『サマータイムレンダ』と、新曲『かたばみ』について
はじめまして、もしくはいつもありがとう。koshiです。
今回はサマータイムレンダの話と、新曲の話。
どちらかだけに興味がある人も、全部読んでもらえると嬉しいです。
ありがとうサマータイムレンダ
まずはTV『サマータイムレンダ』1stED、ありがとうございました。
12週テレビに張り付いてアニメを見る、というのが久しぶりの感覚で、
毎週Youtubeの放送でみんなと感想会をするのも楽しかった。
とはいえアニメ『サマータイムレンダ』はこれから後半、まだ半分です。
毎週見るし感想会もYoutubeで続ける予定。
cadodeとサマレン、これからもよろしくお願いします。
さて、感謝も述べたところで、
私なりの『サマータイムレンダ』への思いを少し書いておきます。
主要キャラについての話は今までTwitterやラジオで話してきたので、ちょっと踏み込んだ感想を。
ネタバレは頑張って避ける。
民俗信仰とSF、アナログとデジタル
『サマータイムレンダ』は、夏の離島にて繰り広げられるタイムリープサスペンスSF……みたいな概要ですが、それだけじゃないんですよね。
特に好きなのが、土着の民族信仰とSFに因果関係があるような話。
こういうのってサマレンに限らず好きなんですが、
この作品は特に混ぜ方が上手くて、自然にアナログとデジタルを行き来します。旧き神みたいな存在と、未知のテクノロジーっぽい存在。影のデザインには両方がうまく組み込まれていて、場面次第でどちらをも感じさせる。最近の流行りでいうと、クトゥルフ神話TRPGやSCPのような、ジャンルレスで人智の及ばない存在に近いものかもしれません。
ああ、ネタバレなしに、詳しく考察を書けないのがもどかしい!
ゲームと小説/漫画を繋ぐもの
田中靖規先生がゲーム好きだからゲーム的要素がみられる……と、前にどこかで話した気がしますが、これもまた、それだけではないんですよ。
サマレンには各種色んなところからのオマージュ・要素を感じますが、
特にゲームとの関わりは特殊です。
ゲームネタを入れ込んでいるのではなくて、ゲームのような構造、メタをストーリーに入れ込んでいる。
漫画と、ADVやRPGなどの選択肢があるゲームの違いは「プレイヤーという概念を必要とするか」なんですが、サマータイムレンダはその構造を突いてきます。それゆえに、漫画でありながら、ADVのコミカライズっぽくもある。そしてその違和感みたいなものは、ゲームと漫画の両方に親しんだ人が気付いてニヤリとするものであって、漫画単体として情報が完結しているから何も知らずとも問題なく楽しめます。
今まで作られてきたもの、田中先生が好きなものを合体させて、ここまでオリジナリティのある一つの世界に馴染ませてまとめきったことが、サマータイムレンダの凄さだと思うのです。
アニメも作画/声/劇伴全部最高なので、今後終盤に向けてどう描かれていくか、楽しみですな。
『かたばみ』について
cadodeのテーマとして、「生きること」をどう表現するか、いつも考えるのですが、
『回夏』では遠くを見ていたから、
『かたばみ』では足元を見る曲を描きたかった。
すごくざっくりとした説明だな。でもそんな感じです。
たとえばサマータイムレンダの登場人物たちは、もはや考える余地もなく、生きることに真っすぐ向かっていきます。それはみんなそこに強い欲求と、目的があるから。たとえ遠く見えても走っていける。
でも波風もたたず、ゴールも用意されていない私たちは、ときに立ち止まってしまう。当たり前だよね。
とはいえそんなときに見える足元に、「生きること」への発見がある。
明日を迎えることを諦めない、それが生きることの基本だなと思いました。それさえあればいいよね、と。
そしてこの「生きること」というのは、いくらでもハードルを上げたり下げたりできると思っていて。ハードルの下げ方が分からなくなって、自ら生きるのをやめてしまう人もいます。
明日を迎えることに何の障壁も感じない人もいれば、それすら凄く辛いこともある。
「生きていて偉い」と言いますが、いま辛い人にも、楽しい人にももっと寄り添える言葉はないかな、と思って、
「あてもなく続く日々にも それぞれの意味がある」と再確認する詞を書きました。自戒も込めて。
では以下、MVとオフショットです。ご査収ください。
よい一日を!
koshi