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学歴競争より就活競争より今の時代、婚活競争にもっと焦点が当たるべきだ

人生の三大競争を挙げるとすれば、受験・就活・婚活の三つのイベントであろう

その中でも婚活はまだ時代が追いついてきていない

特におじさん世代に至っては、結婚など普通に生きていたら出来るものだと完全に舐めた考えを持っているし、若い世代でも婚活は受験と就活と同様に自ら主体的に動かなければいけないイベントであるということに気づいていない人が大勢いる

世の中はまだまだ婚活なんてしなくても普通に生きていたら勝手に結婚出来るという幻想を信じているが、もうそろそろ現実を直視する時期に来ているだろう

はっきり言おう

良いパートナーと結婚したければ、もっと本気出して婚活をしろ


そもそも受験だって就活だって、"良い"大学や"良い"企業に入るための活動であるはずである

大学や企業に良し悪しがあるように、結婚相手にも良し悪しがあるのである

鬼嫁と呼ばれる存在が良い例であろう
F欄大学やブラック企業と同じように結婚相手の中には、"ハズレ"が存在するのである

逆に、一流大学や大手ホワイト企業のように"アタリ"の結婚相手も存在する

しかし、婚活の場面では人と人との繋がりはアタリハズレではないんだ!と綺麗事を抜かす人間がまだまだ多い

そんな人たちに問いたい

君たちは、大学や企業選びでは当たり前のようにアタリ探しをする人間ではなかったのか?

なぜ婚活に限っては競争とは別次元にある"聖域"だと錯覚しているのだろうか
現実から目を背けてはいけない


受験や就活の大事さは、しばしば現実から目を背けて生きてきた人間を例に挙げて語られることが多い

例えば、いわゆる底辺と呼ばれる仕事をしている人を見かけたときに子供に語りかける

「ほら勉強しないと将来ああいうお仕事をすることになっちゃうよ」

というセリフである


このセリフに関しては賛否両論あるだろうが、この言葉は実際に人間の競争本能に無意識的に火をつける
誰だって好きで底辺職と呼ばれる仕事にわざわざ就きたいはずはないからである


こう言ったものが根底にあって受験や就活は大事であるという認識が、社会全体の共通意識として存在する
これは疑いようがないだろう


では、婚活はどうか?

婚活をわざわざ頑張って努力しないと"底辺"になってしまうのでしょうか?

はっきり言いましょう

答えはYesです

残念ながら、受験や就活と同様に、婚活もまた、自ら頑張らなければ"底辺"の未来が待っています

例えば、孤独死です

人生の末路としては悲惨でしょう

孤独死は孤独に死んでいきます

つまりその死に様の良し悪しに関しては、本人にしかわかりません

しかし、孤独死という言葉から連想される印象として、孤独死が明るいものであるはずはないでしょう

はっきり言ってしまえば、"底辺"の死に様であると言えます


これは独身だった場合ですね

結婚していた場合にも所謂"底辺"パターンがあります


例えば、熟年離婚です

熟年離婚を円満なイベントだと解釈できる人間はどれだけいるでしょうか?
そもそも離婚というイベント自体、失敗以外の何者でもありません
その時点では未来をよくするための一手かもしれませんが、結婚時点で婚活をもっとちゃんとやっていたら避けられた結末であるとも言えます

結婚は一生を添い遂げてこそ本懐です

離婚など最後の一手

ましてや結婚離婚を繰り返すなど破廉恥極まりありません

このような状況は、まさしく"底辺"であると言っても過言ではないでしょう


これらの結末は婚活を頑張らなかったことが原因です
これらの結末が頑張らなかった結果であるというのは、3人に1人の割合で離婚するという日本の状況からすでに証明されています

