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【実録シリーズ】回顧:父の教えと書面・法律の意味

こんにちは、越です。

今回も、自社の経営に関して昨年下した大きな決断とその後について共有している【実録シリーズ】のつづきです。前回は、リストラに関する合意のあと、スタッフに「話がある」と言われ...という話を書きました。今回は、その翌日の投稿です。

前回まではこちら



 2021年5月27日 父の教えと書面・法律の意味

おはようございます、越です。

父から遅れた誕生日プレゼントが届き、桜ガラの名刺入れが入っていたのでしばらく使ってみようと思います。名刺使う機会もないですが笑

昨日の投稿。
反省してます...。

一晩経っていたとはいえ、勢いで書いてそのまま投稿してしまい、コメントもらう前から感情的すぎたなぁ...と思っていました。

そこからコメントをもらう度に、結局は自分の主観が激情化して、ひたすら自分勝手に喚き散らしただけの文章だったなぁ、と。

ただ、そういう一時の感情やリアルな出来事だけではなくその時のリアルな感情も伝えられる/知れる場って中々ないとも思うので「越さん今回はやっちまったなぁ」と共感できずとも書くし、読んでもらう、そういうことでもいいのかな、とも思いました。

結構評判よく楽しんで頂いた方も多かった起業前後の振り返り話も、いまから振り返るから読みやすいけど淡々とした形で書けていて、渦中であればあんなにスムーズな流れで書けなかったと思います。

渦中で激情のまま書く良し悪しは、コインの裏表なのかも、と。
前置きが長くなりましたが、感情任せに書いたおかげで、改めて書面・法律ということについて考えられました。


書面の意味

今回のできごとは以前口頭で「解雇補償金は50%」と合意した際にすぐ書面にしておけば良かった、という視点があります。

WFHでソンクラン前以降ずっとオフィスに出勤していなかったため「その場でサインさせる」というのが難しかったという特殊要因はありました。

では、自宅でサインさせて郵送させれば良かった?
→センシティブな内容だけに全員が家で印刷してすんなり集まるとは思えなかった
→PC返却やオフィス退去のためオフィスに来る必要があるからその時に署名してもらうのが一番自然な流れ
と思ったのが間違いでした。

「すんなり」いかないと思っている時点で火種はあった。そういうときこそ早く手を打たねばならなかったのだろうと。

ただ、一方で2週間前に署名を集めていたとして、それでも納得いかない時は社員たちは同じ異議を申し立てたと思います。
そして、そうなっていたら署名を盾に50%を貫いたか。
きっと僕は署名を捨てて話し合いに応じていたと思います。

なぜなら今回の決断も「法律だから」ではなかったから。

彼らの主張の根拠は法律だから、でしたが、僕は50%でお願いした時も、今回彼らの主張に合わせた時も、僕の決定根拠は法律だからではなく自分が納得いくものが何か、でした。

彼らが納得していなかった場合、署名があるからと言って(それが法律で守られる権利だから、と)突っぱねる自分は想像できないので。

紙が、署名が、結論を決めることはあるかもしれないけれど、自分の経営は良くも悪くもそれを最優先しないのだな、ということ(これも今後変化していくのだろうと思われるし、何が良くて何が悪いのかもまだわかりません)。

法律の意味

今回の着地である解雇補償金規定。
 勤続4カ月以上~1年未満:給与1か月分
 勤続1年以上~3年未満:給与3か月分
 勤続3年以上~6年未満:給与6か月分

これがどれだけ妥当なのか?そこに正しさはあるのか?

たとえば勤続3年時点で該当の2人には祝い金を出していました。
でも、それは規定の金額を払うこととは関係ない、免除の対象にはならない。

1年1ヵ月働いた人をクビにしたとき、なぜ給与3カ月なのか?妥当性はあるのか?
3年1ヵ月の人と、5年11カ月の人で同じ金額なのは正しいか?フェアなのか?
そこに万人の納得する答えも、全てを解決する万能薬もない。

だからこそ、みんなにどこかで決着させる「決め」が必要。
それが法律。
その存在の意味は分かります。

だからと言って上記の通り、その結果起こることが正しいとも、フェアとも、妥当であるとも言えないと思います。

父には「お天道様に恥じぬ生き方をしろ」と教えられました。
それは決まりを守る一方で、逆に自分が恥じぬと思えばルールを破ることも辞さない覚悟を持て、ということでした。

多くの人は「ルール/法律=倫理」と捉えがちですが、そうではないのは上記の通り。

法律は、倫理的に正しいわけではなく、ただ判断が必要なときのために誰かが定めた線引きというだけでそれ以上でも以下でもない

だから、この状況で会社としていくら払うべきか、従業員としていくら求めるべきか。
そこに倫理的に正しい答えはないと思います。
だからこその話し合いでした。

いま思うと、僕にとってもっと納得いく答えは「全員一律3カ月」だったかもしれません。
なぜなら全員20代で元気な中で、不況とはいえ半年も仕事が見つからないことはないだろうし、逆に1ヵ月しか法律的にもらえない子は1ヵ月で見つかるとは限らない。
であれば、「長いほど多くもらえる」ではなく「生活に困らないようもらえる金額」の方が僕にはしっくりきます。

まぁそれを掲げても根本の考え方が違うので、6か月の子は6か月を主張して、全員3カ月かそれ以上、と今回より高くなった可能性もあったり。

ルールに従っていようと、背いていようと「背中から拝まれるような生き方をしろ」。
それもまた父からの教えでした。


(補足)サロンの専門家メンバーとのコメントやりとりにて

 メンバーA:
「>「ルール/法律=倫理」と捉えがちですが、そうではない。

同意です。僕は毎日タイの法律に何かしら触れ続けていますが、法律にも不合理な点は沢山ある。だから絶えず法改正が議論され続けてるわけで、ルールと正義や倫理とを混同するのは妙な話だと思います。

タイの解雇補償金の制度については、僕も結構な違和感を持っているんですよね。確かに各国法を比較すると、整理解雇の場合に解雇補償金の支払義務を定めている国はそれなりにあります。日・米・独とかには制度的には存在しないようですが、解雇補償金制度自体を支持している国はそれなりにあり。

整理解雇をせざるを得ない場合というのは、従業員に何かしらの問題があった場合ではないこと、そして、整理解雇せざるを得ない状況というのは解雇の直前に発生するわけではなく、相応期間前に判断できるはずあろうことを考えると、僕自身も解雇補償金という制度は合理的だと思う。

しかし、タイの場合、その金額が高いと思う。これをやるとすれば、多分毎月の賃金を下げ調整しないと企業が持たなくなってしまう。それって本当に合理的なのかな?と思ったりしています。まだ深い分析ができてるわけではないのですが、私見として。」

越:
「ありがとうございます。複数国で経営しながら解雇補償金相当の制度の横比較を僕もできてなかったので非常に勉強になります。

そして、他のメンバーさんもコメントされているとおり、「タイでのその制度は分かってたんだからいつでも払って当然だろう」となるとそもそも運転資金の限られる中、チャレンジするチャンスをそれだけ捨てて判断しないといけないのでもったいないな、と。

まして、多くのタイの起業・開業が「とりあえず3カ月」どころか1ヵ月やってみるか、でやってみたけどすぐ閉鎖、という日常を見ているとそんなに余剰資金を抱えてやるのもイメージがかけ離れていたり。

という根底の疑問はありつつもルールはルール。ただ、それを守る理由が正義・信念からなのか、ルールだから、なのか、起業家も、そうでない経営者も、経営者でない場合も、自分のとっているアクションがどの判断基準に基づいて行われているのか考えるべきだな、と思います。」

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