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【起業回想シリーズ❷】2015年のピボットとWakuWaku就職フェアの誕生

前回の起業回想シリーズ①にて、2014年に威勢よく船出したものの半年でいきなりゲームセットの悲哀に見舞われそうになりながら九死に一生で生き延びたTalentExの船出について書きましたが、今回はその続きの第2ラウンドについて記します。

1. モガいてモガいての単月黒字と疲弊感

前回の「2014年の創業事業JobTalentsの軌跡」で2014年8月の資金難を2度目のエンジェルラウンド(個人投資家からの資金調達)でぎりぎり生き延びた、と記しましたが、その時に一つ誓いました。

「もう二度と投資ありき・資金調達頼みの事業計画は立てない。投資家から"投資してもらえなかったら会社が潰れる"という状況はもう二度と作らない。」と。

そこでこれまでの成約数を10倍、20倍にするのは難しいので成約単価を上げて黒字化する方法に舵を切りました。

手厚くサポートするかわりに従来の10倍ほどの手数料をもらうモデルを「お金はもっと払うから今すぐ良い人が欲しい」という企業に売り込みました。

買ってくれたのは主に欧米系の資金調達したITスタートアップ企業たちでした。

この頃は泥臭い作業を、どう考えても割に合わないと分かりながらも会社を沈めないために毎日必死で回していました。

その甲斐あって2015年4月に初めて単月黒字になったものの、チーム内には
・現状がうまくいっていない感
・直近の資金の懸念
・足元の売上のために今後も報われない作業に追われている徒労感
が蔓延しており、実際に1年目のうちに共同創業メンバーだった新卒タイ人と米国人デザイナーは退職しました。

自分自身この先に未来はない、と感じており、”次”を考えねばと思索していました。

その頃の強がっているポストがありましたが、だいぶトーンが違いあたかも物事は上手く進んでいるかのように書いていて、読み返すと痛々しいです。

<Thank you everyone for birthday wishes and updates> English follows...

Posted by 越 陽二郎 on Wednesday, May 20, 2015

2. JobTalentsから次ステップを決意

そのような状況下で開発資金もないものの次の事業を考えねば、と思う中で前職の社長でメンターである小林Kiyoさんが昔言っていた言葉を思い出しました。

スタートアップは「スタートアップとだけ付き合っても意味はない」。

創業以来、もちろん大手への営業などはするものの、結局自分がリーチしやすい企業とだけ付き合ってきて、結果それらはスタートアップなのでお金になりづらい。
もしくは、支払い余力のある企業のニーズに応える事業を作れていませんでした。

そして、もっと大手や資金力のあるところに買ってもらうサービスを作り、売るには?と考えた時、創業以来自分が固執していた「日系に頼らない」というこだわりを捨てることにしました。

これは一長一短ある話ですが、早い話が四の五の言ってられなくなった、というわけです。
そこで、自分の日本人バックグラウンドを活かして大手などに買ってもらえるサービスは何か。

端的に言えば「日系=日本語の話せる人材の採用に特化したサービス」となりました。

「日本語の話せる人材を採用しやすいサービス」が何かを考えたところ、当時欧米で流行し始めていたビデオ・リクルーティングに目を付けました。

HireVueというアクセンチュアなどに使われていた「候補者が画面に出る質問に答える動画を自分で撮影してアップする」という形式のサービスで、これなら日本語能力試験JLPTの等級だけでは分からない日本語会話力なども分かりすごくイイ、と企業の方々へのヒアリングではニーズを感じました。

そこで実際に日本語を勉強しているタマサートの日本語学科4年生3人を友人から紹介してもらい「日本語を動画でアピールできる就職サービス」について聞いたところ、正直自分たちにとっては足切りされる材料を増やすだけで嬉しくない、というフィードバックでした(もっとオブラートに包んだ”タイ人はシャイだから撮らないのでは”という言い方でしたが)。

ただ、その時に言われた一言が次の展開へ誘うことになりました。

「動画サービスもいいけど、僕らもうすぐ卒業でまだ就職先は未定です。
他の学部はタマサートにジョブフェアで来るタイの大手に就職が決まるけれど、僕ら日本語学科はそれを活かせる日系企業と一気に会える場がないんです」

3. 2015年WakuWaku Job Fair誕生

コロナ前まで「越さん=WakuWakuの人」という弊社の代名詞になっていたWakuWakuの就職フェア第一回はこの頃2015年5月に初開催しました。

当時の様子はこちら

動画リクルーティングをやりたいけど登録のハードルが高そう。
そして、対象とする候補者たちのニーズはリアルの場での日系企業との出会い。
ただ、自社では100人程度までしかイベント開催は経験がなく、まして出展料もとったイベントとなると責任も。

当時、オフィスシェアしていたTLP(現Flare)の神谷さんに相談したところ「1,000人規模でやりましょう」と言われ、50社x1,000人の日本語人材就職フェアを開催することに。

しかし、その腹を決めたのはソンクラン直前で、ホテルの場所決めも休み明けの4月下旬から始動、という1カ月ない中で未経験のイベントを5-15万バーツの出展料、1,000人の学生集め、どちらも日系大手・日本語人材学生ともにほぼツテはゼロという気が狂った企画でした。

実際、アソークのビル全て飛び込み営業したり、駅前でビラ配りしたり、メンバーの一部はオフィスで机の下にマットを引いて泊まり込んだりアドレナリンと若さで突き進んでいました。

3週間みんなで死ぬ気で営業した結果、目標50に届きそうな40社近くまで集ったところで、イベント1週間前の候補者状況確認mtgでエライことが発覚しました。

求職者の事前登録がなんとたったの100人。

「1,000人呼びます」「本当に来るの?」「呼びます」と言い切って全員営業してきて、その間Facebook広告でタイ人スタッフにマーケを任せていたもののケアをする余裕はなく蓋を開けてみて1,000人予定のイベントで1週間前の登録が100人…

オワタ…/(×Д×)ノ

とはいえここで本当に100人だったら返金→倒産という破滅が見えていたので、ここから巻き返すぞ、と1週間前の最後の週末に当日アルバイト手伝いしてもらう学生10数人を集めたmtgを当日の段取りではなく求職者集めのアイディア出しmtgに急遽変更。

豪華なランチで釣る案などあれこれ議論して絶対集めきるぞ!と威勢よく解散したものの日曜・月曜とそこで決めた施策はことごとく外れ「もう終わったかも…」と思った矢先。

当時、唯一「日本から出張で出展したい」という申し込みを受けた北海道のスイーツ企業さんがおり「Work in Hokkaido」というポストをFacebookに出したところまさかの大バズり。

1日200人登録。

写真・テキストを変えて水曜、木曜と出した結果200人x3日が続き開催初日の土曜朝には事前登録800人、フェア終了時には1,200人という結果で難を免れました。

TalentExの中でも最も狂った事案で、もう二度とやるまい、やりたくない、という思い出ですが、結果的には多くの方に喜んで頂けて、仲間にも達成感が溢れ、初めて『手応え』を感じた小さな“Win”でした。

しかし、売上100万B、粗利70‐80万のところ協力体制だった3者で等分だったので1‐2カ月の固定費程度というのが数字上の結果であり、相変わらずのキャッシュ日照りは続くのでした。

手応えは得ながらも変わらずキャッシュが尽きそうな状況でどうしたのか。次回へ。


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