけどそれが返せる力あるならいまの状況になってないから」

と。

あの時はむちゃな事を、、、と思いましたがいまから見るとなんて的確なアドバイスだったことか。

3日で1ヶ月分を稼げるなら苦労してないよ、、、と嘆きつつ、動くか死ぬかだったので翌日から行動に移しました。

当時のWakuWakuは1ヶ月5千バーツというプランでしたが、1年契約で6万バーツをそれを半額の3万バーツにするからいますぐ買ってほしい、と、もはや口実作っているだけでしたが、とにかく3万バーツx10社集めなければ、と頼めそうなところに順々に連絡しました。

対面はすぐ飛んでいき、会えない方は電話越しに頭を地面にこすりつける勢いで頼み込み、本当にありがたいことに3日で8社の皆さんから助けて頂きました。

無論すべてうまくいったわけではなく断られた人もいましたし10社には届かず8社止まりでしたがギリギリ9月を凌いで10月の別口で決まっていた大型入金に届く分だけ確保出来たので首の皮一枚で生き延びることができました。

初年度のエンジェルに助けられた時以来のギリギリ劇で、あの時の8社へのご恩は一生忘れまいと思っています。

「常に期待しすぎずバックアッププランを」という教えを小林さんからもらっていたことを痛感するとともに、それが分かっていても2手3手とバックアッププランを持つことができないほど追い詰められた中で生き抜くしかない現実と直面するスタートアップの世界を体感できたのがこの件からの大きな学びでした。

ということで創業後すぐの危機、最初の事業が当たらずピボット、3年目の資金繰り3度のピンチ、と起業あるあるを堪能した2年でした。
それでも起業してから一番キツイのは全然まだまだこれからだということをこの時はまだ知る由もありませんでした・・・

というドラマ風な締めくくりで今年は書き上げつつ、続きは来年書ければと思います。
今回も起業回想シリーズをお楽しみ頂き、ありがとうございました。


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