もっとしっかり本気を出して結婚相手を探していたら3人に1人の割合で離婚するはずがありません

円満にそして一生を添い遂げられる結婚相手こそが、良い結婚相手なのです

夫婦の3人に1人も別れるのは、なんにも努力せずに社会におんぶに抱っこされて結婚相手をあてがわれていた年寄りおじさん世代の慢心に他なりません

私たち若い世代は学ぶ必要があります

「婚活を頑張らないと、結婚は墓場などと言ってしまう"底辺"なおじさんたちと同類になっちゃうよ」
ということを



そして、もう一つ認識を改めておく必要があるのが、婚活は受験や就活を頑張ったご褒美ではないということです

確かに、良い学歴や良い就職先は婚活にとって有利に働きます
しかし、それは有利に働くというだけであり、自分の武器を有効に活用できなければそれはただの宝の持ち腐れとなります

これは就活でも同じような構造があるのですでに理解されてる人がいるかもしれません

よく語られるのは学歴フィルターでしょう
確かに就活において学歴は非常に有利なツールであるというのは間違いありません
しかし、学歴一本足打法で就活はうまくいくでしょうか?

答えはNoでしょう

就活のために独自で努力することがたくさんあるはずです
例えば面接の練習などです

そのあたりをサボったらいくら高学歴でも就活は失敗するというのはよく聞く話でしょう


それと同じことが婚活でもあります

婚活においては、学歴の他に就職先が有利な属性として乗っかってきます
しかし、それだけでは理想の結婚相手と結婚することは叶いません

就活の面接練習のように、婚活には婚活独自で必要なスキルがあります

それを鍛えなければなりません

そして、そのスキルは就活とは比べ物にならないほど多岐にわたります
また大きな違いとして、新卒就活はポテンシャル採用に対して、婚活は経験者採用に近いです
具体的な成果が双方向に問われます。
噛み砕いて言えば、僕・私をあなたは本当に幸せにしてくれますか?ということです

就活なんて企業分析と面接だけしてればよかったので、なんと簡単だったのかと思うはずです


そして、婚活は、3つの競争の中で最も難易度が高い競技です
婚活は非常にシビアな競争が繰り広げられます

特に以下のような点で受験や就活とは異なってきます
慣れない競技スタイルへの適用ができるかも競争に勝てるかどうかの大きな要素です

・ライバルが強い、多い、同年代のみならず別年代の人間が参入してくる
・期間が定められていない
・画一的な選手の評価基準(偏差値)がなく現状分析が困難

こう言ったことから非常に競技難易度が高いので、世間一般のみんなが舐めてる婚活のイメージとは全く真逆のシビアな世界が現実にはあります

この競技をやり切った先には、受験の合格発表で番号があった時なんかより、就活で最終面接が通過した時なんかより、比べ物にならないほどの満足感があるはずです

これはやった人にしかわからないでしょう

が、少なくとも婚活を乗り越えた人が婚活を否定することは生涯にわたってありえないと断言できます

これは、受験や就活とは大きく異なります

受験や就活に関しては自分の進んだ道をいつまでも経っても悔やむ人間がいるのに対して、婚活は乗り越えた先に待ってるものは一皮も二皮も剥けた新たな自分です

人を最も成長させるもの、それが婚活です

逆に言えば未熟なままだと結婚できません
成熟したものから結婚できるのです


孔子の言葉では40にして惑わずという言葉がありますが、婚活では20代で既にその領域に達していなければいけないのです

今までは40歳まで成熟の機会を社会は待ってくれましたが、現代はシビアですね

仮に傷の舐め合いで結婚"してくれる"ような相手を探してもいいですが、先に言っておきましょう

それ、婚活の場にはいませんからね

というか傷の舐め合いペロペロ民ですら需要があって奪い合いです
パートナーに何か求めればどこまでいっても競争です

じゃあパートナーに何も求めない!と言ってもそれはそれで選ばれません

結局競争の場で心の底から求めるものを取りに行くしか解決策はないのです

迂回路はありません
ただまっすぐ険しい道を進むのだけが正解です


わかったでしょうか?
婚活はガチらなきゃダメなのです
舐めてるとしぬよ


まあ、理解することと実践できるかはとんでもないギャップがあるので、まずは理解だけでもするのが先決です

分かってたってどうせなかなか出来ないんで、せめて分かってはいときましょうね


とにもかくにも、現代における婚活は、受験や就活のように幸せになるために自ら挑戦する儀式の一つになっています

今日はそんな話

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